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蝸牛くも「ゴブリンスレイヤー」

ダンジョン探検を続ける日々を、私はいつから始めたのだったろうか。

「ゴブリンスレイヤー」は雑魚モンスターとされるゴブリンのみを仇とする、コミュ障気味の20歳の青年が主人公のライトノベルである。ゴブリンの集団による悪逆非道がリアルに描かれる。捕えられた人間に加えられる拷問の描写は、麻薬戦争を題材とした、ドン・ウィンズロウの血なまぐさい小説「ザ・カルテル」を思い出させる。

作者はテーブルトークRPG(TRPG)の「ダンジョンズ&ドラゴンズ」「異界戦記カオスフレア」、スティーブ・ジャクソン著のゲームブック「ソーサリー」に世界観などの影響を受けたと記している。

TRPGが日本で普及した大きなきっかけは、スティーヴン・スピルバーグの1982年の映画「E.T.」の冒頭で子供たちが「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に興じているシーンがあったからと記憶している。

「ソーサリー」には私も熱中した。日本では東京創元社から1985年に発売された。スティーブ・ジャクソンとイアン・リンビングストンにより始められたゲームブック、ファイティング・ファンタジー・シリーズは、社会思想社から翻訳出版された全巻をプレイした。

私の迷宮探索の中心は、コンピュータRPGだった。UNIXから生まれた「Rogue」がMS-DOS化されたのが1984年なので、同年中にはプレイしていたと思う。「Rogue」では、マップ、モンスター、アイテムすべてがASCII文字で表現された。迷宮は階が変わる毎にその都度自動作成された。

日本初のコンピュータRPG「ザ・ブラックオニキス」も1984年だった。日本人には剣と魔法の世界の、魔法が理解できないだろうと、戦闘時の攻撃手段に魔法がなく物理攻撃のみだった。ダンジョンのメインの入り口がわからず、ショートカットルートであり、最下層に強いモンスター、クラーケンが待ち受けている井戸を何度となく往復してパーティーを鍛え上げ、クラーケンを倒して進んだ。

もっとも入れ込んだのが「Wizardry」のシナリオ#1「狂王の試練場」だった。PC-98シリーズ版は1985年に出た。ワイアフレームで描かれた3Dダンジョンを1人称視点で1歩1歩進んでいく。最初はリセット技(リセットボタンに常に指を掛けておく)を知らなかったので、エナジードレインをくらってレベルを下げられたり、宝箱の罠テレポーターを作動させてしまって、石壁の中に飛ばされパーティー全員がロストする悲劇を味わった。パソコンでさんざん遊びきった後、ファミコン版が出た時には新たに充分にやり尽くした。さらにWonderSwanでもプレイした。

キセノンP「ENIGMA -Unveiled Secret Files- 」

はやぶさの人、キセノンPのアルバム「ENIGMA -Unveiled Secret Files-」が良いので紹介します。この1ヶ月ずっと聞いていました。メタルを中心とした72分の組曲です。歌うのは、初音ミク、鏡音リン、鏡音レン、巡音ルカのボカロ達。

ロックの組曲を集中して聞くのは、プログレのELP (Emerson, Lake & Palmer) 以来でしょうか。ここでも1970年代に閉じ込められてる自分を発見することとなりました。

全18曲からなる組曲ですが、圧倒的なのはクライマックスに位置する「Enigma Suite」です。

キセノンPはXM -Xenon Maiden- というユニット名で活動されています。

http://www.xenonmaiden.com/

メタルのアルバムなのでジャケ絵が背徳的なのは特に驚くことではありませんが、生理的にどうしても受け付けられない人がいるのは事実なので、タイトルだけを表示しておきます。

ジャケ絵といえば、メタルのジャケ絵の中でもっとも有名なのはIron Maidenのゾンビでしょう。これは1980年代のものですね。

万田邦敏「SYNCHRONIZER」

万田邦敏監督の映画「SYNCHRONIZER」を渋谷ユーロスペースで観た。

映画に登場する古い医療技術は、映画の主題以上に呪術的恐怖を引き起こす。

1973年の映画「エクソシスト」では、パズズに憑依された少女の診察に、コンピュータを用いないアナログな機械的装置である、管球とフィルムが動き回る断層撮影が登場する。EMI社のCTの発表は1972年であり、1973年の時点ではコンピュータ以前の断層撮影は標準的検査法であったのだろうが、悪魔以上に不気味な物体に見える。

