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ルイス・ダートネル「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」

もし、世界的に急速に広まる致死率が100%に近い新型ウイルスのパンデミックで、1万人程度のわずかな人々を残して人類が死滅したらどうなるだろうか。極端な人口減少が急激に起きて、あとに現在の物質的インフラが手つかずの状態で残される形の大破局だ。文明の一からの再建をどうすれば加速できるか。我々の過去の歴史にあったような無駄な遠回り・停滞を避けて、一直線に進んで行く方策を練る思考実験が本書である。最悪のシナリオ、全面核戦争や太陽からの大規模コロナ質量放出よりは、人類の生存可能性が高い条件で始まる。

生存のための最優先事項は避難場所、水、それに食料だろう。渇きと飢えで死ぬ前に、過酷な気候で外気にさらされたら数時間で命を落とす。しかし、本書のシナリオでは猶予期間がある。残された建物、衣服、火、水、食料があるからだ。中心となって論じられるのは、サバイバル技術ではなくあくまでも文明の再生である。

知識は重要だ。電子機器がなくても読める紙の本を図書館で手に入れてくることが優先事項の上位に来る。この本を電子書籍で買ってしまった私は、紙本で買い直さなければ生き延びられない。

次に農業だ。文明から隔絶された状態でのサバイバル小説の古典、デフォーの「ロビンソン・クルーソー」では大麦と稲の栽培が行われるのに、それより後世に書かれたジュール・ヴェルヌの「二年間のバカンス(十五少年漂流記)」と、そのバッドエンド版、ゴールディングの「蠅の王」では、一気に狩猟採集生活にまで後退し、農業のことを誰も考えもしないことが不思議でならなかった。「ロビンソン・クルーソー」では、家禽の餌袋がたまたまあったこと、アンディ・ウィアーの「火星の人」では、感謝祭のため、冷凍ではなく冷蔵の発芽可能なジャガイモが手に入ったことで農耕を始めることができた。孤島、あるいは孤立した惑星という条件では、農業を始めるにも運が必要だということになる。

本書でも触れているし、農業ラノベの「のうりん」でも問題視されていたが、今日の農業は、次代の収穫が望めないF1種子(ハイブリッド種子)が中心となっている。昔ながらの固定種の種子を見つけ出せるかどうかの運が、文明の名残のある世界でも作用するかもしれない。

農業の章では、コンバインなどの農業機械の作成まで語られる。大麦、小麦の区別もつかない私には、遥か遠くの話に思える。本書の記載を細分化し、図版を増やし、一歩一歩学習していくための実習書を作るのが読者に課せられた責務であろう。

この後には、食物の保存と衣服、熱酸アルカリ反応、粘土・モルタル・金属・ガラスなどの材料、医療、動力、輸送機関、コミュニケーション、応用化学、時間・緯度・経度の章が続く。活字からではイメージが湧かず、実習の必要を痛切に感じたのは、電気通信と六分儀の使い方だ。

本書で重要性が特に評価されているのは、ハーバー・ボッシュ法による窒素の固定、アンモニアの作成である。化学肥料の原料となる。作者の想定する文明復活後の人口がかなり大きいものなので、この重み付けとなるのだろう。

アンジェイ・ワイダ「大理石の男」

ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「大理石の男」のDVDがほぼ4年ぶりに出た。新版が出る前はプレミアム価格の中古品しか手に入らず、レンタル品もなかった状況だった。1977年の映画で、日本公開は1980年である。日本初公開時に映画館で観たが、そのタイトルさえうろ覚えとなっていて、ウィキペディアで調べなければわからないほどだった。

アンジェイ・ワイダ監督の名前は我が国ではよく知られていた。親日家であったことも有名である。作品名がよく話題となったのは、最初の「抵抗三部作」の中の「地下水道」と「灰とダイアモンド」だ。1980年当時はまだビデオは普及してなかったので、テレビと名画座だけが作品に接する場だった。「地下水道」はテレビで観たことがあったかもしれないがはっきりした記憶はない。もっと後にVHSで鑑賞した時のことはしっかりと覚えている。「灰とダイアモンド」に至っては、2016年にシネマート新宿で行われたポーランド映画祭で観たのが最初である。

