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新宿梁山泊「ユニコン物語」

2018年6月17日、新宿花園神社で、新宿梁山泊の紫テント公演「ユニコン物語」を観た。

唐十郎率いる紅テント、劇団状況劇場での初演は1978年の春だった。池袋駅東口びっくりガード横にテントを張って、常田富士男が客演したことは思い出した。西武デパート池袋店に、まだ西武美術館があった時代であり、池袋を芸術の中心地と呼んでもおかしくなかった頃の出来事だ。冒頭のカツ丼が空を飛ぶシーンははっきり覚えているが、もうほとんどの記憶がかすれている。根津甚八が状況劇場で最後に主演したのは「ユニコン物語」ではなかったっけ? いや、それは「河童」だったっけ?

劇団唐ゼミで唐十郎による改訂版「ユニコン物語 溶ける角篇」が2006年に上演されたようだが、これは観ていない。金守珍によれば、オリジナルの台東区篇の再演は今回が初めてということだ。

テント芝居では、必ず桟敷席でかぶりつきに座ることを自らに課して来たのだったが、腰がいよいよ耐えられなくなって、階段指定席というものを初めて取った。背もたれ付きのクッションが用意されていて、桟敷にベタずわりするのと比べると信じられないくらい楽だった。

今回も大久保鷹が出るので観に行ったのだ。なかなか出番が回ってこなかったが、昔よくやってた、唇と鼻の間の三角形を緑色にべったりと塗るメイクをしていた。

装置が状況劇場と比べると、全体に立派できっちりと作ってあった。どこからお金が出ているんだと思ったら、文化庁の文化芸術振興費補助金を取得していた。ネンネコ社本社ビルは、状況劇場ではリアカーの屋台みたいなものだったので、

医者 なんか柔構造らしいね

看護婦 はい、どんな地震でも耐えますが、体当たりには弱いらしいですわ

という科白が生きたのだ。

大久保のロケット工場で上演された状況劇場の「糸姫」(1975年)で、小林薫がオートバイで爆音を上げて、舞台上、目の前で回転するのを見て衝撃を受けた。今回の大鶴義丹のバイクアクションは「だから何?」という感想となってしまった。昔と違って、騒音問題で近隣住民の手前、爆音を上げるわけには行かないんだろうなあと同情しておこう。

同時期に上演された劇団唐組の「吸血姫」で、主演した大鶴義丹の異母妹、大鶴美仁音の評判が良い。唐組は唐十郎が倒れてから観に行ってなかったが、次の公演も大鶴美仁音が出るなら足を運ばなくては。

八島游舷「天駆せよ法勝寺」

第9回創元SF短編賞受賞作である。仏教スペースオペラだ。

作者の八島游舷は、「Final Anchors」で2018年の第5回星新一賞グランプリ、「蓮食い人」で同優秀賞をダブル受賞もしている。

仏教などの東洋的と感じられるものを発展解釈して作り上げたSFというと、私がまっさきに思い浮かべるのは、士郎正宗の漫画「仙術超攻殻ORION」だ。1991年に単行本が出た。日本神話、クトゥルー神話、仏教、仙術と量子力学が混ぜ合わされている。

「天駆せよ法勝寺」も、いずれ映像化されるだろうと作者をして言わしめるように、ビジュアルな描写に満ちている。テンポよく話が進み、共感度は高い。だが、活動的な女主人公の活躍がないことは、「仙術超攻殻ORION」に魅力の点で負けている。転生佛となるサルジェはいい子すぎるのである。

新しい作家の作品が、短編1つでも簡単に読めるようになったことは、とても喜ばしいことだ。

「仙術超攻殻ORION」と「攻殻機動隊」

高木刑「ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地」

2016年4月に開講した「ゲンロン 大森望 SF創作講座」第1期を受講し、最優秀賞にあたる「第1回ゲンロンSF新人賞」を受賞した高木刑の受賞作が、何度もの改稿を経て電子書籍化された。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」の全記録は「SFの書き方」として2017年4月に出版され、シートン動物記に想を得た高木刑の短編「コランポーの王は死んだ」が掲載されている。

大森望の言葉を引用すれば、2020年代の日本SFを背負って立つ才能の出発点を見逃してはいけない。

時は、異人(宇宙人)の来訪から約100年経った17世紀のはじめ。理解不能の超技術の機械を、異人は地球人に与えたが、知恵は与えなかった。異人からもたらされた宇宙船により外宇宙旅行が可能となり、地球人は植民惑星を作り上げた。宙洞という特別な空間を渡り、光の速さを超えるのである。それでも、人々は敬虔なキリスト教徒であり、実際の17世紀人の世界観を持ったままだった。

