カテゴリー別アーカイブ: 映画

ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」

映画「パリ、テキサス」で有名な、ロードムービーの大家、ヴィム・ヴェンダース監督の、ロードムービー三部作の第1作「都会のアリス」をレンタルDVDで観た。ツタヤディスカスで在庫が5枚しかなく、レンタルにはしばらく待たされた。中古DVDはプレミアム価格となっていて高い。U-NEXTで唯一動画配信が行われているようだ。1973年の映画である。

31歳のドイツ人作家フィリップは、旅行記執筆のため米国内を旅していたが、すべて同じような風景に見え、TVの番組も似通っていて面白くない。ポラロイド写真を撮りまくったが、文章は1行も書けないでいた。

折りたたみ式のSX-70ポラロイドランドカメラは、発売されたばかりのシートフィルム方式で、当時の日本の感覚では贅沢品だった。フィルム代も安くはなかったと思う。監督が惚れこんで、ポラロイド社から借り受けたということだが、フィリップには分不相応な持ち物に見え違和感を感じた。

デジタルカメラに押されて、ポラロイド社がポラロイドフィルム製造を中止した後、インポッシブル・プロジェクトによる復活まで長い道のりだった。現在は再び、フィルム、カメラとも手に入る。しかし、フィルムはかなり高価である。

ニューヨークからドイツに帰国することにしたが、ドイツの空港ストライキのため、ドイツに向かうすべての便が欠航。アムステルダム便に乗り、陸路ドイツを目指すしかなかった。空港で、離婚したばかりのドイツ人女性リザと9歳の娘アリスと知り合った。エンパイアステートビルでの待ち合わせにも、アムステルダムでの待ち合わせにもリザは現れず。フィリップはアリスを連れてニューヨークからアムステルダム、アムステルダムからドイツのヴッパタールへと旅を続けていった。

アリスの記憶ではおばあちゃんの家があるはずのヴッパタールは、懸垂型のモノレール、ヴッパタール空中鉄道が目を惹く。

最初は自分の価値観ですべて判断する嫌なヤツと感じられるフィリップだったが、アリスとの交流の中で徐々に心を開くようになっていった。

途中、警察に助けを求めたが、アリスは警察を脱走して、またフィリップと旅を続けた。親子でない男性と幼女が一緒にいたら、今日ならペドフィリアという理由で逮捕されていたのではないだろうか。

シャーロット・ランプリング主演「愛の嵐」

前回の「未来惑星ザルドス」に引き続いて、シャーロット・ランプリング繋がりで、手持ちのDVDから「愛の嵐」を見直した。

シャーロット・ランプリングは、これから公開のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE」に、教母ガイウス・ヘレン・モヒアムとして出演するので、今までの作品をおさらいしておこうという意図もあった。

「愛の嵐」は、リリアーナ・カヴァーニ監督の1974年の映画。ナチス帽にサスペンダーで歌い踊るユダヤ人少女の姿が、多くの観客の心に強烈な印象を残していることだろう。

ナチス親衛隊将校だった過去を隠して、ウィーンのホテルの夜番フロント兼ポーターとして働く男マックスの前に、かつて強制収容所で弄んだ女性ルチアが、高名なオペラ指揮者の妻となって客として現れた。最初はすぐにもウィーンを出ていこうと主張したルチアだったが、なぜか夫を巡業公演に送り出し一人残った。ルチアとマックスは、二人して、血と痛みそして飢餓を伴った、出口のない狂気とも言える病的な恋愛関係に溺れていく。

ところどころにナチス時代の回想シーンが挟み込まれるが時間的には短く、視点は常に現在に引き戻される。思い出で飾られた過去の官能ではなく、今の底の知れない泥沼が描かれる。