1980年の映画「アルタード・ステーツ」では、ジョン・C・リリーの開発したアイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)による実験が描かれる。ペンプロッター式の多チャンネルアナログ脳波計が、今では、禍々しさを演出する小道具として目に映る。実験の結果、遺伝子に潜む系統発生の記憶が解放され、主人公の細胞は変化し類人猿と化してしまう。「SYNCHRONIZER」は、医学実験から新しい生命形態が誕生するなど、この「アルタード・ステーツ」に近いものを感じさせる。

認知症治療の研究のため、ヒトとヒトの脳波を同期させる。映画内で扱われるのは脳波であり、映像で見栄えのする、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)やポジトロン断層法(PET)などの最近の脳機能イメージングではない。グロテスクな眼帯様の電極を装着し、正弦波状の脳波(脳波のようなもの)を2つ重ね合わせる。「新世紀エヴァンゲリオン」のインターフェイス・ヘッドセットを介したシンクロを思い浮かべれば理解しやすいだろうが、エヴァのような未来的な格好いいものではない。昭和の時代の民家の中で、昭和の家具に囲まれて実験は継続される。

筆者は視覚誘発電位などの電気生理学的測定の経験を多数持っているが、これはノイズとの戦いである。ハムノイズを極力減らした環境を作り上げ、シグナルよりずっと大きな筋電図などの影響の中から目的とする電位変動を取り出さなければならない。基線の動揺などの誤差要因は、それでもなくならない。測定値は常に誤差を含んでいる。

映画の文脈に合わせて書けば、1個1個の数字の裏に必ず魔が潜んでいるのである。

 

Project Itoh 「虐殺器官」

2017年2月9日、映画「虐殺器官」を観た。

2009年3月に34歳の若さで病没した、作家伊藤計劃の小説「虐殺器官」「ハーモニー」と、冒頭部が絶筆として遺され、盟友の円城塔が書き継いだ「屍者の帝国」の3作を劇場アニメ化する企画がProject Itohである。3つの映画をそれぞれ別のスタジオが制作したが、キャラクター原案をすべてイラストレーターredjuiceが行い世界観の統一が図られた。また、主題歌は全作品でEGOISTが担当した。アルバム「リローデッド」に収められている。2015年10月に映画「屍者の帝国」が、2015年11月に映画「<harmony/>」が封切られた。

映画「虐殺器官」は、製作会社の倒産があり公開が危ぶまれたが、新たなスタジオ「ジェノスタジオ」を設立しての制作再開となった。2017年2月3日、無事公開初日を迎えた。

3作品とも、ほぼ、原作小説に忠実な映像化が行われている。「虐殺器官」では、内省的な描写である主人公とその母親との関係性はあえて省かれているが、これにより物語の進行を映像のリズムとスピードで表現することが可能となった。

小説「虐殺器官」は伊藤計劃のデビュー作で、2007年6月発行。文庫版の刊行は2010年である。私が原作を初めて読んだのは、小説「ハーモニー」の英訳版が2011年4月にフィリップ・K・ディック記念特別賞を受賞したとの報からで、2011年5月に小説「ハーモニー」とともに読破した。米国の名の通ったSFの賞を、日本のSF小説が受賞したのは初めてだったのだ。

ノーム・チョムスキーの提唱する生成文法の理論に則って「虐殺器官」は書かれている。概念の説明のための会話が、アクションとアクションの間に多数挿入されているが、冗長となることはなかった。しかし、原作小説を未読であるか、生成文法に関する基礎知識をまったく持たない人が、いきなり映画を観たら違った感想を抱くかもしれない。

視覚に訴えるのであたりまえではあるが、SF的ガジェットの描写は映画の方が原作よりずっとわかりやすい。とくに、部隊員を入れて高空から目的地に射出される人工筋肉を用いたイントルード・ポッドは、原作でも映画でも最初の方から出てくる。原作の「巨人のボールペンのような漆黒の棒状の物体」ではイメージしきれなかった。バリエーションによる違いも巧妙にデザインされていた。

プログラムの表紙にはジョン・ポールが描かれている。

ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」

IMG_2739 41WML4ynyFL小説のあらすじを知ったのは、1960年代の小学生の頃。定期購読していた漫画雑誌の巻末にSF小説を紹介する記事があり、そこからという、文章を通じての知識の獲得だったはずだ。候補となる雑誌は3つしかない。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載された光文社の月刊誌「少年」。同じく光文社のカッパ・コミックス「鉄腕アトム」と「鉄人28号」のシリーズで、これらも月刊で刊行されていた。少年サンデーや少年マガジンなどの週刊漫画雑誌が主流となる前の時代だった。