またもや神の子が死んでいる。

地球から遠く離れた不毛の植民惑星にそそりたつ十字架の上で、キリストそっくりの死体が磔となって現れた。

煉獄の描写かと思えるような、イメージが広がっていく。似たものを探すと、絵画ならばヒエロニムス・ボスとサルバドール・ダリか。SF小説ならば、コードウェイナー・スミスの「シェイヨルという名の星」が思い浮かぶ。

物語の最初から登場する無垢な修道女カタリナが、終盤で活躍するのだろうと期待して読んでいたが、肝心なところでは聖船に戻り不在だった。ジャンヌ・ダルクのような英霊にもならなかったし、聖母マリアの慈悲も施してくれない。傷口に指を突っ込むのが役割とは。大地は救済されたかもしれないが、読者の心を含めて救済されなかったものは多い。

シーロ・ゲーラ「彷徨える河」

川を遡る物語。

Netflixで配信されたアニメ「A.I.C.O. Incarnation」は、黒部川を遡上する物語であり、期待以上におもしろかった。冥府巡りの一種のロードムービーだ。

川を遡る映画というと、まっさきに思い出されるのは、フランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)だろう。メコン川を遡り、ベトナム戦争の狂気の中を分け入っていく。2001年にコッポラ自身の再編集により「特別完全版」が作られ50分近いシーンが復活された。長くはなったが、物語の中に入り込むことが容易になった。これから見る人には特別完全版の方を勧める。

ベルナー・ヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」(1972年)は、アマゾン川を狂気とともに筏で進んでいく名作映画で、筆者が大いに感銘を受けた映画の1つだ。クラウス・キンスキーが主演した。しかし、これは川を下る物語だ。同じヘルツォークの「フィツカラルド」(1982年)はアマゾン川を上っては行くが船の規模が大きく、山登りのお話のほうが中心となっている。

コロンビア出身の映画監督、シーロ・ゲーラの「彷徨える河」(2015年)は、先住民族のシャーマン、カラマカテとともにアマゾン川を小舟で遡り、幻の薬用植物ヤクルナを探す旅を描いた白黒映画だ。最初はドイツ人の探検家、2回目はアメリカ人の探検家と、数十年の時を隔てて2回川上りが行われる。1909年と1940年に記された2人の白人探検家による2つの日誌が、脚本の基となっているということだ。アマゾン川とそのジャングルの中で息づいていた、失われていく先住民族の文化と魂に触れることとなる。

古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」

2017年メディアワークス文庫版

2005年電撃文庫版

最近気がつきました。古橋秀之の珠玉の短編集、「ある日、爆弾がおちてきて」が新装版となってメディアワークス文庫から2017年5月に復刊されていたことを。「時間SFもの」で統一した、ボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーズです。旧版は電撃文庫から2005年10月に出版されました。今回の新装版では、書き下ろしの短編が1本追加されています。

新海誠監督の2016年のアニメ映画「君の名は。」で、3年の時を超えて少年と少女が出会います。似た設定の話をどこかで読んだはずだという記憶を手繰って、「ある日、爆弾がおちてきて」に収録された「三時間目のまどか」を思い出しました。

ここで脱線します。古くからの新海誠のファンとしては、「秒速5センチメートル」のせつない思いはとても大切なものです。「君の名は。」を観た方は、ぜひとも「秒速5センチメートル」も観てください。

大森望編のアンソロジー

さて、電撃文庫版は手に入らなくなっていたのですが、いろいろ調べて大森望編集のアンソロジー「不思議の扉 午後の教室」に「三時間目のまどか」が収載されていることを知りました。無事、2016年のうちに読み直すことができました。

ジャック・フィニイの短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」

時間を隔てた恋愛を描いたSFの原点は、ジャック・フィニイの「愛の手紙」だということです。「ゲイルズバーグの春を愛す」に載っています。いろいろなレビューに書かれているとおり、ラストの翻訳のニュアンスが原文と異なります。

堤幸彦「サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜」

前回に引き続き、世間様とは食い違って筆者の評価が高い映画を紹介いたします。ホラーというジャンルはどちらかと言えば嫌いですが、またホラー映画です。3Dアクションホラーゲームの「SIREN」が原作ということになってますが、ゲームとは別物と考えたほうがいいのでしょう。ゲームが原作の映画にありがちなこととして、ゲームをプレイした視聴者はぼろくそに悪く言い、ゲームと無縁の人はそれなりの評価をする傾向があります。本作の一般レビューにも当てはまります。筆者も、原作ゲームはまったくやっていません。映画のみを観て好評価を出しています。

主演は映画「海を感じる時」(2014)で体当たりの演技を披露した市川由衣で、映画初主演がこの2006年の「サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜」となります。監督は「銀幕版スシ王子!」「20世紀少年3部作」「はやぶさ/HAYABUSA」の堤幸彦です。