元ナチス将校秘密互助会の存在は、恐ろしいが興味を惹かれる。実際にこのような組織があったということだ。

ショーン・コネリー主演「未来惑星ザルドス」

逝去の報に接して、所有していたDVDで「未来惑星ザルドス」を見直した。1974年の作品で、監督はジョン・ブアマン。

この映画のキービジュアルは、岩でできた巨大な人の頭部が空を飛んでいくシーンだ。筆者と同年代ならば、記憶に留めている人は多いと思う。時は2293年の未来。この人の顔をつけた頭(ザルドス)は、支配階級である不死のエターナルと、獣人と呼ばれる寿命を持つ普通の人間とを結ぶ輸送機の役割を果たしていた。獣人から選ばれたエクスターミネーターという名の殺人部隊が、ザルドスから銃を受け取り獣人の数減らしを行っていた。その隊長ゼッド(ショーン・コネリー)は、ザルドスに密航しエターナルのための隔離された土地、ボルテックスに入りこんだ。

エターナルの社会ボルテックスは、映画が制作された時代、1970年代フラワーチルドレンの文化を反映している。時に集団で瞑想し、評決を行ってすべてを決定する。彼らの中には不死のため人生に意欲を見出せなくなり、無気力となった者も数多く存在した。

ザルドスの語源は、「オズの魔法使い」(Wizard of OZ)だった。ゼッドは図書館の廃墟で、この本にすでに接していたのだ。

エターナルの不死性をコントロールしていた演算結晶タバナクルを、ゼッドは打ち破った。エターナルたちは喜んでエクスターミネーターによる殺戮に身を任せた。ゼッドを最初は危険視していた女性エターナル、コンスエラ(シャーロット・ランプリング)は、ゼッドと結ばれ、墜落したザルドスの中で子を成し、二人は老いて朽ち果てていく。ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章が流れている。

滝本竜彦原作「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」

三浦春馬を偲ぶため、中古DVDで映画「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」を見直した。舞台「ZIPANG PUNK〜五右衛門ロックIII」シアターオーブ(2013.1観劇)や、映画「永遠の0」(2014.1鑑賞)はまだ記憶に比較的しっかりと残っていたが、本作は映画館で2008.2に観たきり忘れていた。

原作は「NHKにようこそ!」で有名になった元ひきこもり作家、滝本竜彦のデビュー作だ。2001年発売で、2002年に読んでいる。

長編映画のメガホンを取るのは初めての、北村拓司が監督である。

映画の内容は原作とほぼ同じで、絵里の制服はセーラー服ではなくブレザー。へたれな高校生山本陽介(市原隼人)は、チェーンソーを振り回す怪人との死闘を繰り返している美少女高校生、雪崎絵里(関めぐみ)と出会った。チェーンソー男が出現したときから、驚異的な身体能力が芽生えた絵里だったが、陽介は常人のままでまったく戦力にならず後ろで応援しているだけ。しかし、陽介の粘りから、二人で行動をともにすることは続いていった。

バイクで夜間暴走し死亡した、陽介の同級生の友人、能登を三浦春馬が演じた。12年前の映画なので、撮影時は17歳か18歳か。とにかく若い。永遠に陽介の先を走り続け、追いつくことのできない男の位置づけだ。

「無理だよお前は。あの子とダラダラと薄らぼんやりとした幸せを楽しめよ」

「なぁ能登!」「生きているオレが羨ましいだろう!」

ロマン・ポランスキー「毛皮のヴィーナス」

2013年のフランス映画、ロマン・ポランスキー監督の「毛皮のヴィーナス」を、prime videoで観た。19世紀オーストリアの小説家マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」をもとにした、劇作家デイヴィッド・アイヴズの舞台劇の映画化である。

「毛皮を着たヴィーナス」を脚色した舞台を上演しようとする脚本家・演出家のトマは、オーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダの演技を見ることとなった。俗世間の偏見を代表するような発言をしていたワンダだったが、役を始めてみるとその理解は深く、トマが望む理想の演技をするのだった。やがて2人の立場は逆転していく。最後に2人は役を交換して、カタストロフィに至る。

ワンダをポランスキーの妻でもあるエマニュエル・セニエが、トマを「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが演じた。2人芝居であり、この2人しか映画には出てこない。

