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リチャード・スタンリー「ダスト・デビル」

個人的に筆者にとっては評価が高いのに、世間一般では忘れ去られてしまった映画を紹介します。1992年のホラー映画「ダスト・デビル」です。2つ前の勤務先、東京船員保険病院(現JCHO東京高輪病院)の当直室で1995年ごろ観たのが最初の出会いでしょう。DVDは未発売ですが、中古で買ったVHSは持っています。

舞台は、アフリカのナミビア。ナミビア沖では、日本の遠洋マグロ延縄漁船が操業しています。遠隔の地ではあっても、日本との縁はしっかりとある国です。延縄漁の1年半にも及ぶ航海はさぞかし大変なことと想像いたします。

砂漠の悪魔ダスト・デビルが、存在の次元を高めるために猟奇的連続殺人を行うというストーリーです。ナミビアの景勝地でロケをしていて、映画がそのまま観光案内になっているところが特に気に入っています。ナミブ砂漠は、いつかは旅行してみたい憧れの地です。主人公の女性ウェンディが悪魔とともに立ち寄る、ナミビア最南端に位置する大渓谷フィッシュリバー・キャニオンの光景は、TVの画面では残念ながらその迫力が伝わってきません。できることならば映画館のスクリーンで見たかった。

かつてダイアモンド鉱山の拠点として栄えた砂の中に埋もれている街、コールマンスコップのゴーストタウンで、お話はクライマックスを迎えます。超自然の存在から逃れることができるのでしょうか。

コートジボワールに赴任した経験のある古くからの友人に、この映画の話をしたところ、「ナミビアは治安のいい国だ。内戦をやっている国の凄惨さは悪魔の恐怖とは桁が違う」と言われました。確かにそのとおり。

唐十郎「秘密の花園」

2018年の公演のパンフレット

1982年の公演のDVD

2018年1月25日に、池袋の東京芸術劇場シアター・イーストで唐十郎作、福原充則演出の「秘密の花園」を観た。東京芸術劇場がプロデュースするRooTSという企画の第5弾となる。アングラ世代の現代演劇の戯曲を、若手・気鋭の演出家が新たに解釈するというシリーズで、前作「あの大鴉、さえも」竹内銃一郎作、小野寺修二演出、小林聡美、片桐はいり、藤田桃子出演は、演出、演技ともになかなかおもしろかった。2016年10月のことだ。このブログに書くことはサボってしまった。

さて、唐十郎「秘密の花園」の初演は1982年で、本多劇場のこけら落とし公演にあたった。演出は文学座の小林勝也で、緑魔子、柄本明、清水紘治が出演した。この舞台を観たかどうかの記憶がどうもはっきりしない。1982年は、筆者は医師として2年目の丁稚奉公の時代であり、芝居を観に行く心の余裕はなかったはずだ。この舞台のDVDを2007年に購入して観ていること、1998年10月に鬼子母神でやった劇団唐組、唐十郎演出の「秘密の花園」を観ていること、以上と、劇団第七病棟の公演で、緑魔子の舞台をよく観ていたことから、記憶の混乱・捏造が起こっているようなのだ。

劇団唐組は、唐十郎が劇団状況劇場を解散した後に結成した、状況劇場と同じく紅テント公演をおこなう劇団で、旗揚げは1988年である。1998年の公演では、緑魔子が演ったいちよ/もろはを飯塚澄子が、柄本明のアキヨシを堀本能礼が、清水紘治の大貫を稲荷卓央が演じた。

唐十郎は、役者に合わせて脚本を当て書きする手法を用いる。「秘密の花園」は緑魔子に当て書きされている。1982年のころ、緑魔子、石橋蓮司の所帯に、あがた森魚が居候していたので、この人物相関図を唐十郎に書かれたと噂されていた。真実のほどは知らないが、だとすれば大貫の役は石橋蓮司に当たり重要であることがわかる。清水紘治、稲荷卓央の配役もうなずける。

今回の公演では、大貫を田口トモロヲが演った。もっとかっこよく、内に秘めたるものが大きい役をイメージしてたので期待と違った。アキヨシの柄本佑は、どうしてもお父さんと比べられてしまうのがかわいそうだが悪くはなかった。いちよ/もろはの寺島しのぶは、客観的にはいい演技と評価できるのだが、筆者の世代が緑魔子に抱く特別な感情の対象とはなりえない。

思春期のころからの憧れの女優が、自分の属する現代演劇の世界にやって来たのが、1976年12月の劇団第七病棟の旗揚げ公演「ハメルーンの鼠」だった。唐十郎の脚本で、演出は石橋蓮司ではなく黒テントの佐藤信だった。第2回公演「ふたりの女」は、1979年に町屋の第七病棟アトリエで公開された。このころちょうど町屋でバイトをしてたので、狭い路地が連なる街並みでも迷子になることはなかった。近い距離で緑魔子を見れたので喜びもひとしおだった。

