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クリストファー・プリースト「隣接界」

イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストの「隣接界」を2017年11月8日読了した。

訳者あとがきに紹介された、本書に関する作者のインタビューを要約する。「表紙が破り取られたペーパーバックを友人から借りて読んだ。前もっては、本の中身はさっぱりわからなかった。小説を目かくしして読むのは、忘れがたい経験になるんだと知った。だから、読者がそれと同じように『隣接界』を発見して欲しい。」

いっさいの予備知識なしで、読み進んでもらうことが作者の希望だ。

従って、紹介はごく簡単に済まさなければならない。本書は、プリーストの集大成的作品である。過去の作品でおなじみのモチーフ(奇術師、第1次世界大戦とH.G.ウエルズ、第2次世界大戦と飛行機乗り、テロの被害者、夢幻諸島)を使った世界が、その輪郭を曖昧にして隣接しあっている。

とくに、航続距離の短いスピットファイアでどこかへ飛び去ってしまった、女飛行士のくだりが幻想的で心に食い込む。

プリーストの小説は、「双生児」、「夢幻諸島から」、「奇術師」と本書「隣接界」を読み終えた。次は「魔法」を読む予定だ。

「ブレードランナー 2049」

映画「ブレードランナー 2049」を観た。

前作「ブレードランナー」を監督したリドリー・スコットは製作総指揮を務め、ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、ライアン・ゴズリングが主演だった。

現時点で、今作の内容に触れるとネタバレになるので、以下最初の「ブレードランナー」のことを語ることとする。

映画「ブレードランナー」の公開は1982年、ロードショーで観た。リドリー・スコット監督の映画は1979年の「エイリアン」から観ていた。1977年のデビュー作の「デュエリスト/決闘者」は観ていない。

環境破壊から酸性雨が降り続ける、2019年のロサンゼルスが舞台である。それまでは未来といえば明るいイメージが強かった。暗い未来の都市を、しっかりとした世界観に沿って大規模に描いたSF映画を観るのは初めての経験だった。この後、暗い未来世界の映画は珍しくなくなり、1984年に「デューン/砂の惑星」、1985年に「未来世紀ブラジル」と続いた。

ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのリーダーの最後には素直に感動したが、映画全体のあまりの異質さに、見終わった直後には秀作なのか凡作なのか、良かったのか悪かったのか、まったく判断できなかった。じわじわと強い印象が脳に染み透って行くのに1週間ぐらいかかったことを覚えている。

その後は、デザインを行ったシド・ミードの画集を買ったり、VHSでダリル・ハンナのシーンを繰り返し見たり、すっかりマニアになってしまった。

1982年の頃はインターネットはまだなかったので、雑誌「ぴあ」に代表された情報誌で調べて、映画を観に行くのが普通のやり方だった。いわゆる映画評論家の映画評がずらっと並んでいたが、「ブレードランナー」をちゃんと評価できた専門家はいなかった。やれ、お金の無駄遣いだ、などの酷評ばかりだった。試写の段階での映画評を、まったく信用しなくなったのはこの時からだ。

ロードショー期間の観客の入りも悪かったそうだ。最初はなかなか理解できなかったのは、私だけではなかった。

宮澤伊織「裏世界ピクニック」

ネットロア(ネット上の都市伝説)として流布している恐い話から取材した、死の危険と隣り合わせの異世界冒険が描かれる。

ロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」(1979)は、私の大好きな映画として5本の指に入る。岩波ホールで2回観た。現在使われるストーカーという用法は、この頃はまだなく密猟者という意味である。これの原作がアルカジイ&ボリス・ストルガツキーの「路傍のピクニック」だ。裏世界をゾーンと呼びボルト投げをして道を探す男が登場することから、この名作映画のシーンを思い浮かべながら裏世界をイメージすれば良いのは間違いない。

蛇足だが、タルコフスキーとは違った解釈でストルガツキー兄弟が書いた映画シナリオ「願望機」も出版されている。

私と同年代で映像に興味があった人は、もれなく観た「ストーカー」だが、もう時代が変わってしまった。VHSに始まり、DVD、BDと買い直す度に古いメディアを布教の旅に出したが、別の世代に受け入れられたことがない。下敷きとなった「ストーカー」は、ネットロア同様、知っている人間だけに作用する舞台装置なのではというレビューが某サイトにあった。