小説が発表されたのは1951年で、冷戦による世界的緊張のさなか、核戦争による人類滅亡が素肌で感じられた時代の影響を受けている。この後の1961年にコンゴ動乱がピークに達し、1962年にキューバ危機と大きなうねりはまだまだ続いたのだ。

良質の油が取れるため世界中で大規模に、歩行する肉食植物トリフィドが栽培されていた。ある夜、緑色の流星雨が流れ、世界中の人々がその天体ショーを喜々として鑑賞した。主人公はトリフィドの毒のある鞭で目をやられて、治療のため入院して目を覆っていたので流星雨を目撃しなかった。翌日、流星雨を見た人々は皆、盲目となっていた。トリフィドが大挙して人類を襲い始めた。

私が文庫で「トリフィド時代」(井上勇訳)を購入したのは1981年のことだった。しかし、あまりの文字の細かさに挫けて、35年以上本棚に放置していた。今回、故あって再び手にしてみたが、活字のサイズがやはり耐えられなかった。しかたなく、電子書籍版「トリフィドの日」(志貴宏訳)で読了した。

そして、小説の内容の先入観と異なった部分に驚愕した。

流星雨は自然現象ではなく、軌道上の衛星兵器の誤作動であった可能性が言及される。自然の力による災害ではなく、人間の過ちによるものならば再発を防ぎ得ると主人公たちは事実を肯定的に受け止める。

視覚を維持できた少数の人々が、生き延びた人類の新たな統治法を巡って、党派間抗争を繰り広げることが小説の主題となっている。トリフィドは人類の大敵であるが、より危険で身近な敵は人類そのものである。

失明のメカニズムや治療に関しての考察はまったく行われない。小説の出だしの方で、失明した医師の自殺が描かれる。医療は無力であると、最初から排除されている。

 

労災補償指導医

img_26492016年11月19日、「労災補償指導医」講習会講師の任を務めました。労災補償制度の専門家医師を養成する教育活動です。

受講者のプログラムは以下のとおりでした。
1.労災保険制度の概要
2.業務・通勤災害の認定
3.業務上疾病の認定
4.労災診療の取り扱い、社会復帰促進等事業
5.障害認定の基本的事項
6.部位別障害等級の認定

教える側は自分の専門分野(眼科)の話をすれば良いわけですが、受ける側は関連法規、国の政策事業の理解まで求められます。本当にお疲れ様でした。

モルテン・ティルドゥム「イミテーション・ゲーム」

91jxpyhuy0l-_sl1500_数学者アラン・チューリング(1912-1954)の生涯を描いた2014年の映画「イミテーション・ゲーム」(日本公開は2015年)を、DVDで観ました。監督:モルテン・ティルドゥム。主演:ベネディクト・カンバーバッチ。

チューリングマシンの名の通り、コンピューターの誕生に重要な役割を果たしたアラン・チューリングですが、第二次世界大戦中にドイツのエニグマ暗号を解読し戦争終結に多大な貢献をしたことは、1970年代まで国家機密とされていました。

実際のエニグマ暗号解読の詳細については、サイモン・シン「暗号解読」などの書籍に詳しく書かれています。映画ではごく簡単に描写されているだけです。映画内でクリストファーの名で呼ばれる暗号解読装置ボンブは、映画の演出の都合上実物より大きく作られました。まるで1987年の日本のアニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」に出てくる機械式コンピューターのように見えます。「オネアミスの翼」の方も、機械式コンピューターのデザインをボンブを参考にした可能性はあります。

これを書いた後Netflixで視聴可能になったので「オネアミスの翼」を見直してみましたが、コンピューターは電気式であり、機械式ではありませんでした。別の作品でしたか。「屍者の帝国」のは、もっとエレガントなデザインですし、記憶の出どころが不明です。失礼しました。