アンジェイ・ワイダ監督のことを知ったきっかけもぼやけている。ぴあなどの情報誌から得た知識だったのか、それとも文学部に在籍していた友人との会話からだったのだろうか。

2016年10月9日のアンジェイ・ワイダ監督の訃報に接しても、作品が買えない、借りられない状態であったことにはほとほと困り果てた。「カティンの森」(2007年)、「ワレサ 連帯の男」(2013年)といった比較的最近の作品のDVDは借りやすく、とっくに観ていたのだったが。今年で8年目となる予定のポーランド映画祭に行くしかない。

「大理石の男」は、スターリン体制の50年代ポーランドで、労働英雄として国家に祭り上げられたが、時代に翻弄された男ビルクートを発掘しようとする映画学校の生徒を描く。ビルクートが記録された白黒映画内で、昼食が鰯1匹だった労働者の待遇改善を訴えて、雇用主に魚を投げつけるシーンの記憶は明瞭だった。食べ物を粗末にしてはいけない。もったいない。尾頭付きではないかと思ったのだ。今回見直して、主人公がずっとジーンズの上下で、サンドバッグ型のショルダーバッグを持っているのも、経済的に恵まれないことを主張していることがわかった。

クリストファー・ランバート、ショーン・コネリー「ハイランダー」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の感動に酔いしれたまま、クイーンの楽曲が7曲使用された映画「ハイランダー1」を見直した。1986年の作品だ。7曲中6曲がアルバム「カインド・オブ・マジック」に収録されている。ハイランダーとはスコットランド北部のハイランド地方の住民を指し、タータンチェックのキルトが伝統衣装である。クリストファー・ランバート演じるコナー・マクラウドは、1536年にハイランダーとして戦った時に「不死の者」として覚醒した。この世界には首をはねられない限り死なない不老不死の戦士たちがいて、最後の一人になるまで互いに闘い合い「集合の時」に至るという。

「不死の者」となる条件などは説明されないし、紀元前に作られた日本刀の謎もうやむやとなっていて、DVDのケースにはSF映画と書かれているがオカルト映画のカテゴリーにはいる。回想される16世紀のハイランドの光景は素敵だ。マクラウドの剣の師となり友人となる、スペイン王室冶金長官ホアン・ラミレスをショーン・コネリーが演じる。その伊達男ぶりは健在だ。完全に主役を食っている。これに対し、マクラウドのマディソンスクエアガーデンでの登場シーンは、白いスニーカーに日本刀を隠し持つためのトレンチコートと、ヤッピーファッションでダサく見える。もっとも、今年の流行から言えば、最新のおしゃれにあてはまるのかもしれないが。

続編の「ハイランダー2」は、一般には三流映画という評価が定着してるが、私は好きだ。クイーンの曲もないし、ハイランドの風景もないが。神秘主義を排除、SF的説明があり論理的である。なによりショーン・コネリーの出番が増えて、いい科白が多い。500年の眠りから甦ったラミレスは、自分の服装が時代に合わないことを察して、高級紳士服店で服を誂える。この場面がとてもいい。首刈り機械に追い詰められ絶体絶命となったときの科白「いのちを集中する、一時に、一点に、その時達成する、栄光を」を、私は、手術準備の際に集中するためいつも唱えていた。

佐藤友哉「転生!太宰治 転生して、すみません」

なぜか面白くて1日で読み終わった。その後も、何度となく読み返している。作者は、「灰色のダイエットコカコーラ」の佐藤友哉。

発売日は、2018年9月16日。Twitterでの高評価に導かれて、Amazonから購入・入手したのが2018年9月21日だ。いいスピード感で読書できた。このブログに書くのが、例のとおり遅くなったのは、読んでいなかった太宰治の最初の作品集「晩年」と、すでにその科白を忘れてしまったチェーホフの戯曲(チェーホフの名言が作中大きな役割を果たす)、作者の他の作品などを読んでいたからだ。

