作成者別アーカイブ: hiratoadmin

ヴィム・ヴェンダース「まわり道」

ヴィム・ヴェンダース ニューマスターBlu-ray BOX IとしてラインナップされたBDで、映画「まわり道」を観た。1975年の作品である。

「まわり道」は、ロードムービー三部作の第2作に当たる。第1作が以前このブログでも触れている、「都会のアリス」だ。ブログでは一部辛辣なコメントも付けたが、じわじわと映画の良さが思い出され、BD BOX Iを手に入れることになった。

第2作「まわり道」はペーター・ハントケ脚本で、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が下敷きにされている。登場人物の名も同作から。

筆者はオペラに全くと言っていいほど接していないので、ミニョンという名に対して感情をかき乱されるようなものは持っていない。オペラ「ミニョン」をかろうじて知ってはいたが。

この芸人の少女ミニョンを、本作が映画デビューとなるナスターシャ・キンスキーが演じている。彼女は映画公開時は14歳であり、撮影時は13歳だったようだ。幼さを残していながら、女性としての魅力を充分に発揮している。

作家志望の主人公の青年ヴィルヘルムが旅立ち、様々な人と出会い、ともに過ごしながらも別れていく。最後にドイツ最高峰のツークシュピッツェにたどり着いた時には、彼一人となっていた。

陸秋槎「ガーンズバック変換」

主にミステリーのジャンルで活躍する、中国人作家陸秋槎(現在は日本の石川県在住)の、初SF短編集となる「ガーンズバック変換」を読んだ。

表題作は、なにそれ信じられないと言えるような、現実の「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」に想を得て発展させている。未成年の香川県民は、液晶画面が真っ黒にしか見えないガーンズバック眼鏡の装用が義務付けられ、違反すると学校の退学を含めた重い罰則が科せられる。その装用状況は外部からモニターされていると噂されている。

作者あとがきには、日本の女子高生をちゃんと描けるか自信がなく、青春映画の雰囲気を想像しながら執筆したとある。もちろん百合にも不足はない。

作者の初SF小説である「色のない緑」、日常系SF「開かれた世界から有限宇宙へ」も面白い作品だ。

宮澤伊織「ウは宇宙ヤバイのウ!〔新版〕」

長らく読むことができなかった、宮澤伊織のSF小説、パロディとオマージュに満ち溢れた怪作が新版となって誰もが買えるようになりました。

SFファンには釈迦に説法でしょうが、タイトルは、レイ・ブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」と、2ちゃんねる哲学板「宇宙ヤバイ」コピペによる。パロディの元ネタの主要なものが、作者あとがきに列挙されています。

復刊にあたって主人公がジェンダーチェンジし、男性から女性に変わり、百合になった。他には、10年の間に時代に合わなくなった描写は手直したということですが、お話は全く同じと。

10年前は予想に反して全く売れなく、続刊できなかったことに未練があるそうです。「裏世界ピクニック」で読者が増えた作者なので、今回は続刊にこぎつけられるだろうと一読者として信じて願っています。抱腹絶倒の面白さに満ち溢れてますから、多くの人に読んでもらいたい。

ウェス・アンダーソン「アステロイド・シティ」

「グランド・ブダペスト・ホテル」で知られる、ウェス・アンダーソン監督の最新作「アステロイド・シティ」を映画館で観た。

舞台は1955年アメリカ。人々が豊かな日々を謳歌し、アメリカが最も輝いていたと言われる時だ。宇宙開拓への夢も広がり、誰もが不可能なことなどないと信じていた。そんな中、人口わずか87人の砂漠の街アステロイド・シティで開かれたジュニア宇宙科学賞の祭典に、思わぬ訪問者がやってきた!

輝けるアメリカといえば、1955年は、ちょうど筆者の叔父(地質学者)がフルブライト奨学金を獲得して、氷川丸に乗ってアメリカに渡った年だ。

映画は枠物語の構造で、新作演劇《アステロイド・シティ》を紹介するテレビ番組の中に入れ子になっている。

レビューはWebに多数あるが、1つリンクを張っておく。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/asteroidcity-review-202309

ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」

潟湖干潟(せきこひがた又は、かたこひがた)の生態系を描いた小説であり、その映画化である。多様な動植物が調和する干潟生態系の、環境に対する重要な役割については1970年代ごろから叫ばれているが、すでに多くの干潟が干拓され消失してしまった。小説と映画の舞台は1969年を中心とした日々。映画では豊富な自然を映像で見ることができる。

干潟についての解説は千葉県のサイトがわかりやすかった。

あらすじは、映画公式サイトから引用。

1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた青年の変死体が発見された。容疑をかけられたのは、‟ザリガニが鳴く”と言われる湿地帯でたったひとり育った、無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花、草木、魚、鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いてきた。そんな彼女の世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始める…。

小説は、一つひとつの章は短く読みやすい。

カイアが書いたような図鑑本。昔、筆者はいろいろ所有していた。

神立尚紀「カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父」

古くからの友人が編集者を務めたノンフィクション、「カミカゼの幽霊」を読んだ。

大戦末期の海軍の特攻ロケット機「桜花」。1.2トンの大型爆弾に翼と操縦席とロケットをつけ、一式陸攻に吊るされ敵艦隊のそばまで運ばれ、人間が操縦して敵艦に体当たりする。「人間爆弾」とも呼ばれた。

「桜花」を発案したとされるのはベテランの陸上攻撃機偵察員だった大田正一少尉である。終戦直後、零式練習戦闘機を操縦して姿を消した。自殺飛行とみなされた。

しかし大田は生きていた。戸籍は失ったままで、偽名で結婚し三人の子供をもうけた。

戦局の悪化と共に、特攻はすでに海軍の既定路線となっていた。非人道的な兵器の開発を、上から命じるのではなく、現場の搭乗員からの提案と熱意を受けやむを得ず採用するというスタンスを軍は取りたかったのだろう。

