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草野原々「大絶滅恐竜タイムウォーズ」

SF作家、草野原々の作品を今までに読んだことがあり、「良し」あるいは「気になる」と捉えている読者には解説は不要。ぜひとも勧めよう。デビュー作、「最後にして最初のアイドル」に負けない規模を持つ、物語とはなにか、キャラクタとはなにかを問いかける作品である。

さあ彼女の「内面を想像して、共感して感情移入しましょう」。

このシリーズの第1作、「大進化どうぶつデスゲーム」を、先に読んでいたほうがこの小説をより楽しめる。前作は18人の少女たちをすべて一人称で語らせる実験作であったが、話の盛り上がりとその帰結という物語性は存在した。本作では、物語はメタ的にどんどん解体されていく。地球生物の進化の歴史、宇宙規模の物理学など、興味深いガジェットに惹きつけられている間に、遠く離れた地平線に墜落することとなる。

草野原々は、「最後にして最初のアイドル」で、2016年に第4回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞。電子書籍で商業デビュー。同作は2017年、第48回星雲賞日本短編部門を受賞。2018年に「エヴォリューションがーるず」「暗黒声優」を加えた短編集「最後にして最初のアイドル」が刊行された。メタフィクション「これは学園ラブコメです」(2019年)、電子書籍「【自己紹介】はじめまして、バーチャルCTuber 真銀アヤです。」(2019年)がある。

ロマン・ポランスキー「毛皮のヴィーナス」

2013年のフランス映画、ロマン・ポランスキー監督の「毛皮のヴィーナス」を、prime videoで観た。19世紀オーストリアの小説家マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」をもとにした、劇作家デイヴィッド・アイヴズの舞台劇の映画化である。

「毛皮を着たヴィーナス」を脚色した舞台を上演しようとする脚本家・演出家のトマは、オーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダの演技を見ることとなった。俗世間の偏見を代表するような発言をしていたワンダだったが、役を始めてみるとその理解は深く、トマが望む理想の演技をするのだった。やがて2人の立場は逆転していく。最後に2人は役を交換して、カタストロフィに至る。

ワンダをポランスキーの妻でもあるエマニュエル・セニエが、トマを「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが演じた。2人芝居であり、この2人しか映画には出てこない。

脚本家、演出家にとって役を充分に理解した理想的な役者とは、自分自身の投影か。映画は、台本の読み合わせから始めて、まだ書いていないシーンの即興演劇に移っていく。自分自身が相手役ならば、完璧な即興演劇も可能だ。このブログの筆者の繰り返し見る悪夢の1つに、まだ脚本すら書いていないのに舞台に立っているという辛いパターンがある。この状況を相手役に支えられた即興演劇で乗り切った夢の続きを見たときに同じことに気づいた。

カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」

世界的ベストセラーの物理学の書籍。著者は、一般相対性理論と量子力学を統合する、ループ量子重力理論を提唱する理論物理学者。原題は”L’ordine del tempo”、直訳すると「時間の順序」となる。

宇宙を記述する基本方程式に時間変数が存在しない。すなわち過去と未来の違いは存在しないことの説明が前半部分(第1部と第2部)。それでもなぜ、わたしたちは一方向に流れる時間を感じるのかの考察が後半部分(第3部)となる。

熱力学の第2法則からエントロピーは増大する。時間の向きが指定できるのは、エントロピーの増大という統計的な変化を考慮に入れた場合に限られる。初期の宇宙は極端な低エントロピー状態だった。すなわちはるか昔の事物の配置が「特殊」だったと言うことができる。しかし、「特殊」というのは相対的な単語で、あくまでも一つの視点にとって「特殊」なのだ。人間は物理現象の根底にある微細な基礎課程を識別できず、統計的な側面だけをぼんやりした視点から眺める。そのぼやけに関して「特殊」だったのだ。