本書の続編中に息抜きのパートとして書かれた、冒険の反省会での、焼肉にまつわる非常に現実的な描写に笑いをこらえることができなかった。

藤井太洋「公正的戦闘規範」

藤井太洋初のSF作品集で、全5篇収録。表題作が一番おもしろかった。

2024年の中国、現在のプレデターなどの無人機による戦闘が発展し、さらに安価なドローンを用い、オペレータではなく搭載したAIが攻撃を行うようになった。これを開発したのは人民解放軍だったが、テロリスト側に劣化コピーされ、無差別テロ目的にキルバグが空にばらまかれていた。上海の日系ゲーム開発会社に勤めている元軍人の趙公正は、春節休暇で遠い新疆の故郷に鉄道で帰る途上、テロとの奇妙な戦いに出会う。

以下ネタバレ。

際限なく拡散するテロとそれへの応戦に歯止めを掛けるには、ドローンのオペレータを含め、戦闘に参加する人間は、必ず戦闘区域にいなければならない。そこには英雄譚的な物語性が必要であるとする。

比較的小規模な、不正規戦が中心の戦闘ならあり得るかもしれない。海軍、空軍が動員された大規模戦争でこの規則を定義するのは難しいと感じるが、現在の対テロ戦の流れに対するアンチテーゼとなっていて、提案の意外な方向性に目を醒まされる思いをした。

オーソン・スコット・カードの名作「エンダーのゲーム」的驚きも仕組まれている。演習ないしゲームだと思っていたものが、実際の生身の戦闘だったというやつだ。芝村裕吏の「マージナル・オペレーション」でも同じようなエピソードにより、主人公は罪の意識を背負うことになった。さらに、似た感覚を呼び起こされた小説として、橋本紡の青春小説「リバーズ・エンド」も挙げておこう。登場人物たちは実際の戦いであるとアナウンスされていたが、時空を隔てた異星人との戦いがゲーム感覚なものであり、「エンダーのゲーム」の演習を思い起こされた。

奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」

1960年代の新宿の街とモダンジャズ、将棋、落語、そして猫に積もる思いを描き上げた、奥泉光のSFエンターテイメント小説「ビビビ・ビ・バップ」を読了しました。

舞台は21世紀の末、電脳ウイルスのパンデミックをくぐり抜けたあとの世界で、ヴァーチャル・リアリティ技術、人工知能・アンドロイド技術が発展し、貧富の差がさらに拡大しています。パンデミックが起こらなければ、もっと凄いことになっていただろうと想像させられる未来です。その仮想空間に新宿ピットイン、末広亭を含む60年代の新宿の街が再現されます。

作者は1956年2月生まれで、私とは学年で1つ違いとほとんど同年代なはずですが、その興味の中心と嗜好はかなり異なるようです。

私にとって60年代の新宿は、唐十郎の状況劇場の記録や、蜷川幸雄のアートシアター新宿文化の回想で知っているだけの伝説の街です。高校生、大学生の時、実際に駆け回ったのは70年代の渋谷でした。音楽はロックならわかりますが、ジャズは結局好きになれなかったのでよくわかりません。映画「ラ・ラ・ランド」でフリー・ジャズピアニストのライアン・ゴズリングが、クロスオーバー・ジャズのバンドに参加し、それをエマ・ストーンに批判されるくだりが、どうして怒られなくてはいけないのか理解できなかった程です。将棋とか囲碁などの難しいゲームは、戦略、戦術、先読みの積み重ねが必要ですし、脳が疲れるので今のところ興味がありません。サイトで狙いトリガーを引くことをただ反復し、グレネードが転がる音がしたら逃げるといった反射でこなせるFPS(ファースト・パーソン・シューター)が、ゲームの中では一番好きです。落語は小学生のころ見たTV番組で経験が止まっています。飼っているのは犬です。

幸い主人公のジャズ・ピアニスト、フォギーはジャズは本業でも、60年代新宿、将棋、落語に関する知識は一般人なみという設定なので、仲間という親近感を持って読み進むことができました。

紙本ならば分厚いページ数に恐れをなすところですが、電子書籍版で読んだので圧迫感とは無縁でした。そして無事読み終えることができました。作者の熱い思い入れの饒舌に身を委ねられれば、ニッチな知識は後から身についてくることでしょう。

表紙はアンドロイドのエリック・ドルフィーです。

「Scarborough Fair」


アニメ「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」の第1回放送のオープニング曲に「スカボロー・フェア」が使われていた。「スカボロー・フェア」はイギリスの伝統的バラッドであり、その歌詞、旋律には様々なバージョンが存在する。多くの人の心に大切な記憶として植え込まれているのは、サイモン&ガーファンクルによる楽曲だろう。

この歌は、スカボローという街の市に行く人に、昔の恋人への伝言を頼むという形式を取っている。そして、海水と波打ち際の間に1エーカーの土地を見つけ、革製の鎌で収穫を刈り取るなどの不可能な仕事を成し遂げてくれれば、再び恋人になれるだろうと謡う。パセリ、セージ、ローズマリーにタイムと、香草の名前が一節毎に合いの手として入る。