映画の舞台となる夜美島のロケは八丈島で行われました。この映画の最高にいいところは、八丈島の風光明媚な自然と独特な街並みです。評価基準が前回の投稿と同じですね。空路で東京から55分と決して遠くはない八丈島ですが、機会がなく一度も行ったことがありません。たかまつやよいの漫画「流されて八丈島」は読んでいますが。

背景に流れる音響をこだわりを持って作り上げていて、世界初サウンド・サイコ・スリラーのキャッチコピーが付けられています。ホラー映画によくあるだろう、後を引く陰湿な感じがないことで救われた思いがします。

謎のサイレンの音とともに、人魚伝説が絡んで物語は進行していきます。人魚姫らしい赤い衣の少女(高橋真唯)の謎は最後まで明かされません。松尾スズキの「島を徘徊する男」が、好き勝手な動きをしてるところが演技としていい感じです。クライマックスの鉄塔のシーンは、御殿場の実際の鉄塔を使い、高さ20メートルで撮影したとWebに書かれています。

最後のシーンで、屍人大虐殺へと突き進んでいくことが示唆されます。続編があるとしたら、今度はアクション映画となるでしょう。ルースター・ティース制作「RWBY」の”Red”のトレイラーが思い浮かびました。

リチャード・スタンリー「ダスト・デビル」

個人的に筆者にとっては評価が高いのに、世間一般では忘れ去られてしまった映画を紹介します。1992年のホラー映画「ダスト・デビル」です。2つ前の勤務先、東京船員保険病院(現JCHO東京高輪病院)の当直室で1995年ごろ観たのが最初の出会いでしょう。DVDは未発売ですが、中古で買ったVHSは持っています。

舞台は、アフリカのナミビア。ナミビア沖では、日本の遠洋マグロ延縄漁船が操業しています。遠隔の地ではあっても、日本との縁はしっかりとある国です。延縄漁の1年半にも及ぶ航海はさぞかし大変なことと想像いたします。

砂漠の悪魔ダスト・デビルが、存在の次元を高めるために猟奇的連続殺人を行うというストーリーです。ナミビアの景勝地でロケをしていて、映画がそのまま観光案内になっているところが特に気に入っています。ナミブ砂漠は、いつかは旅行してみたい憧れの地です。主人公の女性ウェンディが悪魔とともに立ち寄る、ナミビア最南端に位置する大渓谷フィッシュリバー・キャニオンの光景は、TVの画面では残念ながらその迫力が伝わってきません。できることならば映画館のスクリーンで見たかった。

かつてダイアモンド鉱山の拠点として栄えた砂の中に埋もれている街、コールマンスコップのゴーストタウンで、お話はクライマックスを迎えます。超自然の存在から逃れることができるのでしょうか。

コートジボワールに赴任した経験のある古くからの友人に、この映画の話をしたところ、「ナミビアは治安のいい国だ。内戦をやっている国の凄惨さは悪魔の恐怖とは桁が違う」と言われました。確かにそのとおり。

唐十郎「秘密の花園」

2018年の公演のパンフレット

1982年の公演のDVD

2018年1月25日に、池袋の東京芸術劇場シアター・イーストで唐十郎作、福原充則演出の「秘密の花園」を観た。東京芸術劇場がプロデュースするRooTSという企画の第5弾となる。アングラ世代の現代演劇の戯曲を、若手・気鋭の演出家が新たに解釈するというシリーズで、前作「あの大鴉、さえも」竹内銃一郎作、小野寺修二演出、小林聡美、片桐はいり、藤田桃子出演は、演出、演技ともになかなかおもしろかった。2016年10月のことだ。このブログに書くことはサボってしまった。

さて、唐十郎「秘密の花園」の初演は1982年で、本多劇場のこけら落とし公演にあたった。演出は文学座の小林勝也で、緑魔子、柄本明、清水紘治が出演した。この舞台を観たかどうかの記憶がどうもはっきりしない。1982年は、筆者は医師として2年目の丁稚奉公の時代であり、芝居を観に行く心の余裕はなかったはずだ。この舞台のDVDを2007年に購入して観ていること、1998年10月に鬼子母神でやった劇団唐組、唐十郎演出の「秘密の花園」を観ていること、以上と、劇団第七病棟の公演で、緑魔子の舞台をよく観ていたことから、記憶の混乱・捏造が起こっているようなのだ。

劇団唐組は、唐十郎が劇団状況劇場を解散した後に結成した、状況劇場と同じく紅テント公演をおこなう劇団で、旗揚げは1988年である。1998年の公演では、緑魔子が演ったいちよ/もろはを飯塚澄子が、柄本明のアキヨシを堀本能礼が、清水紘治の大貫を稲荷卓央が演じた。