エントロピーの増大は痕跡を残す。記憶というプロセスがこの痕跡に従う。わたしたちは記憶と予想からなりたつのだ。

おもしろい。

様々な哲学者の言葉、文学、音楽が引用されている。本書にはとりあげられてなかった時の流れの詩を、個人的な好みから追加してみよう。ギヨーム・アポリネールの「ミラボー橋」だ。「日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る」。

ループ量子重力理論については、同じ著者の”La realtà non è come ci appare”(現実は目に見える通りではない)、邦題「すごい物理学講義」と、”Sette brevi lezioni di fisica”(7つの短い物理学講義)、邦題「世の中ががらりと変わって見える物理の本」に、取り掛かりやすく書かれている。

「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」

映画パンフレットの表紙

2020年1月26日、TOHOシネマズ・シャンテにて、映画「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を観た。

テリー・ギリアム監督については、このブログ、2018年8月31日の「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」の投稿で少し触れている。「ドン・キホーテ」の日本での公開が、2020年1月24日という情報をだいぶ前に仕入れ、待ち望んでいたのだ。

構想30年、計画頓挫9回がキャッチ・コピーとしてウェブサイトでは強調されている。最初の流れた企画のメイキング映像が、ドキュメンタリー映画「ロスト・イン・ラ・マンチャ」として2002年に公開され、現在prime videoで配信中である。これも観たほうが作品に対する理解が深まるのだろうが、実はまだ観ていない。

夢と現実、狂気と正気の境界があいまいとなって、さらに冒険と憂き世のせめぎ合いなどメタ的な視点からも語られる。唐十郎などの現代演劇に通じる幻想世界だ。とてもおもしろかった。

CM監督のトビーを、スター・ウォーズ、カイロ・レン役のアダム・ドライバーが演じる。 カイロ・レンとはまた違った情けない男を見せてくれる。ファンは必見だ。

ジョナサン・プライス。ドン・キホーテと未来世紀ブラジル。

ドン・キホーテはジョナサン・プライスだ。テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」(1985年)で主役サムを演ったところから監督との付き合いが始まった。35年隔たった、2つの映画の写真を並べてみると歳月以上の違いがある。映画パンフレットの隅の方に書いてあった。ドン・キホーテの見事な鷲鼻は付け鼻だと。

アレクサンドル・コット「草原の実験」

2014年のロシア映画、アレクサンドル・コット監督の「草原の実験」をレンタルDVDで観た。

カザフスタンにあった、セミパラチンスク核実験場。ソビエト連邦時代、1949年から1989年の40年間に456回の核実験が行われた。その実際の出来事が映画の元となっている。あのラブレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれたが、無人だとされ周囲に住む70万人もの人々は無視された。

映画からは科白がすべて廃されている。映像詩の映画だ。ステップ気候の乾燥した大草原。地平線を遮るものがない中に一軒家があり、1本の曲がった木が隣に立つ。タルコフスキーの映画「サクリファイス」にオマージュを捧げているようだ。

父と娘の二人暮らし。父親はどこかに仕事しに通っている。途中までトラックの運転をさせてもらう娘。帰り道は、地元の幼なじみの青年が送ってくれる。風来坊のロシア人の青年との三角関係が生じたが娘は強かった。

父親が職場から何かを持ち出したのか、自宅を急襲した一団の持つガイガーカウンターが激しく反応する。

そして、雷が落ちた翌日に悲劇が訪れた。

YouTubeで予告編を見ることができる。https://www.youtube.com/watch?v=3ffA7aU-H0I

カジミェシュ・クッツ「沈黙の声」

ポーランド映画の巨匠、カジミェシュ・クッツ監督の傑作「沈黙の声」を、ポーランド映画祭での追悼上映という形で、2019.11.14恵比寿の東京都写真美術館で観た。1960年の作品。