脚本家、演出家にとって役を充分に理解した理想的な役者とは、自分自身の投影か。映画は、台本の読み合わせから始めて、まだ書いていないシーンの即興演劇に移っていく。自分自身が相手役ならば、完璧な即興演劇も可能だ。このブログの筆者の繰り返し見る悪夢の1つに、まだ脚本すら書いていないのに舞台に立っているという辛いパターンがある。この状況を相手役に支えられた即興演劇で乗り切った夢の続きを見たときに同じことに気づいた。

「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」

映画パンフレットの表紙

2020年1月26日、TOHOシネマズ・シャンテにて、映画「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を観た。

テリー・ギリアム監督については、このブログ、2018年8月31日の「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」の投稿で少し触れている。「ドン・キホーテ」の日本での公開が、2020年1月24日という情報をだいぶ前に仕入れ、待ち望んでいたのだ。

構想30年、計画頓挫9回がキャッチ・コピーとしてウェブサイトでは強調されている。最初の流れた企画のメイキング映像が、ドキュメンタリー映画「ロスト・イン・ラ・マンチャ」として2002年に公開され、現在prime videoで配信中である。これも観たほうが作品に対する理解が深まるのだろうが、実はまだ観ていない。

夢と現実、狂気と正気の境界があいまいとなって、さらに冒険と憂き世のせめぎ合いなどメタ的な視点からも語られる。唐十郎などの現代演劇に通じる幻想世界だ。とてもおもしろかった。

CM監督のトビーを、スター・ウォーズ、カイロ・レン役のアダム・ドライバーが演じる。 カイロ・レンとはまた違った情けない男を見せてくれる。ファンは必見だ。

ジョナサン・プライス。ドン・キホーテと未来世紀ブラジル。

ドン・キホーテはジョナサン・プライスだ。テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」(1985年)で主役サムを演ったところから監督との付き合いが始まった。35年隔たった、2つの映画の写真を並べてみると歳月以上の違いがある。映画パンフレットの隅の方に書いてあった。ドン・キホーテの見事な鷲鼻は付け鼻だと。

アレクサンドル・コット「草原の実験」

2014年のロシア映画、アレクサンドル・コット監督の「草原の実験」をレンタルDVDで観た。

カザフスタンにあった、セミパラチンスク核実験場。ソビエト連邦時代、1949年から1989年の40年間に456回の核実験が行われた。その実際の出来事が映画の元となっている。あのラブレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれたが、無人だとされ周囲に住む70万人もの人々は無視された。

映画からは科白がすべて廃されている。映像詩の映画だ。ステップ気候の乾燥した大草原。地平線を遮るものがない中に一軒家があり、1本の曲がった木が隣に立つ。タルコフスキーの映画「サクリファイス」にオマージュを捧げているようだ。

父と娘の二人暮らし。父親はどこかに仕事しに通っている。途中までトラックの運転をさせてもらう娘。帰り道は、地元の幼なじみの青年が送ってくれる。風来坊のロシア人の青年との三角関係が生じたが娘は強かった。

父親が職場から何かを持ち出したのか、自宅を急襲した一団の持つガイガーカウンターが激しく反応する。

そして、雷が落ちた翌日に悲劇が訪れた。

YouTubeで予告編を見ることができる。https://www.youtube.com/watch?v=3ffA7aU-H0I

カジミェシュ・クッツ「沈黙の声」

ポーランド映画の巨匠、カジミェシュ・クッツ監督の傑作「沈黙の声」を、ポーランド映画祭での追悼上映という形で、2019.11.14恵比寿の東京都写真美術館で観た。1960年の作品。

列車内に入りきれず、屋根の上に張り付いて旅をする男たちの映像から始まる。列車はやがてジェルノの街にたどり着く。第二次世界大戦後ポーランド領となった、旧ドイツ東部領土の都市だ。街の発展のため国内避難民の流入を促進していた。青年ボジェクは、ある共産主義者の処刑を拒み、軍規違反で組織に追われる身だった。駅で知り合った姉妹の姉ルチナと惹かれあうが、女職場長とその助手との都合のいい関係も断ち切ることができない。国内軍兵士時代の仲間と偶然出会い、追手が近いことを知る。

