カテゴリー別アーカイブ: SF小説

高木刑「ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地」

2016年4月に開講した「ゲンロン 大森望 SF創作講座」第1期を受講し、最優秀賞にあたる「第1回ゲンロンSF新人賞」を受賞した高木刑の受賞作が、何度もの改稿を経て電子書籍化された。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」の全記録は「SFの書き方」として2017年4月に出版され、シートン動物記に想を得た高木刑の短編「コランポーの王は死んだ」が掲載されている。

大森望の言葉を引用すれば、2020年代の日本SFを背負って立つ才能の出発点を見逃してはいけない。

時は、異人(宇宙人)の来訪から約100年経った17世紀のはじめ。理解不能の超技術の機械を、異人は地球人に与えたが、知恵は与えなかった。異人からもたらされた宇宙船により外宇宙旅行が可能となり、地球人は植民惑星を作り上げた。宙洞という特別な空間を渡り、光の速さを超えるのである。それでも、人々は敬虔なキリスト教徒であり、実際の17世紀人の世界観を持ったままだった。

またもや神の子が死んでいる。

地球から遠く離れた不毛の植民惑星にそそりたつ十字架の上で、キリストそっくりの死体が磔となって現れた。

煉獄の描写かと思えるような、イメージが広がっていく。似たものを探すと、絵画ならばヒエロニムス・ボスとサルバドール・ダリか。SF小説ならば、コードウェイナー・スミスの「シェイヨルという名の星」が思い浮かぶ。

物語の最初から登場する無垢な修道女カタリナが、終盤で活躍するのだろうと期待して読んでいたが、肝心なところでは聖船に戻り不在だった。ジャンヌ・ダルクのような英霊にもならなかったし、聖母マリアの慈悲も施してくれない。傷口に指を突っ込むのが役割とは。大地は救済されたかもしれないが、読者の心を含めて救済されなかったものは多い。

古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」

2017年メディアワークス文庫版

2005年電撃文庫版

最近気がつきました。古橋秀之の珠玉の短編集、「ある日、爆弾がおちてきて」が新装版となってメディアワークス文庫から2017年5月に復刊されていたことを。「時間SFもの」で統一した、ボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーズです。旧版は電撃文庫から2005年10月に出版されました。今回の新装版では、書き下ろしの短編が1本追加されています。

新海誠監督の2016年のアニメ映画「君の名は。」で、3年の時を超えて少年と少女が出会います。似た設定の話をどこかで読んだはずだという記憶を手繰って、「ある日、爆弾がおちてきて」に収録された「三時間目のまどか」を思い出しました。

ここで脱線します。古くからの新海誠のファンとしては、「秒速5センチメートル」のせつない思いはとても大切なものです。「君の名は。」を観た方は、ぜひとも「秒速5センチメートル」も観てください。

大森望編のアンソロジー

さて、電撃文庫版は手に入らなくなっていたのですが、いろいろ調べて大森望編集のアンソロジー「不思議の扉 午後の教室」に「三時間目のまどか」が収載されていることを知りました。無事、2016年のうちに読み直すことができました。

ジャック・フィニイの短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」

時間を隔てた恋愛を描いたSFの原点は、ジャック・フィニイの「愛の手紙」だということです。「ゲイルズバーグの春を愛す」に載っています。いろいろなレビューに書かれているとおり、ラストの翻訳のニュアンスが原文と異なります。

小川一水「アリスマ王の愛した魔物」

表題作が、第42回星雲賞受賞の最新作品集。全5篇収録。

表題作は、2011年刊行の「結晶銀河」(2010年の年間日本SF傑作選)で既読でしたが、もっともユニークでしょうか。ラプラスの魔もかくやという計算力を発揮する、人力巨大コンピュータの話。教訓:3次元空間図形に関する問答をされたら、わけが分からなくてもとりあえず、「球」と答えておきましょう。命が助かるかもしれません。

書き下ろしの「リグ・ライトーー機械が愛する権利について」が一番おもしろかった。自動運転車のAIと、ヒト型ロボットのAIの話です。自動運転が発展普及しつつある、まさに現在に共鳴します。

筆者は自動車の運転は好きでありませんので、自動運転車の発達は大歓迎で、AIに権利を要求されたら、いくらでもくれてあげようという気持ちです。もっとも今乗っているのは13年間使用したコンパクトカーで、駐車補助機能などもなんにもついていませんが。