小川一水「アリスマ王の愛した魔物」

表題作が、第42回星雲賞受賞の最新作品集。全5篇収録。

表題作は、2011年刊行の「結晶銀河」(2010年の年間日本SF傑作選)で既読でしたが、もっともユニークでしょうか。ラプラスの魔もかくやという計算力を発揮する、人力巨大コンピュータの話。教訓:3次元空間図形に関する問答をされたら、わけが分からなくてもとりあえず、「球」と答えておきましょう。命が助かるかもしれません。

書き下ろしの「リグ・ライトーー機械が愛する権利について」が一番おもしろかった。自動運転車のAIと、ヒト型ロボットのAIの話です。自動運転が発展普及しつつある、まさに現在に共鳴します。

筆者は自動車の運転は好きでありませんので、自動運転車の発達は大歓迎で、AIに権利を要求されたら、いくらでもくれてあげようという気持ちです。もっとも今乗っているのは13年間使用したコンパクトカーで、駐車補助機能などもなんにもついていませんが。

ヒラリー・スワンク「アメリア 永遠の翼」

現実のアメリア・イアハートとロッキード・エレクトラ

ミリオンダラー・ベイビーでオスカーを受賞したヒラリー・スワンクが、アメリア・イアハートを演じる伝記映画「アメリア 永遠の翼」(2009)を動画配信で視聴した。監督はミーラー・ナーイル。

1つ前に投稿したクリストファー・プリーストの「隣接界」で、もっとも印象深かったのが女飛行機乗りについて書かれた部分だったので、映像作品を探していて出会った。

アメリア・イアハートは、1932年に女性として初めて大西洋単独横断飛行を成し遂げたことで知られる、米国の代表的国民ヒロインの1人である。赤道上世界一周飛行にロッキード・エレクトラ10Eで挑戦中、1937年7月2日、給油のため太平洋にある米国領のハウランド島を目指していたが消息を絶った。現在は無人島であるこの島は、当時は入植が試みられていたようだ。

長距離飛行がまだ冒険の時代であり、資金集めに奔走し、その上で挑戦を続けたことが映画に描かれている。民間企業も軍の管轄下に置かれていた我が国とは異なり、個人が飛行機を購入して挑んでいたことに驚きを感じる。

このブログの筆者の父親は、戦前からの飛行機設計技師だった。1939年に東大の航空学科を卒業し、同期生は全部で9人である。当時は就職先も海軍が決めていたと聞いた。昭和飛行機での最初の仕事は、名機ダグラスDC-3のノックダウン生産だ。世界で最初の本格的商業旅客機と言われる、ダグラスDC-3は1936年の運用開始である。DC-3はエレクトラよりも航続距離が長いことを考えると、アメリアの運命は残念でしかない。エレクトラに行った改造、増設燃料タンクの設置はDC-3でも必要となっただろうが。

映画は戦闘機乗りのような激しい機動はなく、空撮部分は優雅な俯瞰映像に満ちている。アメリアの服装も、戦時中の飛行士とは異なる。「風の谷のナウシカ」のようなスピード感溢れる映像を期待してはいけない。

クリストファー・プリースト「隣接界」

イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストの「隣接界」を2017年11月8日読了した。

訳者あとがきに紹介された、本書に関する作者のインタビューを要約する。「表紙が破り取られたペーパーバックを友人から借りて読んだ。前もっては、本の中身はさっぱりわからなかった。小説を目かくしして読むのは、忘れがたい経験になるんだと知った。だから、読者がそれと同じように『隣接界』を発見して欲しい。」

いっさいの予備知識なしで、読み進んでもらうことが作者の希望だ。

従って、紹介はごく簡単に済まさなければならない。本書は、プリーストの集大成的作品である。過去の作品でおなじみのモチーフ(奇術師、第1次世界大戦とH.G.ウエルズ、第2次世界大戦と飛行機乗り、テロの被害者、夢幻諸島)を使った世界が、その輪郭を曖昧にして隣接しあっている。

とくに、航続距離の短いスピットファイアでどこかへ飛び去ってしまった、女飛行士のくだりが幻想的で心に食い込む。

プリーストの小説は、「双生児」、「夢幻諸島から」、「奇術師」と本書「隣接界」を読み終えた。次は「魔法」を読む予定だ。

「ブレードランナー 2049」

映画「ブレードランナー 2049」を観た。

前作「ブレードランナー」を監督したリドリー・スコットは製作総指揮を務め、ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、ライアン・ゴズリングが主演だった。