目次を書き出すのが一番の内容紹介になると思われる。

序 章 太宰、西暦二〇一七年の東京に転生する
第一章 太宰、モテる
第二章 太宰、心中する
第三章 太宰、自殺する
第四章 太宰、家庭の幸福を語る
第五章 太宰、カプセルホテルを満喫する
第六章 太宰、自分の本を見つける
第七章 太宰、ライトノベルを読む
第八章 太宰、メイドカフェで踊る
第九章 太宰、芥川賞のパーティでつまみ出される
第十章 太宰、インターネットと出会う
第十一章 太宰、芥川賞を欲する
第十二章 太宰、才能を爆発させる
第十三章 太宰、講談社に行く
終 章 太宰、生きる

はやりの転生ものの形をなしてはいるが、読後感はいわゆる「なろう」系ライトノベルとは一線を画している。文体模写に成功してて、まるで、太宰その人が書いた文章を読んでいるようだ。散りばめられた太宰の作品の言葉に気づくたびに、ニヤニヤ笑いが自然と浮かんでくる。意味がそのままでは通らない場所に出合ったら、ググればいい。そこは太宰の引用だ。

坂口安吾が太宰の死後記した「不良少年とキリスト」を前にして、仮想座談会が開かれる。この章で扱った内容は重い。でも大丈夫、恨み節は出てくるが、生活を楽しみ、目標を見つけ意欲に満ち溢れることになるから。

鷹匠裕「帝王の誤算」

作家、鷹匠裕のメジャーデビュー作の、企業小説・経済小説です。作者は、私と同じ年に東京大学に入学し、同じ演劇系サークルで活躍していた古くからのダチであります。東大文学部卒業後、業界第2位の広告代理店に就職し、コピーライター、ディレクター、プロデューサーを経て作家となりました。

作者のインタビューがWebに掲載されていますので、リンクを貼っておきます。

広告業界出身の著者が描くリアル企業小説! 『帝王の誤算』刊行記念インタビューhttps://kadobun.jp/interview/128/9bff07cf?fbclid=IwAR1CGOhoy5MjGEJ2XfmHV_0htQci2seNzhAYf-7dAlpaPDHKlWtttyzoWZk

帯のキャッチコピーがセンセーショナルですが、帯は出版社が書いた宣伝文であり作者は一切関知していないということです。この業界で起こった、新入社員の痛ましい事件の記憶がまだ生々しい現在、本文は抑えに抑えて書かれています。インタビューにある通り、業界全体を理解してもらいたいという思いのなせるわざなのでしょう。バブル以降の日本現代史の総まとめと捉えることもできます。

作者の自動車へのこだわりからか、最初の方の章で、国産自動車の宣伝にまつわるエピソードが描かれます。自動車に対する興味が薄い私にとっては、この部分を乗り越えるのがもっとも大変でした。クラウンやマークIIは高級乗用車の代表格だったんですか、知りませんでした。

シャーリーズ・セロン「アトミック・ブロンド」

シャーリーズ・セロン主演の、スパイアクション映画だ。2017年10月に映画館で観た。BDで見直したのは先月だ。監督はデビッド・リーチ。シャーリーズ・セロンは制作も兼任している。舞台は、ベルリンの壁崩壊が迫る1989年のベルリン。MI6所属の、ブロンドの女スパイ、ローレン・ブロートンの活躍が描かれる。

1980年代のヒット曲の数々が劇中流れる。とくに懐かしさを掻き立てられたのは、2曲目、オープニング・タイトルバックで使われた、デヴィッド・ボウイの「プッティング・アウト・ファイア」だ。この曲は、1982年の映画「キャット・ピープル」の主題歌である。

筆者が最大の敬慕の念を捧げる女優、ナスターシャ・キンスキーは、ロマン・ポランスキー監督の映画「テス」を出世作として全世界で賞賛を浴びた。この映画のナスターシャ・キンスキーの美しさは驚異にほかならなかった。次に日本で公開された主演作が「キャット・ピープル」だ。黒豹に変身する一族を描いた伝奇物語である。マルコム・マクダウェルが兄の役で出演した。

クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」が、「アトミック・ブロンド」の最後に背景を飾る。奇しくも、クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開が2018年11月9日に迫っている。この映画も必見だ。

シャーリーズ・セロンは2005年の映画「イーオン・フラックス」で、2415年の未来を舞台としてアクションを披露している。監督はカリン・クサマ。この映画では、SFXとVFXを多用して未来のアクションが描かれ、敵役はイーオンのすごい能力で一瞬のうちに倒された。