クリストファー・プリースト「隣接界」

イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストの「隣接界」を2017年11月8日読了した。

訳者あとがきに紹介された、本書に関する作者のインタビューを要約する。「表紙が破り取られたペーパーバックを友人から借りて読んだ。前もっては、本の中身はさっぱりわからなかった。小説を目かくしして読むのは、忘れがたい経験になるんだと知った。だから、読者がそれと同じように『隣接界』を発見して欲しい。」

いっさいの予備知識なしで、読み進んでもらうことが作者の希望だ。

従って、紹介はごく簡単に済まさなければならない。本書は、プリーストの集大成的作品である。過去の作品でおなじみのモチーフ(奇術師、第1次世界大戦とH.G.ウエルズ、第2次世界大戦と飛行機乗り、テロの被害者、夢幻諸島)を使った世界が、その輪郭を曖昧にして隣接しあっている。

とくに、航続距離の短いスピットファイアでどこかへ飛び去ってしまった、女飛行士のくだりが幻想的で心に食い込む。

プリーストの小説は、「双生児」、「夢幻諸島から」、「奇術師」と本書「隣接界」を読み終えた。次は「魔法」を読む予定だ。

宮澤伊織「裏世界ピクニック」

ネットロア(ネット上の都市伝説)として流布している恐い話から取材した、死の危険と隣り合わせの異世界冒険が描かれる。

ロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」(1979)は、私の大好きな映画として5本の指に入る。岩波ホールで2回観た。現在使われるストーカーという用法は、この頃はまだなく密猟者という意味である。これの原作がアルカジイ&ボリス・ストルガツキーの「路傍のピクニック」だ。裏世界をゾーンと呼びボルト投げをして道を探す男が登場することから、この名作映画のシーンを思い浮かべながら裏世界をイメージすれば良いのは間違いない。

蛇足だが、タルコフスキーとは違った解釈でストルガツキー兄弟が書いた映画シナリオ「願望機」も出版されている。

私と同年代で映像に興味があった人は、もれなく観た「ストーカー」だが、もう時代が変わってしまった。VHSに始まり、DVD、BDと買い直す度に古いメディアを布教の旅に出したが、別の世代に受け入れられたことがない。下敷きとなった「ストーカー」は、ネットロア同様、知っている人間だけに作用する舞台装置なのではというレビューが某サイトにあった。

本書の続編中に息抜きのパートとして書かれた、冒険の反省会での、焼肉にまつわる非常に現実的な描写に笑いをこらえることができなかった。

藤井太洋「公正的戦闘規範」

藤井太洋初のSF作品集で、全5篇収録。表題作が一番おもしろかった。

2024年の中国、現在のプレデターなどの無人機による戦闘が発展し、さらに安価なドローンを用い、オペレータではなく搭載したAIが攻撃を行うようになった。これを開発したのは人民解放軍だったが、テロリスト側に劣化コピーされ、無差別テロ目的にキルバグが空にばらまかれていた。上海の日系ゲーム開発会社に勤めている元軍人の趙公正は、春節休暇で遠い新疆の故郷に鉄道で帰る途上、テロとの奇妙な戦いに出会う。

以下ネタバレ。

際限なく拡散するテロとそれへの応戦に歯止めを掛けるには、ドローンのオペレータを含め、戦闘に参加する人間は、必ず戦闘区域にいなければならない。そこには英雄譚的な物語性が必要であるとする。

比較的小規模な、不正規戦が中心の戦闘ならあり得るかもしれない。海軍、空軍が動員された大規模戦争でこの規則を定義するのは難しいと感じるが、現在の対テロ戦の流れに対するアンチテーゼとなっていて、提案の意外な方向性に目を醒まされる思いをした。

オーソン・スコット・カードの名作「エンダーのゲーム」的驚きも仕組まれている。演習ないしゲームだと思っていたものが、実際の生身の戦闘だったというやつだ。芝村裕吏の「マージナル・オペレーション」でも同じようなエピソードにより、主人公は罪の意識を背負うことになった。さらに、似た感覚を呼び起こされた小説として、橋本紡の青春小説「リバーズ・エンド」も挙げておこう。登場人物たちは実際の戦いであるとアナウンスされていたが、時空を隔てた異星人との戦いがゲーム感覚なものであり、「エンダーのゲーム」の演習を思い起こされた。

奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」

1960年代の新宿の街とモダンジャズ、将棋、落語、そして猫に積もる思いを描き上げた、奥泉光のSFエンターテイメント小説「ビビビ・ビ・バップ」を読了しました。

舞台は21世紀の末、電脳ウイルスのパンデミックをくぐり抜けたあとの世界で、ヴァーチャル・リアリティ技術、人工知能・アンドロイド技術が発展し、貧富の差がさらに拡大しています。パンデミックが起こらなければ、もっと凄いことになっていただろうと想像させられる未来です。その仮想空間に新宿ピットイン、末広亭を含む60年代の新宿の街が再現されます。

作者は1956年2月生まれで、私とは学年で1つ違いとほとんど同年代なはずですが、その興味の中心と嗜好はかなり異なるようです。

私にとって60年代の新宿は、唐十郎の状況劇場の記録や、蜷川幸雄のアートシアター新宿文化の回想で知っているだけの伝説の街です。高校生、大学生の時、実際に駆け回ったのは70年代の渋谷でした。音楽はロックならわかりますが、ジャズは結局好きになれなかったのでよくわかりません。映画「ラ・ラ・ランド」でフリー・ジャズピアニストのライアン・ゴズリングが、クロスオーバー・ジャズのバンドに参加し、それをエマ・ストーンに批判されるくだりが、どうして怒られなくてはいけないのか理解できなかった程です。将棋とか囲碁などの難しいゲームは、戦略、戦術、先読みの積み重ねが必要ですし、脳が疲れるので今のところ興味がありません。サイトで狙いトリガーを引くことをただ反復し、グレネードが転がる音がしたら逃げるといった反射でこなせるFPS(ファースト・パーソン・シューター)が、ゲームの中では一番好きです。落語は小学生のころ見たTV番組で経験が止まっています。飼っているのは犬です。

幸い主人公のジャズ・ピアニスト、フォギーはジャズは本業でも、60年代新宿、将棋、落語に関する知識は一般人なみという設定なので、仲間という親近感を持って読み進むことができました。

紙本ならば分厚いページ数に恐れをなすところですが、電子書籍版で読んだので圧迫感とは無縁でした。そして無事読み終えることができました。作者の熱い思い入れの饒舌に身を委ねられれば、ニッチな知識は後から身についてくることでしょう。

表紙はアンドロイドのエリック・ドルフィーです。

小川一水、飛浩隆、他「BLAME! THE ANTHOLOGY」

2014年に第1期が、2015年に第2期が公開され高い評価を集めたアニメ「シドニアの騎士」の漫画原作者、弐瓶勉のデビュー作にあたるのが漫画「BLAME!」だ。2017年5月20日劇場アニメ版が、日本初のNetflixオリジナル映画として全世界へ配信開始された。

漫画「BLAME!」の連載開始は1997年であるが、単行本は新装版が2015年に全6巻で出版されている。

また、劇場アニメ版「BLAME!」配信開始に伴い、冲方丁によるノベライゼーション「小説BLAME! 大地の記憶」と、5人のSF作家(九岡望、小川一水、野崎まど、酉島伝法、飛浩隆)によるスピンオフのアンソロジー小説「BLAME! THE ANTHOLOGY」が発売された。監修・イラストは弐瓶勉が務めている。

原作者によると、「BLAME!」の主人公は無制限に広がる階層都市の巨大建築物かもしれないと。絵が中心となり、科白や説明は最小限のものとなっている。冲方丁の「小説BLAME! 大地の記憶」は、漫画の初めから新装版第2巻の中ほどまでを、言葉により描き出して原作を補完している。

「BLAME!」の世界観を拡張して味わえるのが、アンソロジー「BLAME! THE ANTHOLOGY」だ。5人の作家がそれぞれ存分に腕を振るっていて面白い。まず原作の世界観をしっかりと把握しておく必要はあるので、原作漫画全6巻と劇場アニメ版は前もって見ておくべきだろう。

劇場アニメ版は電基漁師の村のエピソードが中心である。珪素生物の描写は省かれている。

スターシステムが採用されているので、主要キャラのシボ、サナカンがどのように登場するのかも興味の対象となる。劇場アニメ版を原作より先に観た人は、原作を読み直してからもう1度映像を見直すと新たな発見に出会える。原作者によるセルフパロディのコメディ「ブラム学園!」(「ブラム学園!アンドソーオン」収載)も読んだほうがいい。