この映画の特に素晴らしいパートは、エニグマ暗号解読に成功してからラストまでの30分間です。

お勧めの映画です。まずは観てください。

宮内悠介「彼女がエスパーだったころ」

51iqltmjmflスペース金融道シリーズで有名な、SF作家宮内悠介が疑似科学に愛を捧げた短編集「彼女がエスパーだったころ」を読みました。スプーン曲げや終末期医療にまつわるあれやこれやなどがモチーフとして扱われています。語り手の記者である「わたし」は、疑似科学に批判的な立場から話を始めます。そして取材が進むに連れて、疑似科学を肯定も否定もしない境地に至ります。作者のインタビューによれば、科学リテラシーと信仰の両立であり、作者の愛の形です。

ガチガチの科学主義者であり、現代科学に裏付けられたダーウィニズムを信奉するこのブログの筆者が、嫌っているはずの疑似科学に寛容な小説を紹介するのはいささか奇異に感じられるかも知れません。しかし、偏狭な価値観一辺倒ではないことをご理解いただけたと思います。

実は表紙のデザインとタイトルに惹かれて購入を決めたのでした。さらに皮肉なことに、入手した電子書籍版ではページを繰って表紙を見ることができません。講談社に改善を要望したい。

現実世界での社会現象ではありませんから、「水にありがとうと言葉を込めて、全世界の水を浄化する」と書いてあっても、筆者は目くじら立てて怒ったりはしません、しないつもりです、する一歩手前ですが踏みとどまります。

鳥公園「↗ヤジルシ」

京浜島の入り口の公演正面のモニュメント

京浜島の入り口の公園正面のモニュメント

2016年9月15日、京浜島の元鉄工所であるBUCKLE KOBOで、鳥公園の舞台「↗ヤジルシ」を観ました。

住民が1人しかいない広大な工業地帯である京浜島。この島の鉄工所を、オープンアクセス型アートファクトリーにしようというのがBUCKLE KOBOプロジェクトです。つまり、芸術家の工房として、誰にでも貸し出すという意味でしょう。この2階建の工場を舞台として借り切って公演が行われました。

鳥公園の芝居を観るのは初めてでした。徳永京子、藤原ちから著の「演劇最強論」で主宰者西尾佳織が紹介されていたので興味を抱いたのです。西尾佳織は大学・大学院で寺山修司、太田省吾を研究した経歴があります。

「↗ヤジルシ」は太田省吾の最後の戯曲になります。私は、太田省吾の転形劇場の舞台は、その出世作「小町風伝」しか観たことがありません。1977年の真冬、暖房がまったく入っていない矢来能楽堂で観た沈黙の演劇はしっかりと記憶に残っています。足の指先の動きだけで舞台を移動した主演女優、佐藤和代の評判が口コミで広がって、演劇史に残る出来事となったのです。

廃工場での回遊型の公演で、お客は自由に移動して演じられている芝居を観る形式であるとの事前の説明から、寺山修司の天井桟敷の舞台の再来も期待して観劇に臨みました。

思い描いていたよりも狭い工場でした。1階と2階で同時進行的に演技が行われていましたが、寺山修司の「百年の孤独」(1981) のような、同じフロアのそこかしこで別々に進行する舞台を期待していた身には、スケール感が期待はずれとなりました。天井桟敷の蘭妖子、高橋ひとみに匹敵する魅力ある俳優にも出会えませんでした。

70年代演劇を経験したものは、未だに過去の亡霊にとらわれているということなのでしょうか。

今回の舞台を総括すると、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」のカテゴリーに属すという印象となりました。

塩田千春「鍵のかかった部屋」

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2016年10月2日、神奈川芸術劇場、中スタジオで、塩田千春のインスタレーション、「鍵のかかった部屋」を観ました。2015年、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に日本代表作家として出品し高い評価を得た《掌の鍵》を、帰国記念展として再構成した新作です。使われたのは、15,000個の鍵、3,000ロールの赤い糸、5つの扉。

赤い糸は血管、血液を連想させ、5つの扉を抜けて巨大生物の体内を経巡る思いをもたらします。また、空間に直立した扉は異世界への入り口であり、ここを抜けると2度と元の世界に帰れないという幼少期に心の奥に刷り込まれた恐怖を呼び起こします。吊るされた15,000個の鍵は、実際に人が使用していたもので全世界から集められたそうです。

写真撮影は自由でした。観客も多く勇気づけられましたが、もし他に誰もいなかったなら、通り抜けた扉の順番を逆になぞって、必ず元の世界に帰れるように移動したことでしょう。しかし、このように行動しても位相のずれが生じてしまって、どうしても異世界に留まることになる宿命が待ち受けていそうでした。