「桜花」の航続距離の短さ、搭載量を超過した一式陸攻の性能低下、護衛戦闘機の数を揃えられなかったことから桜花隊の初出撃では、一式陸攻全機が撃墜された。その後も期待したような戦果を挙げることはできなかった。

蛇足だが、このブログの筆者の父は、材木屋の息子の飛行機設計技師だった。木製の特攻機の開発を命じられていたのではないかと想像するが、特攻に関して戦後まったく触れることはなかった。

ロバート・W・チェンバース「イスの令嬢」The Demoiselle d’Ys

チェンバースの短編集「黄衣の王」の第5の話「イスの令嬢」を読み返してみた。この話に筆者は以前から深く心惹かれている。

「黄衣の王」は、ラヴクラフトに認められたことから、クトゥルフ神話体系に取り込まれている。クトゥルフものと呼べるのは最初の4篇であり、最近の翻訳ではこの4篇のみが取り上げられることも多い。

ハスターという名の鷹匠が登場はするが、「イスの令嬢」はクトゥルフとは無関係の怪談話として扱われてしまう。Web上には、無料の邦訳が公開されている。

https://www.asahi-net.or.jp/~yz8h-td/misc/demoiselledYsJ.html

道に迷った結果、古フランス語を操る伯爵の地位を持つ女性、ジャンヌ嬢と恋に落ちる。令嬢は鷹匠を何人か抱えており、自分も鷹匠としての修練に励んでいた。

瀧内公美主演「彼女の人生は間違いじゃない」

瀧内公美が主役の金沢みゆきを演じる。2017年の映画。場所は福島。レンタルDVDで観た。

震災で母を失い、自宅は汚染地域にあり仮設住宅で父と暮らしながら、昼間は地元の市役所で働き、週末は東京・渋谷でデリヘル嬢をやっている。

瀧内公美は、実際にデリヘルをしている女の子などから取材して役作りをした。東北の娘が「地元にいると自分が保てなくなりそうになった」と言っていたのが印象的と発言している。

監督は廣木隆一。同名の自作小説の映画化である。監督は福島出身。

2020年の映画「アンダードッグ」でシングルマザーのデリヘル嬢、明美を演じていたのも瀧内公美だったことに今まで気がつかなかった、

演出:森新太郎、振付:森山開次「夜叉ヶ池」

2023年5月7日と11日の2回、PARCO劇場で、作:泉鏡花の舞台「夜叉ヶ池」を観た。主人公、萩原晃を勝地涼が演じた。友人、山沢学円が入野自由、萩原の妻、百合が瀧内公美という配役だった。

この舞台で最も印象に残ったのは、森山開次振付による、竜神白雪姫とその眷属たち魔物らのダンスである。異質な動きを伴った壮麗な踊りは、圧巻であり美しかった。対する人間たちの、卑小で俗な様が際立った。

勝地涼の演技を思い返してみると、2007年の蜷川幸雄演出「カリギュラ」での、カリギュラを慕う青年シピオンが好演で光ってた。映画では2020年の武正晴監督のボクシング映画「アンダードッグ」の芸人ボクサーか。

瀧内公美の今回より前のものは、2014年の初主演映画「グレイトフルデッド」のぶっとんだ演技しか知らない。これから他の作品も見ていこう。

今回の2回のチケットは、一方はイープラス、もう一方はパルコ直営のパルステ!の抽選による先行予約で取った。どちらも最前列中央のかぶりつきで、座席に優劣はつけられなかった。

ベルナルド・ベルトルッチ「暗殺のオペラ」

ベルトルッチのファシスト3部作の第1作、「暗殺のオペラ」をAmazon prime videoで見直した。イタリアでの公開は1970年だが、日本での公開は1979年であり、リアルタイムで映画館で観ているのだ。第2作の「暗殺の森」はイタリア公開は1970年、日本での公開は1972年であり、映画館でヨーロッパ映画を見るような、おませな年齢に筆者は達していなかった。後になってからレンタルビデオで観た。第3作「1900年」は、イタリア1976年、日本1982年で、5時間16分の大作だが映画館で観ている。

「1900年」は DVD販売まで、気が遠くなるほど待たされたが、「暗殺のオペラ」のDVD、BDも権利問題で長らく手に入らなかった。今は配信で見れるので、幻の映画ではなくなった。

あらすじはそっくりそのまま引用する。ムッソリーニによるファシズム政権下の1936年、ひとりの抵抗運動の闘士が北イタリアの小さな町の劇場でオペラを観劇中、何者かに暗殺されるという事件が発生。凶弾に倒れたアトスは以後、町の伝説的英雄として語り継がれる存在に。彼の名と面影をそっくり受け継いだ息子のアトスは、事件から20数年後、父の愛人だったドレイファスから招かれて町を訪れ、今なお多くの謎に包まれた父親の死の真相の解明に乗り出すのだが…。[シネフィル]

サーカスから逃げたライオンが死に、ライオン料理となって運ばれてくるというエピソードがある。このメタファーてんこもりのシーンの意味するものはなんだったのだろう。権力者にあらがうという意味と捉えるのが一般的な解釈。タイトルロールにもライオンの絵が描かれているので、なにか重要なものがあるはずなんだが。

一緒に見に行ったクリエイターの人が、取ってつけたようなシーンだと猛烈に批判していたので覚えていた。

原作はJ.L.ボルヘスの小説「裏切り者と英雄のテーマ」。「伝奇集」に収められているが、読んでいなかった。