 

英『エコノミスト』編集部「2050年の技術」

西暦2050年の未来の様々な分野の技術革新の予測を、エコノミスト誌のジャーナリストに加えて、 科学者、起業家、研究者が語る。

エコノミスト誌編集長ダニエル・フランクリンの序章で、概括が説明され、それぞれの筆者の18の章が続く。未来予測のツール(手法)は、第1章で、エコノミスト誌を代表するテクノロジー・ライター、トム・スタンテージが述べる。未来の手がかりは過去のパターン、現在変化がまさに起きようとしている「限界的事例」、そしてサイエンス・フィクションが描く「想像上の未来」のなかに潜んでいると。

全体を通じて、人間の過ちに対する危惧は残るも、未来は今よりも明るいという基本姿勢で語られている。

また、SFが重要なツールであるとすることから、アレステア・レナルズとナンシー・クレス、2人のSF作家の短編が寄稿されている。アレステア・レナルズは代表作「啓示空間」の文庫本がサイコロと化す厚さが有名だが、本書のは短編であり安心していい。ナンシー・クレスは「プロバビリティ」シリーズで知られている。

MIT物理学教授、フランク・ウィルチェックが基礎物理学の立場から記した第5章が、もっともユニークな語り口で興奮を呼ぶ。扱っている範囲も幅広い。

医療については、メイヨー・クリニックのCEOジャンリコ・ファルージャが第8章で語る。医療はこの5年間だけでも大きく変わったと感じられるが、確かにもっと早く変わっていっていい分野だ。特にIBMのWatsonに代表される、自然言語を理解するAIの導入は2050年まで待つ必要はないだろう。大学の医学教育のあり方は変えなくてはならないし、新規技術導入のコストも問題となるが。

ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」

IMG_2739 41WML4ynyFL小説のあらすじを知ったのは、1960年代の小学生の頃。定期購読していた漫画雑誌の巻末にSF小説を紹介する記事があり、そこからという、文章を通じての知識の獲得だったはずだ。候補となる雑誌は3つしかない。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載された光文社の月刊誌「少年」。同じく光文社のカッパ・コミックス「鉄腕アトム」と「鉄人28号」のシリーズで、これらも月刊で刊行されていた。少年サンデーや少年マガジンなどの週刊漫画雑誌が主流となる前の時代だった。

小説が発表されたのは1951年で、冷戦による世界的緊張のさなか、核戦争による人類滅亡が素肌で感じられた時代の影響を受けている。この後の1961年にコンゴ動乱がピークに達し、1962年にキューバ危機と大きなうねりはまだまだ続いたのだ。

良質の油が取れるため世界中で大規模に、歩行する肉食植物トリフィドが栽培されていた。ある夜、緑色の流星雨が流れ、世界中の人々がその天体ショーを喜々として鑑賞した。主人公はトリフィドの毒のある鞭で目をやられて、治療のため入院して目を覆っていたので流星雨を目撃しなかった。翌日、流星雨を見た人々は皆、盲目となっていた。トリフィドが大挙して人類を襲い始めた。

私が文庫で「トリフィド時代」(井上勇訳)を購入したのは1981年のことだった。しかし、あまりの文字の細かさに挫けて、35年以上本棚に放置していた。今回、故あって再び手にしてみたが、活字のサイズがやはり耐えられなかった。しかたなく、電子書籍版「トリフィドの日」(志貴宏訳)で読了した。

そして、小説の内容の先入観と異なった部分に驚愕した。

流星雨は自然現象ではなく、軌道上の衛星兵器の誤作動であった可能性が言及される。自然の力による災害ではなく、人間の過ちによるものならば再発を防ぎ得ると主人公たちは事実を肯定的に受け止める。

視覚を維持できた少数の人々が、生き延びた人類の新たな統治法を巡って、党派間抗争を繰り広げることが小説の主題となっている。トリフィドは人類の大敵であるが、より危険で身近な敵は人類そのものである。

失明のメカニズムや治療に関しての考察はまったく行われない。小説の出だしの方で、失明した医師の自殺が描かれる。医療は無力であると、最初から排除されている。