現時点で、今作の内容に触れるとネタバレになるので、以下最初の「ブレードランナー」のことを語ることとする。

映画「ブレードランナー」の公開は1982年、ロードショーで観た。リドリー・スコット監督の映画は1979年の「エイリアン」から観ていた。1977年のデビュー作の「デュエリスト/決闘者」は観ていない。

環境破壊から酸性雨が降り続ける、2019年のロサンゼルスが舞台である。それまでは未来といえば明るいイメージが強かった。暗い未来の都市を、しっかりとした世界観に沿って大規模に描いたSF映画を観るのは初めての経験だった。この後、暗い未来世界の映画は珍しくなくなり、1984年に「デューン/砂の惑星」、1985年に「未来世紀ブラジル」と続いた。

ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのリーダーの最後には素直に感動したが、映画全体のあまりの異質さに、見終わった直後には秀作なのか凡作なのか、良かったのか悪かったのか、まったく判断できなかった。じわじわと強い印象が脳に染み透って行くのに1週間ぐらいかかったことを覚えている。

その後は、デザインを行ったシド・ミードの画集を買ったり、VHSでダリル・ハンナのシーンを繰り返し見たり、すっかりマニアになってしまった。

1982年の頃はインターネットはまだなかったので、雑誌「ぴあ」に代表された情報誌で調べて、映画を観に行くのが普通のやり方だった。いわゆる映画評論家の映画評がずらっと並んでいたが、「ブレードランナー」をちゃんと評価できた専門家はいなかった。やれ、お金の無駄遣いだ、などの酷評ばかりだった。試写の段階での映画評を、まったく信用しなくなったのはこの時からだ。

ロードショー期間の観客の入りも悪かったそうだ。最初はなかなか理解できなかったのは、私だけではなかった。

宮澤伊織「裏世界ピクニック」

ネットロア(ネット上の都市伝説)として流布している恐い話から取材した、死の危険と隣り合わせの異世界冒険が描かれる。

ロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」(1979)は、私の大好きな映画として5本の指に入る。岩波ホールで2回観た。現在使われるストーカーという用法は、この頃はまだなく密猟者という意味である。これの原作がアルカジイ&ボリス・ストルガツキーの「路傍のピクニック」だ。裏世界をゾーンと呼びボルト投げをして道を探す男が登場することから、この名作映画のシーンを思い浮かべながら裏世界をイメージすれば良いのは間違いない。

蛇足だが、タルコフスキーとは違った解釈でストルガツキー兄弟が書いた映画シナリオ「願望機」も出版されている。

私と同年代で映像に興味があった人は、もれなく観た「ストーカー」だが、もう時代が変わってしまった。VHSに始まり、DVD、BDと買い直す度に古いメディアを布教の旅に出したが、別の世代に受け入れられたことがない。下敷きとなった「ストーカー」は、ネットロア同様、知っている人間だけに作用する舞台装置なのではというレビューが某サイトにあった。

本書の続編中に息抜きのパートとして書かれた、冒険の反省会での、焼肉にまつわる非常に現実的な描写に笑いをこらえることができなかった。

藤井太洋「公正的戦闘規範」

藤井太洋初のSF作品集で、全5篇収録。表題作が一番おもしろかった。

2024年の中国、現在のプレデターなどの無人機による戦闘が発展し、さらに安価なドローンを用い、オペレータではなく搭載したAIが攻撃を行うようになった。これを開発したのは人民解放軍だったが、テロリスト側に劣化コピーされ、無差別テロ目的にキルバグが空にばらまかれていた。上海の日系ゲーム開発会社に勤めている元軍人の趙公正は、春節休暇で遠い新疆の故郷に鉄道で帰る途上、テロとの奇妙な戦いに出会う。

以下ネタバレ。

際限なく拡散するテロとそれへの応戦に歯止めを掛けるには、ドローンのオペレータを含め、戦闘に参加する人間は、必ず戦闘区域にいなければならない。そこには英雄譚的な物語性が必要であるとする。

比較的小規模な、不正規戦が中心の戦闘ならあり得るかもしれない。海軍、空軍が動員された大規模戦争でこの規則を定義するのは難しいと感じるが、現在の対テロ戦の流れに対するアンチテーゼとなっていて、提案の意外な方向性に目を醒まされる思いをした。

オーソン・スコット・カードの名作「エンダーのゲーム」的驚きも仕組まれている。演習ないしゲームだと思っていたものが、実際の生身の戦闘だったというやつだ。芝村裕吏の「マージナル・オペレーション」でも同じようなエピソードにより、主人公は罪の意識を背負うことになった。さらに、似た感覚を呼び起こされた小説として、橋本紡の青春小説「リバーズ・エンド」も挙げておこう。登場人物たちは実際の戦いであるとアナウンスされていたが、時空を隔てた異星人との戦いがゲーム感覚なものであり、「エンダーのゲーム」の演習を思い起こされた。

奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」

1960年代の新宿の街とモダンジャズ、将棋、落語、そして猫に積もる思いを描き上げた、奥泉光のSFエンターテイメント小説「ビビビ・ビ・バップ」を読了しました。

舞台は21世紀の末、電脳ウイルスのパンデミックをくぐり抜けたあとの世界で、ヴァーチャル・リアリティ技術、人工知能・アンドロイド技術が発展し、貧富の差がさらに拡大しています。パンデミックが起こらなければ、もっと凄いことになっていただろうと想像させられる未来です。その仮想空間に新宿ピットイン、末広亭を含む60年代の新宿の街が再現されます。

作者は1956年2月生まれで、私とは学年で1つ違いとほとんど同年代なはずですが、その興味の中心と嗜好はかなり異なるようです。

私にとって60年代の新宿は、唐十郎の状況劇場の記録や、蜷川幸雄のアートシアター新宿文化の回想で知っているだけの伝説の街です。高校生、大学生の時、実際に駆け回ったのは70年代の渋谷でした。音楽はロックならわかりますが、ジャズは結局好きになれなかったのでよくわかりません。映画「ラ・ラ・ランド」でフリー・ジャズピアニストのライアン・ゴズリングが、クロスオーバー・ジャズのバンドに参加し、それをエマ・ストーンに批判されるくだりが、どうして怒られなくてはいけないのか理解できなかった程です。将棋とか囲碁などの難しいゲームは、戦略、戦術、先読みの積み重ねが必要ですし、脳が疲れるので今のところ興味がありません。サイトで狙いトリガーを引くことをただ反復し、グレネードが転がる音がしたら逃げるといった反射でこなせるFPS(ファースト・パーソン・シューター)が、ゲームの中では一番好きです。落語は小学生のころ見たTV番組で経験が止まっています。飼っているのは犬です。

幸い主人公のジャズ・ピアニスト、フォギーはジャズは本業でも、60年代新宿、将棋、落語に関する知識は一般人なみという設定なので、仲間という親近感を持って読み進むことができました。

紙本ならば分厚いページ数に恐れをなすところですが、電子書籍版で読んだので圧迫感とは無縁でした。そして無事読み終えることができました。作者の熱い思い入れの饒舌に身を委ねられれば、ニッチな知識は後から身についてくることでしょう。

表紙はアンドロイドのエリック・ドルフィーです。

「Scarborough Fair」


アニメ「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」の第1回放送のオープニング曲に「スカボロー・フェア」が使われていた。「スカボロー・フェア」はイギリスの伝統的バラッドであり、その歌詞、旋律には様々なバージョンが存在する。多くの人の心に大切な記憶として植え込まれているのは、サイモン&ガーファンクルによる楽曲だろう。

この歌は、スカボローという街の市に行く人に、昔の恋人への伝言を頼むという形式を取っている。そして、海水と波打ち際の間に1エーカーの土地を見つけ、革製の鎌で収穫を刈り取るなどの不可能な仕事を成し遂げてくれれば、再び恋人になれるだろうと謡う。パセリ、セージ、ローズマリーにタイムと、香草の名前が一節毎に合いの手として入る。

「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」では、山田タマルが歌を、編曲を加藤達也が担当した。

地上を正体不明の怪物である17種の獣に征服され、人類が滅んだ世界。かろうじて生き残った種族は地上を離れ、レグル・エレと呼ばれる空飛ぶ群島の上に暮らしていた。地上が滅びる前の戦いで石化し、一人だけ死を逃れた準勇者の主人公が復活したのは500年後だった。借金を返すために引き受けた兵器管理の仕事で、ヒロインたち妖精兵と出会った。妖精兵はレプラコーンであり人類と同じことができ、かつて人間の勇者しか使えなかった聖剣を振るう、使い捨ての兵器と看做される存在だった。

2009年7月にシアター・クリエで観た椎名桔平、内田有紀主演の舞台「異人たちとの夏」でも、「スカボロー・フェア」が使われ、特にその歌詞が重要な役割を果たしていた。演出は鈴木勝秀。歌の中の一連の不可能な願いは、サイモン&ガーファンクル版や他のミュージシャンによるカバー版では短くされているが、元となったバラッドではいろいろなことが語られている。ぜひともWebで調べてみて欲しい。

そして、1967年のダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の挿入歌として用いられ、世界的に有名になったのが、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」だ。「卒業」はラストの、結婚式の最中に花嫁を奪い取るシーンで広く知られている。反体制的な若者を描いたアメリカン・ニューシネマを代表する作品である。