唐十郎は、役者に合わせて脚本を当て書きする手法を用いる。「秘密の花園」は緑魔子に当て書きされている。1982年のころ、緑魔子、石橋蓮司の所帯に、あがた森魚が居候していたので、この人物相関図を唐十郎に書かれたと噂されていた。真実のほどは知らないが、だとすれば大貫の役は石橋蓮司に当たり重要であることがわかる。清水紘治、稲荷卓央の配役もうなずける。

今回の公演では、大貫を田口トモロヲが演った。もっとかっこよく、内に秘めたるものが大きい役をイメージしてたので期待と違った。アキヨシの柄本佑は、どうしてもお父さんと比べられてしまうのがかわいそうだが悪くはなかった。いちよ/もろはの寺島しのぶは、客観的にはいい演技と評価できるのだが、筆者の世代が緑魔子に抱く特別な感情の対象とはなりえない。

思春期のころからの憧れの女優が、自分の属する現代演劇の世界にやって来たのが、1976年12月の劇団第七病棟の旗揚げ公演「ハメルーンの鼠」だった。唐十郎の脚本で、演出は石橋蓮司ではなく黒テントの佐藤信だった。第2回公演「ふたりの女」は、1979年に町屋の第七病棟アトリエで公開された。このころちょうど町屋でバイトをしてたので、狭い路地が連なる街並みでも迷子になることはなかった。近い距離で緑魔子を見れたので喜びもひとしおだった。

小川一水「アリスマ王の愛した魔物」

表題作が、第42回星雲賞受賞の最新作品集。全5篇収録。

表題作は、2011年刊行の「結晶銀河」(2010年の年間日本SF傑作選)で既読でしたが、もっともユニークでしょうか。ラプラスの魔もかくやという計算力を発揮する、人力巨大コンピュータの話。教訓:3次元空間図形に関する問答をされたら、わけが分からなくてもとりあえず、「球」と答えておきましょう。命が助かるかもしれません。

書き下ろしの「リグ・ライトーー機械が愛する権利について」が一番おもしろかった。自動運転車のAIと、ヒト型ロボットのAIの話です。自動運転が発展普及しつつある、まさに現在に共鳴します。

筆者は自動車の運転は好きでありませんので、自動運転車の発達は大歓迎で、AIに権利を要求されたら、いくらでもくれてあげようという気持ちです。もっとも今乗っているのは13年間使用したコンパクトカーで、駐車補助機能などもなんにもついていませんが。

ヒラリー・スワンク「アメリア 永遠の翼」

現実のアメリア・イアハートとロッキード・エレクトラ

ミリオンダラー・ベイビーでオスカーを受賞したヒラリー・スワンクが、アメリア・イアハートを演じる伝記映画「アメリア 永遠の翼」(2009)を動画配信で視聴した。監督はミーラー・ナーイル。

1つ前に投稿したクリストファー・プリーストの「隣接界」で、もっとも印象深かったのが女飛行機乗りについて書かれた部分だったので、映像作品を探していて出会った。

アメリア・イアハートは、1932年に女性として初めて大西洋単独横断飛行を成し遂げたことで知られる、米国の代表的国民ヒロインの1人である。赤道上世界一周飛行にロッキード・エレクトラ10Eで挑戦中、1937年7月2日、給油のため太平洋にある米国領のハウランド島を目指していたが消息を絶った。現在は無人島であるこの島は、当時は入植が試みられていたようだ。

長距離飛行がまだ冒険の時代であり、資金集めに奔走し、その上で挑戦を続けたことが映画に描かれている。民間企業も軍の管轄下に置かれていた我が国とは異なり、個人が飛行機を購入して挑んでいたことに驚きを感じる。

このブログの筆者の父親は、戦前からの飛行機設計技師だった。1939年に東大の航空学科を卒業し、同期生は全部で9人である。当時は就職先も海軍が決めていたと聞いた。昭和飛行機での最初の仕事は、名機ダグラスDC-3のノックダウン生産だ。世界で最初の本格的商業旅客機と言われる、ダグラスDC-3は1936年の運用開始である。DC-3はエレクトラよりも航続距離が長いことを考えると、アメリアの運命は残念でしかない。エレクトラに行った改造、増設燃料タンクの設置はDC-3でも必要となっただろうが。

映画は戦闘機乗りのような激しい機動はなく、空撮部分は優雅な俯瞰映像に満ちている。アメリアの服装も、戦時中の飛行士とは異なる。「風の谷のナウシカ」のようなスピード感溢れる映像を期待してはいけない。