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ジョン・カーター「ファトゥワ」

ファトゥワとは、イスラム教においてイスラム法学に基づいて発令される裁断。

2006年のほとんど誰にも知られていない、政治サスペンス映画。ジョン・カーター監督。レンタルDVDで観た。意外と面白い。

ローレン・ホリー主演。反テロの中心的役割を務める米国上院議員マギー。夫との仲が冷めきったまま、政治活動で忙しく飛び回っていた。テロリストと夫の親族のギャング双方から、命を狙われることとなる。

「宇宙家族ロビンソン」の、1998年映画版リメイク「ロスト・イン・スペース」で、反抗期の少女である次女のペニーを演じたレイシー・シャベールが、社会に対して反抗期の大学生、マギーの娘の友人ノアを演じる。この方面から、この映画に辿り着いた。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ「骨と軽蔑」

2024年2月29日、日比谷のシアター・クリエで、KERA CROSSシリーズの最終回となる第5弾「骨と軽蔑」を観た。

KERAの作品が上演されることの多い下北沢を離れ、シアター・クリエで、KERAの過去の作品を、さまざまな演出家の手で作り上げる企画のKERA CROSSだが、最終の5本目はKERA本人が演出する約束となっていた。作品も書き下ろしの新作となった。

宮沢りえ、鈴木杏、犬山イヌコ、堀内敬子、水川あさみ、峯村リエ、小池栄子の女優だけ七人による芝居である。

とある国では、東西に分かれての内戦が続いている。男性は皆、召集され前線に送られ姿が見えない。現在は残された女性たちと少年・少女からの召集が続けられていた。

チラシのコメントによると会話劇である。密度が高い。楽しかった。

ケン・ラッセル「肉体の悪魔」(1971)

レーモン・ラディゲの小説とは無関係。17世紀のフランスで起こった「ルーダンの悪魔憑き事件」を題材としたケン・ラッセル監督の映画。日本国内ではDVDは未発売。1971年の公開時、筆者は中学生、映画館で観て深く心に刻まれた。おそらくVHSだろうが、YouTubeで題名を変えて字幕付きで公開されていた時があった。その際保存した映像を見直した。

ケン・ラッセルの映画では、1974年の「マーラー」、1975年の「トミー」も好きだが、「肉体の悪魔」が筆者にとっては最高傑作である。DVDが制作されないのは、カトリック教会の反発を懸念しているためだろうか。

フランスの地方都市ルーダンの市長代理を務めるグランディエ司祭はカリスマ的リーダーシップとともに、男性的魅力を存分に発揮していた。パリの宮廷では枢機卿リシュリューが実権を握り、新教徒の台頭を防ぐため地方都市の自治を廃止させようとしていた。グランディエは女子修道院の尼僧たちにも憧れの的だった。背中が醜く曲がった修道院長ジャンヌは一方的な恋心から、淫らな妄想を思い描いていた。嫉妬からグランディエを悪魔つかいだと騒ぎ立てたジャンヌが、グランディエ失脚に利用され、悪魔憑き騒動の拷問同然な調査が始まった。行き着く果ては、グランディエの火炙り処刑。

性描写、残酷描写、冒涜的イメージの氾濫が本作品を、宗教権力に対する反体制映画にしている。

ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」

最初に私たちは平山の1日をしっかりと追う。そしてそれは繰り返される。けれどそれは平山にとって繰り返しではない。いつもすべてが新しいのだ。

脚本の冒頭にこう書いてあるそうだ。

ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の映画「PERFECT DAYS」を2024/1/3映画館で観た。

トイレ清掃員、平山の毎日が描かれる。

仕事で使う軽自動車の中で、ミュージック・カセットテープを必ず聞く。パティ・スミスのアルバム「Horses」の中の「REDONDO BEACH」が物語上重要な役割を担っていたので嬉しくなった。でも、他の70年代の楽曲は知らなかった。

浮浪者役、田中泯の「をどり」が目を惹く。薄れた記憶から拾い上げると、筆者は70年代にハイパーダンスを観ている。陰茎に包帯を巻いただけで、褐色に塗った裸体で踊った。

今回の映画は、渋谷区の公共トイレを著名なクリエイターの手により新たにデザインする、THE TOKYO TOILETプロジェクトから生まれた。日に3回は清掃が入りとてもきれいだ。対照として、陸秋槎が「ガーンズバック変換」の中で紹介してくれた映画「トレインスポッティング」冒頭の汚物まみれのトイレを思い出した。

ヴィム・ヴェンダース「まわり道」

ヴィム・ヴェンダース ニューマスターBlu-ray BOX IとしてラインナップされたBDで、映画「まわり道」を観た。1975年の作品である。

「まわり道」は、ロードムービー三部作の第2作に当たる。第1作が以前このブログでも触れている、「都会のアリス」だ。ブログでは一部辛辣なコメントも付けたが、じわじわと映画の良さが思い出され、BD BOX Iを手に入れることになった。

第2作「まわり道」はペーター・ハントケ脚本で、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が下敷きにされている。登場人物の名も同作から。

筆者はオペラに全くと言っていいほど接していないので、ミニョンという名に対して感情をかき乱されるようなものは持っていない。オペラ「ミニョン」をかろうじて知ってはいたが。

この芸人の少女ミニョンを、本作が映画デビューとなるナスターシャ・キンスキーが演じている。彼女は映画公開時は14歳であり、撮影時は13歳だったようだ。幼さを残していながら、女性としての魅力を充分に発揮している。