「アトミック・ブロンド」は、拳銃アクションもあるが、中心となるのは肉弾戦のアクションである。役作りのために8人のトレーナーとトレーニングに励んだということだ。本格的な格闘であり、「イーオン・フラックス」と異なり、一人ひとりを確実に倒していかなければならない。青あざの痛みが実感できる。総じて、魅力ある主人公の実体感のあるアクション映画と評すればいいだろうか。

カルメン・マキ「45th Anniv. Live ~Rock Side & アングラ Side~」

67歳になって、今も現役でライブハウスに出ているカルメン・マキの、デビュー45周年記念公演のLIVE映像作品だ。Rock Sideとして、2014.11.25にLIQUIDROOMで行われた、「カルメン・マキ&OZ」奇跡の復活となったLIVEが、アングラ Sideとして、2015.2.6-7のザムザ阿佐谷での、「時には母のない子のように」を含む寺山修司作詞の楽曲と、「天井桟敷」の演目、詩の朗読パフォーマンスが収録されている。

カルメン・マキは1968年に寺山修司率いる「天井桟敷」に入団し、17歳のとき、1969.2に寺山修司作詞の「時には母のない子のように」で音楽界にデビュー。ミリオンセラーの大ヒットを成し遂げた。その頃筆者は小学校6年から中学校1年だ。思春期の少年として、まっすぐなロングヘアーに憧れた。カツラだったと聞いたときは、動揺を隠せなかった記憶が残っている。このLIVEには収録されていないが、2番目のシングル「山羊にひかれて」がとても好きだ。作詞はやはり寺山修司である。

1970年にロックに転向した。ファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」は1975.1だ。ロックシーンでは強めのカーリーヘアにしている。「カルメン・マキ&OZ」の活動は知っていたが、当時の洋楽ロック中心の音楽事情では、なかなかその楽曲に接する機会がなかった。1979年に、村上龍の芥川賞受賞作品「限りなく透明に近いブルー」が、村上龍自身が監督の映画ということで鳴り物入りで公開。世間の映画評は気にせず映画館で観た。主題歌はカルメン・マキのロックだった。「青白い夕焼け」である。とにかくこの曲でカルメン・マキに惚れ直した。残念ながらこの曲もこのLIVEでは演じられていない。

自分の主宰してた劇団で、練習開始の曲として、全員腰を割った姿勢で毎日「青白い夕焼け」を歌うことにした。今、調べると4分19秒の曲だ。足腰の体感時間は、ずっと長い曲での辛いトレーニングだった。

筆者にとって、天井桟敷でのアングラ活動がなければ、ロックシーンでの活動にも関心をそそられることはなかったはずだ。ロックとアングラの両面で構成された、この映像作品はとても心に響く。

「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」

スマホゲームFate/Grand Orderが流行ってる。職場のスタッフの何人かに勧誘された。Fate関連のアニメはだいたい観てるが、FGOは遊んでいない。リヨの漫画「マンガで分かるFGO!」を先に読んでしまったので、宝具演出がスキップできなくて、ゲームに時間を取られすぎると筆者が思い込んでいるからだ。もともとのFateの世界は、アーサー王と聖杯伝説から始まる。

筆者にとってアーサー王と聖杯伝説の原点は、1979年に某大学の文化祭で観た「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」だ。何度もDVDで見直している。モンティ・パイソンはケンブリッジ大学とオックスフォード大学のコメディサークルから生まれた知的なコメディグループで、モンティ・パイソン以前と以後でコメディの歴史が変わったと言われるほどその影響力は強かった。この映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」は、低予算で馬1匹も出せず、役者はみんな何通りもの役をこなしている。低予算を逆手に取ったギャグがてんこ盛りだ。「未来世紀ブラジル」、「12モンキーズ」などの名作映画をこの世に送り出すことになるテリー・ギリアムと、歴史学者でもあるテリー・ジョーンズの2人が共同監督をした。