列車内に入りきれず、屋根の上に張り付いて旅をする男たちの映像から始まる。列車はやがてジェルノの街にたどり着く。第二次世界大戦後ポーランド領となった、旧ドイツ東部領土の都市だ。街の発展のため国内避難民の流入を促進していた。青年ボジェクは、ある共産主義者の処刑を拒み、軍規違反で組織に追われる身だった。駅で知り合った姉妹の姉ルチナと惹かれあうが、女職場長とその助手との都合のいい関係も断ち切ることができない。国内軍兵士時代の仲間と偶然出会い、追手が近いことを知る。

ルチナの得意料理は、ウクライナ風ボルシチだと。ウクライナに出自があるのだろうか。

研ぎ澄まされた空間作りと、繊細な音響設計が高く評価される名作である。

冒頭映像をYouTubeで見つけた。

https://youtu.be/IJtGyI1IlJ8

ポーランド映画祭は11.23まで行われている。

伴名練「なめらかな世界と、その敵」

表紙イラストは、「さよならピアノソナタ」「ib インスタントバレット」「かぐや様は告らせたい」の赤坂アカ。コミックスになった連載マンガはすべて読んでいる。ジャケ買いした。

早川書房によると、伴名練は寡作ながら発表した短編のほとんどが年間日本SF傑作選に収録され、高い評価を得ている逸材だと。その初のSF短編集だ。全6篇。

私のSF小説の嗜好にマッチした。

イラストだけを見て、表題作「なめらかな世界と、その敵」を読み始めた。第2章で、いくつもの並行世界を行き来できる世界設定はちゃんと説明されるが、まったく予備知識がないと第1章は苦しいかも。最後は、陸上に賭ける少女2人の青春小説となり、爽快感にあふれる。

「シンギュラリティ・ソビエト」。1960年代にソ連の人工知能「ヴォジャノーイ」がシンギュラリティを突破した。ダークな歴史改変もの。この作品が一番好きだ。大量の赤ん坊の群れが人工知能通りを整然と進んでいく。人間は脳の半分を、ヴォジャノーイに演算資源として提供している。

書き下ろしの時間SFもの、「ひかりより速く、ゆるやかに」。時間SFの幾多の名作が小説中で紹介されている。この部分の拡大版、作者のSF愛を伝える長文の「あとがきにかえて」がWeb上で公開中だ。

https://www.hayakawabooks.com/n/n074ba53b3392

「ひかりより速く、ゆるやかに」の冒頭、試し読みはこちら。

https://www.hayakawabooks.com/n/n0cfa8c1132ce

キリル・ピロゴフ主演「リービング・アフガニスタン」

2019年制作・公開のロシア映画。パーヴェル・ルンギン監督。本年9月にレンタルDVDで観たあと、10月にprime videoで見直した。

このブログで以前に触れた、Netflix公開中のロシアドラマ「トロツキー」で、ボリシェヴィキを批判し国外追放となった哲学者、イワン・イリンを好演したキリル・ピロゴフが主演で、KGBの大佐を演じる。

アフガニスタン人民民主党と、その共産政権に対抗する反政府ゲリラとの戦いに、1979年ソビエト連邦が軍事介入したことからアフガニスタン紛争は始まった。1989年のソ連の撤退まで続く長い戦争だった。反政府ゲリラは聖戦を行うものの意味で、ムジャヒディーンと名乗る。この映画は、ソ連軍の1989年の撤退にまつわる出来事を描く。

「戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい」

1979年の開戦当時、西側諸国は猛反発し、1980年のモスクワオリンピックのボイコットにつながった。

我が国でもソ連の人気はガタ落ちで、第2外国語にロシア語を選択していた大学の後輩はがっかりしていた。東京大学は第2外国語は必修で、何語を選んだかでクラス分けされる。私のころは、文系はフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、スペイン語が選択でき、理系はフランス語、ドイツ語、ロシア語のみだったと記憶している。現在は文系、理系とも、スペイン語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、韓国朝鮮語の7つから選べる。