「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」では、山田タマルが歌を、編曲を加藤達也が担当した。

地上を正体不明の怪物である17種の獣に征服され、人類が滅んだ世界。かろうじて生き残った種族は地上を離れ、レグル・エレと呼ばれる空飛ぶ群島の上に暮らしていた。地上が滅びる前の戦いで石化し、一人だけ死を逃れた準勇者の主人公が復活したのは500年後だった。借金を返すために引き受けた兵器管理の仕事で、ヒロインたち妖精兵と出会った。妖精兵はレプラコーンであり人類と同じことができ、かつて人間の勇者しか使えなかった聖剣を振るう、使い捨ての兵器と看做される存在だった。

2009年7月にシアター・クリエで観た椎名桔平、内田有紀主演の舞台「異人たちとの夏」でも、「スカボロー・フェア」が使われ、特にその歌詞が重要な役割を果たしていた。演出は鈴木勝秀。歌の中の一連の不可能な願いは、サイモン&ガーファンクル版や他のミュージシャンによるカバー版では短くされているが、元となったバラッドではいろいろなことが語られている。ぜひともWebで調べてみて欲しい。

そして、1967年のダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の挿入歌として用いられ、世界的に有名になったのが、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」だ。「卒業」はラストの、結婚式の最中に花嫁を奪い取るシーンで広く知られている。反体制的な若者を描いたアメリカン・ニューシネマを代表する作品である。

新宿梁山泊「腰巻おぼろ」

紫テント

宣伝美術は宇野亜喜良

1975年発行の初版本。豪華函入り

2017年6月22日、新宿、花園神社で紫テント、新宿梁山泊の「腰巻おぼろ」を観た。「腰巻おぼろ」は、唐十郎が、紅テント、状況劇場で1975年に初演した。42年経って、自他ともに認める状況劇場のスピリットの継承者の手による、初めての再演となった。

1975年春は、私は18歳で、駒場で学生演劇を始めたばかりの頃だ。受験勉強中の余暇に戯曲はそれなりに読み込んでいたが、実際の観劇体験はわずかだった。なんだかよくわからないうちに1本の公演を慌ただしく終わらせた時、もう大学を卒業している劇団の先輩達がやって来て、「腰巻おぼろ」に誘ってくれた。しかし、すでに予定を入れていた。唐十郎率いる状況劇場はとても面白い芝居を演り、自分の属する劇団メンバーの多くが状況劇場とその役者陣を大好きで、熱愛しているということは後で知った。今までの指導者が抜けたところで、当時の普段接していた指導層の先輩方がそれまでのカラーを払拭したくて、状況劇場は凄い、観るべきだという教育をあえて避けていたのだと聞いた。まったく、強く誘ってくれたら予定なんていくらでも動かせたのに。私自身の状況劇場初体験は、1975年秋公演の「糸姫」となった。桟敷席にすし詰めに座って舞台を観て、感動の嵐を味わった。

1975年は、野田秀樹が一浪から東大に入学し、さっそく駒場のお隣さんの劇団、東大演劇研究会で、作・主演で活動を開始した時でもあった。当時の東大演劇研究会は教育大駒場(今の筑波大駒場)卒の人間が幹部を占めていて、教駒であらずんば人にあらずという雰囲気だったのだが、1976年に劇団夢の遊眠社を旗揚げし、明るく楽しい新しい演劇が、花開いていく様を間近で見せてくれた。

さて、今回の42年前の満たされない思いに対するリベンジの、自分への言い訳は、過去に状況劇場に所属した俳優大久保鷹が当時と同じ役で客演するということだった。髪を可愛らしく段をつけてカットしていて小奇麗な印象を受けた。唐十郎の息子の大鶴義丹が、唐十郎が演じた「千里眼」の役をやった。しかし、父親との才能の差が歴然としていると感じるのは、過ぎ去った時に対する郷愁がさせるのだろうか。李麗仙ならば、根津甚八ならばと、考えてしまうのもどうしようもないことか。

テント芝居でいつもするように、桟敷席の一番前のかぶりつきに陣取り、3時間半じっと座って、役者の汗と唾液を受け止め、舞台から放たれる鯨の潮吹きの水を浴びた。初演は不忍池の水上音楽堂だったのだから、役者が水の中から登場し、観客はもっともっと水を浴びたことだろう。観客の多くが、アングラ演劇全盛の頃を知っている世代なので、平均年齢は高めだった。

小川一水、飛浩隆、他「BLAME! THE ANTHOLOGY」

2014年に第1期が、2015年に第2期が公開され高い評価を集めたアニメ「シドニアの騎士」の漫画原作者、弐瓶勉のデビュー作にあたるのが漫画「BLAME!」だ。2017年5月20日劇場アニメ版が、日本初のNetflixオリジナル映画として全世界へ配信開始された。