ルチナの得意料理は、ウクライナ風ボルシチだと。ウクライナに出自があるのだろうか。

研ぎ澄まされた空間作りと、繊細な音響設計が高く評価される名作である。

冒頭映像をYouTubeで見つけた。

https://youtu.be/IJtGyI1IlJ8

ポーランド映画祭は11.23まで行われている。

キリル・ピロゴフ主演「リービング・アフガニスタン」

2019年制作・公開のロシア映画。パーヴェル・ルンギン監督。本年9月にレンタルDVDで観たあと、10月にprime videoで見直した。

このブログで以前に触れた、Netflix公開中のロシアドラマ「トロツキー」で、ボリシェヴィキを批判し国外追放となった哲学者、イワン・イリンを好演したキリル・ピロゴフが主演で、KGBの大佐を演じる。

アフガニスタン人民民主党と、その共産政権に対抗する反政府ゲリラとの戦いに、1979年ソビエト連邦が軍事介入したことからアフガニスタン紛争は始まった。1989年のソ連の撤退まで続く長い戦争だった。反政府ゲリラは聖戦を行うものの意味で、ムジャヒディーンと名乗る。この映画は、ソ連軍の1989年の撤退にまつわる出来事を描く。

「戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい」

1979年の開戦当時、西側諸国は猛反発し、1980年のモスクワオリンピックのボイコットにつながった。

我が国でもソ連の人気はガタ落ちで、第2外国語にロシア語を選択していた大学の後輩はがっかりしていた。東京大学は第2外国語は必修で、何語を選んだかでクラス分けされる。私のころは、文系はフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、スペイン語が選択でき、理系はフランス語、ドイツ語、ロシア語のみだったと記憶している。現在は文系、理系とも、スペイン語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、韓国朝鮮語の7つから選べる。

登場人物それぞれに焦点を当て、エピソードを重ね合わせて、映画全体を構成している。中将の息子、囚われのパイロットを奪還するための努力もお話の1つだと思っていたほうがいい。戦闘シーンは、手持ちカメラの揺れを効果的に使い、臨場感あふれる映像となっていた。

攻撃ヘリコプターは、アフガニスタン紛争の象徴となった、Mi-24(ミル24)、NATOコードネーム「ハインド」ではなかった。Mi-8(ミル8)と思われる。

ラストシーンで、主人公たちの搭乗したヘリコプターはミサイルよけのフレアを放出した。一瞬機影を見失ったので撃墜されたのかと思ったが違った。アフガニスタンへの、お別れの挨拶としての花火の打ち上げだったのだろうか。

「怪人カリガリ博士」(1962)

ドイツ表現主義映画の名作「カリガリ博士」(1920)とは、別のものである。白黒映画ではあるが、サイレント映画ではない。筆者が小学生の時、TVで見て心に焼き付いていた「カリガリ博士」は、1920年の作品ではなかった。やっと探し当てることができた。Wikipediaによると、土曜映画劇場での吹替版の放送は1969年7月で筆者は12歳である。

監督はロジャー・ケイ。脚本は「サイコ」の原作者ロバート・ブロックだ。

映画の内容はほとんど忘れていたが、映画クライマックスの悪夢の中の悪夢、パン焼窯のシーンから、この映画が探し求めていたものであることを同定できた。

自動車旅行をしていたジェーンは、タイヤがパンクしたため近くの屋敷に助けを求めた。屋敷の主人の名はカリガリだった。ジェーンは屋敷から出られず、外との連絡もできないことに気づく。屋敷の客は大勢いて、みな好意的であるのだが、自分と似た境遇に置かれているようだ。

2018年に観た、シス・カンパニーの芝居、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」と、出られないという点では類似性を感じた。サルトルの本当に閉塞した状況とは異なる予想通り、あるいは記憶通りの展開で、ほっと安堵した。

1920年の「カリガリ博士」。奇抜で歪んだセットが素敵。