登場人物それぞれに焦点を当て、エピソードを重ね合わせて、映画全体を構成している。中将の息子、囚われのパイロットを奪還するための努力もお話の1つだと思っていたほうがいい。戦闘シーンは、手持ちカメラの揺れを効果的に使い、臨場感あふれる映像となっていた。

攻撃ヘリコプターは、アフガニスタン紛争の象徴となった、Mi-24(ミル24)、NATOコードネーム「ハインド」ではなかった。Mi-8(ミル8)と思われる。

ラストシーンで、主人公たちの搭乗したヘリコプターはミサイルよけのフレアを放出した。一瞬機影を見失ったので撃墜されたのかと思ったが違った。アフガニスタンへの、お別れの挨拶としての花火の打ち上げだったのだろうか。

劉慈欣「三体」

我が国でも発売後あっという間にベストセラーとなった。中華人民共和国の作家、劉慈欣のSF小説である。日本語版が2019.7.4に出た。

アジア人の作家として初めてヒューゴー賞を受賞。マーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマらが絶賛している。読みやすく娯楽性に富みおもしろい。

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望したエリート女性天体物理学者、葉文潔は、宇宙に向けて今までにない方法を用いてメッセージを発信してしまう。とある三重星系は古典力学の三体問題の世界であり、予測できない天体運行の中で文明の発展と滅亡を繰り返す三体星人がいた。

文化大革命の描写が鮮烈だ。革命が始まった頃、私は小学生だったが、日本の出版メディアが毛沢東語録を模した赤いビニール表紙の手帳をおまけに付けて、紅衛兵ブームを煽っていたことを覚えている。流行が過ぎ去ったあとは革命の批判だけが残った。ほめたたえていたのは何だったのだろう。釈然としない思いが記憶にある。

スティーヴン・ウェッブの著書、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」を関連書籍として勧めよう。2004年初版で、私が読んだのは2005年になってからだ。物理学者エンリコ・フェルミによるフェルミ推定を初めて紹介した書籍である。「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」というのが典型問題だ。グーグルの入社試験でも出題された。フェルミ推定によれば、われわれと通信しようとする地球外文明が百万あってもおかしくないのに、なぜどこにいるかわからないのだろうか。

新版は「広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由」とボリュームアップしているが、未読である。

三体星人の惑星は文明崩壊と再生の過程で、ロッシュ限界を越え一部分が分離し月を形成した。地球は、月の潮汐力により自転速度が抑えられている。月がなければ強風が荒れ狂う世界となっていた。また、月が地球の自転軸の傾きを安定化させている。「もしも月がなかったら」ニール・F・カミンズ、邦訳1999年も紹介しよう。同じく2005年に読了している。文明の発達には月の存在が欠かせないということだ。

「怪人カリガリ博士」(1962)

ドイツ表現主義映画の名作「カリガリ博士」(1920)とは、別のものである。白黒映画ではあるが、サイレント映画ではない。筆者が小学生の時、TVで見て心に焼き付いていた「カリガリ博士」は、1920年の作品ではなかった。やっと探し当てることができた。Wikipediaによると、土曜映画劇場での吹替版の放送は1969年7月で筆者は12歳である。

監督はロジャー・ケイ。脚本は「サイコ」の原作者ロバート・ブロックだ。

映画の内容はほとんど忘れていたが、映画クライマックスの悪夢の中の悪夢、パン焼窯のシーンから、この映画が探し求めていたものであることを同定できた。

自動車旅行をしていたジェーンは、タイヤがパンクしたため近くの屋敷に助けを求めた。屋敷の主人の名はカリガリだった。ジェーンは屋敷から出られず、外との連絡もできないことに気づく。屋敷の客は大勢いて、みな好意的であるのだが、自分と似た境遇に置かれているようだ。

2018年に観た、シス・カンパニーの芝居、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」と、出られないという点では類似性を感じた。サルトルの本当に閉塞した状況とは異なる予想通り、あるいは記憶通りの展開で、ほっと安堵した。

1920年の「カリガリ博士」。奇抜で歪んだセットが素敵。