漫画「BLAME!」の連載開始は1997年であるが、単行本は新装版が2015年に全6巻で出版されている。

また、劇場アニメ版「BLAME!」配信開始に伴い、冲方丁によるノベライゼーション「小説BLAME! 大地の記憶」と、5人のSF作家(九岡望、小川一水、野崎まど、酉島伝法、飛浩隆)によるスピンオフのアンソロジー小説「BLAME! THE ANTHOLOGY」が発売された。監修・イラストは弐瓶勉が務めている。

原作者によると、「BLAME!」の主人公は無制限に広がる階層都市の巨大建築物かもしれないと。絵が中心となり、科白や説明は最小限のものとなっている。冲方丁の「小説BLAME! 大地の記憶」は、漫画の初めから新装版第2巻の中ほどまでを、言葉により描き出して原作を補完している。

「BLAME!」の世界観を拡張して味わえるのが、アンソロジー「BLAME! THE ANTHOLOGY」だ。5人の作家がそれぞれ存分に腕を振るっていて面白い。まず原作の世界観をしっかりと把握しておく必要はあるので、原作漫画全6巻と劇場アニメ版は前もって見ておくべきだろう。

劇場アニメ版は電基漁師の村のエピソードが中心である。珪素生物の描写は省かれている。

スターシステムが採用されているので、主要キャラのシボ、サナカンがどのように登場するのかも興味の対象となる。劇場アニメ版を原作より先に観た人は、原作を読み直してからもう1度映像を見直すと新たな発見に出会える。原作者によるセルフパロディのコメディ「ブラム学園!」(「ブラム学園!アンドソーオン」収載)も読んだほうがいい。

 

英『エコノミスト』編集部「2050年の技術」

西暦2050年の未来の様々な分野の技術革新の予測を、エコノミスト誌のジャーナリストに加えて、 科学者、起業家、研究者が語る。

エコノミスト誌編集長ダニエル・フランクリンの序章で、概括が説明され、それぞれの筆者の18の章が続く。未来予測のツール(手法)は、第1章で、エコノミスト誌を代表するテクノロジー・ライター、トム・スタンテージが述べる。未来の手がかりは過去のパターン、現在変化がまさに起きようとしている「限界的事例」、そしてサイエンス・フィクションが描く「想像上の未来」のなかに潜んでいると。

全体を通じて、人間の過ちに対する危惧は残るも、未来は今よりも明るいという基本姿勢で語られている。

また、SFが重要なツールであるとすることから、アレステア・レナルズとナンシー・クレス、2人のSF作家の短編が寄稿されている。アレステア・レナルズは代表作「啓示空間」の文庫本がサイコロと化す厚さが有名だが、本書のは短編であり安心していい。ナンシー・クレスは「プロバビリティ」シリーズで知られている。

MIT物理学教授、フランク・ウィルチェックが基礎物理学の立場から記した第5章が、もっともユニークな語り口で興奮を呼ぶ。扱っている範囲も幅広い。

医療については、メイヨー・クリニックのCEOジャンリコ・ファルージャが第8章で語る。医療はこの5年間だけでも大きく変わったと感じられるが、確かにもっと早く変わっていっていい分野だ。特にIBMのWatsonに代表される、自然言語を理解するAIの導入は2050年まで待つ必要はないだろう。大学の医学教育のあり方は変えなくてはならないし、新規技術導入のコストも問題となるが。

藤孝剛志、成瀬ちさと「即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。」

なろう系のラノベです。ジャンルはなろう系でメジャーな異世界転生/転移もの。主人公は結局最終的には勝つんだし、途中の戦闘シーンはいらないという割り切りのもとに書かれています。めんどくさい部分、ハラハラ・ドキドキする部分がないので、テンポよく爽快に読めます。ヒロインには一応、古武術、壇ノ浦流弓術の後継者という設定があります。しかし、状況に動じず割り切りが早いという性格の裏付けになっていますが、戦闘にはまったく反映されません。ひたすらツッコミ役に徹しています。

なろう系なので、小説投稿サイト「小説家になろう」で、無料で読めますが、書籍版ないし電子書籍版を購入する理由は、絵師である成瀬ちさとのイラストが素敵だからです。チューブトップの上に着た、開口部の多いワンピースのデザインは注目に値します。これもpixivなどで無料で見れますが。

即死系の呪文というと、Wizardryならば僧侶のLV5の呪文BADI(敵1体)、メイジのLV6の呪文LAKANITO(敵1グループ)に相当するでしょうか。確かにゲームでは、効果が不確実のためほとんど使用することがありませんでした。