作家志望の主人公の青年ヴィルヘルムが旅立ち、様々な人と出会い、ともに過ごしながらも別れていく。最後にドイツ最高峰のツークシュピッツェにたどり着いた時には、彼一人となっていた。

陸秋槎「ガーンズバック変換」

主にミステリーのジャンルで活躍する、中国人作家陸秋槎(現在は日本の石川県在住)の、初SF短編集となる「ガーンズバック変換」を読んだ。

表題作は、なにそれ信じられないと言えるような、現実の「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」に想を得て発展させている。未成年の香川県民は、液晶画面が真っ黒にしか見えないガーンズバック眼鏡の装用が義務付けられ、違反すると学校の退学を含めた重い罰則が科せられる。その装用状況は外部からモニターされていると噂されている。

作者あとがきには、日本の女子高生をちゃんと描けるか自信がなく、青春映画の雰囲気を想像しながら執筆したとある。もちろん百合にも不足はない。

作者の初SF小説である「色のない緑」、日常系SF「開かれた世界から有限宇宙へ」も面白い作品だ。

宮澤伊織「ウは宇宙ヤバイのウ!〔新版〕」

長らく読むことができなかった、宮澤伊織のSF小説、パロディとオマージュに満ち溢れた怪作が新版となって誰もが買えるようになりました。

SFファンには釈迦に説法でしょうが、タイトルは、レイ・ブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」と、2ちゃんねる哲学板「宇宙ヤバイ」コピペによる。パロディの元ネタの主要なものが、作者あとがきに列挙されています。

復刊にあたって主人公がジェンダーチェンジし、男性から女性に変わり、百合になった。他には、10年の間に時代に合わなくなった描写は手直したということですが、お話は全く同じと。

10年前は予想に反して全く売れなく、続刊できなかったことに未練があるそうです。「裏世界ピクニック」で読者が増えた作者なので、今回は続刊にこぎつけられるだろうと一読者として信じて願っています。抱腹絶倒の面白さに満ち溢れてますから、多くの人に読んでもらいたい。

ウェス・アンダーソン「アステロイド・シティ」

「グランド・ブダペスト・ホテル」で知られる、ウェス・アンダーソン監督の最新作「アステロイド・シティ」を映画館で観た。

舞台は1955年アメリカ。人々が豊かな日々を謳歌し、アメリカが最も輝いていたと言われる時だ。宇宙開拓への夢も広がり、誰もが不可能なことなどないと信じていた。そんな中、人口わずか87人の砂漠の街アステロイド・シティで開かれたジュニア宇宙科学賞の祭典に、思わぬ訪問者がやってきた!

輝けるアメリカといえば、1955年は、ちょうど筆者の叔父(地質学者)がフルブライト奨学金を獲得して、氷川丸に乗ってアメリカに渡った年だ。

映画は枠物語の構造で、新作演劇《アステロイド・シティ》を紹介するテレビ番組の中に入れ子になっている。

レビューはWebに多数あるが、1つリンクを張っておく。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/asteroidcity-review-202309

ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」

潟湖干潟(せきこひがた又は、かたこひがた)の生態系を描いた小説であり、その映画化である。多様な動植物が調和する干潟生態系の、環境に対する重要な役割については1970年代ごろから叫ばれているが、すでに多くの干潟が干拓され消失してしまった。小説と映画の舞台は1969年を中心とした日々。映画では豊富な自然を映像で見ることができる。

干潟についての解説は千葉県のサイトがわかりやすかった。

あらすじは、映画公式サイトから引用。

1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた青年の変死体が発見された。容疑をかけられたのは、‟ザリガニが鳴く”と言われる湿地帯でたったひとり育った、無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花、草木、魚、鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いてきた。そんな彼女の世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始める…。

小説は、一つひとつの章は短く読みやすい。

カイアが書いたような図鑑本。昔、筆者はいろいろ所有していた。

神立尚紀「カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父」

古くからの友人が編集者を務めたノンフィクション、「カミカゼの幽霊」を読んだ。

大戦末期の海軍の特攻ロケット機「桜花」。1.2トンの大型爆弾に翼と操縦席とロケットをつけ、一式陸攻に吊るされ敵艦隊のそばまで運ばれ、人間が操縦して敵艦に体当たりする。「人間爆弾」とも呼ばれた。

「桜花」を発案したとされるのはベテランの陸上攻撃機偵察員だった大田正一少尉である。終戦直後、零式練習戦闘機を操縦して姿を消した。自殺飛行とみなされた。

しかし大田は生きていた。戸籍は失ったままで、偽名で結婚し三人の子供をもうけた。

戦局の悪化と共に、特攻はすでに海軍の既定路線となっていた。非人道的な兵器の開発を、上から命じるのではなく、現場の搭乗員からの提案と熱意を受けやむを得ず採用するというスタンスを軍は取りたかったのだろう。

「桜花」の航続距離の短さ、搭載量を超過した一式陸攻の性能低下、護衛戦闘機の数を揃えられなかったことから桜花隊の初出撃では、一式陸攻全機が撃墜された。その後も期待したような戦果を挙げることはできなかった。

蛇足だが、このブログの筆者の父は、材木屋の息子の飛行機設計技師だった。木製の特攻機の開発を命じられていたのではないかと想像するが、特攻に関して戦後まったく触れることはなかった。