トマス・ブルフィンチの「中世騎士物語」を読んで、アーサー王伝説の全体像を捉えたのは、映画よりずっと後になってからだ。岩に刺さった選定の剣とエクスカリバーは別物であることを知った時はショックだった。その前にハービー・ブレナンのゲームブック「グレイルクエスト」(当時の名称はドラゴン・ファンタジー)をやった。フーゴ・ハルの挿絵では、魔術師マーリンがディズニーの映画「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」に出てくる魔法使いのようなコスチュームで描かれている。このマーリンのお喋りは、とても印象的だった。筆者がジェンダーを無視して、自分の娘の名をこの偉大な魔法使いからいただいたぐらいにだ。

Fateの世界では、アーサー王、アルトリア・ペンドラゴンは女性として描かれている。川澄綾子が声を演った。リヨぐだ子がただ「青い」と表現したのが彼女だ。ジェンダーの変換は、筆者のほうが早かった。

沼口麻子「ほぼ命がけサメ図鑑」

とにかく面白い。サメについて、生物学的にも水産資源としても興味を満たしてくれる。作者の実体験を含めて、多面的なサメ話が語られる。

2018年5月10日の発行日の前に予約注文して、発行日に手に入れ2日間ほどで読了していたのだが、クリニックのスタッフに貸し出していたため、このブログで紹介するのが遅くなってしまった。

人食いザメというものは、映画「ジョーズ」で植え込まれた誤解であることが、最初に記されている。サメは殺し屋の悪役ではなく、臆病な愛おしい生き物であると。

生物学的知識としては、普通の魚が硬骨魚類であるのに対し、サメとエイは軟骨魚類に属すこと。胎生のサメが7割で、さらに多様な繁殖形態に分類できることなど、いろいろなことが勉強できた。

私の記憶では、昭和30年代、東京の庶民の食卓によくサメ肉の料理がのぼった。決して一部の地域に限定されて食べられている食材ではない。水産資源としてのサメの話、サメ料理の話も盛りだくさんである。作者が、サメを愛するあまり、サメを絶対に殺してはいけないなどと言い出すことはないところがいい。

水族館は私の好きなスポットだが、2016年11月に大洗水族館に行ったのが最後となっている。このときはタコばかり見ていた。基礎知識を豊富に仕入れたので、これからはサメもじっくりと見ることができる。

大洗で見たドチザメ。コバンザメ(サメ類ではなくスズキ目)にくっつかれてる。

アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」

チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキーの、23年ぶりの映画作品となる自伝的映画「リアリティのダンス」(2013)をレンタルDVDで観た。生まれ育ったトコピジャを中心とした話となる。次作「エンドレス・ポエトリー」(2016)でサンティアゴ時代が描かれ、このBD&DVD発売が2018年9月に予定されている。ともに、マジックリアリズムに彩られた作品だ。

ホドロフスキーは、1970年発表の映画「エル・トポ」が伝説的カルト・ムービーとして知られている。ジョン・レノンやアンディ・ウォーホル、ミック・ジャガーなどから絶賛されたという。日本での公開は遅れに遅れて1987年だ。筆者が観たのはつい最近のことである。監督が好き勝手に、閃いたイメージとストーリーを展開させた映画というレッテルを貼られていたが、予想外に観やすい作品だった。前半は小気味よいテンポで卑怯な戦いが続く。後半は、ヒッピー文化最盛期の瞑想的映画とも言える。

筆者がホドロフスキーを知ったのは、フランク・パヴィッチによるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」によってである。2014年7月16日渋谷UPLINKで観た。デヴィッド・リンチが1984年に撮った「デューン/砂の惑星」は、映画ファンも原作ファンもがっかりする出来栄えで、批評家の評価、一般の評価ともに低かった。筆者も映画後半のまとめ方が安直で好きではない。ホドロフスキーによる「DUNE」は1975年に製作開始されたが途中でおじゃんとなった。その顛末を描いた映画が「ホドロフスキーのDUNE」だ。

マジックリアリズムというと、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」に代表される、ラテンアメリカ文学が有名だ。ガルシア=マルケスは好きな作家で、代表作はほとんど読んでいる。映画化された「コレラの時代の愛」を2008年に観たが、映像があまり魔術的ではなく期待はずれだった。「エンドレス・ポエトリー」は、まだ観ていないが、評判からすると心待ちにしていいようだ。