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アレクサンドル・コルチャークとロシア内戦「Адмиралъ」

邦題が映画の内容から外れてるので、ドイツ語版のジャケット。こちらの方がカッコいい。これには日本語字幕は付いてないだろう。

何度も見返せば見返すほど好きになる映画の紹介。2008年のロシア映画「Адмиралъ (Admiral)」邦題:「提督の戦艦」、アンドレイ・クラフチューク監督。

ロシア内戦時の、オムスクの反ボリシェヴィキ政権、臨時全ロシア政府最高執政官アレクサンドル・コルチャークの生涯を、アンナ・チミリョヴァとの愛を軸として描く。

1916年バルト海での機雷敷設艇から物語が始まる。軍功を認められ、皇帝ニコライ2世から黒海艦隊司令長官に任命された。

1917年の二月革命で、ボリシェヴィキ派水兵の反乱による士官階級の虐殺の嵐の中、司令官を解任された。抗議の意味を込めて、日露戦争で授与された聖ゲオルギーの「勇敢」の金剣を海に投げ捨てるシーンが美しい。

ロシア臨時政府のケレンスキーよりアメリカ合衆国に向かうよう命令される。十月革命後、オムスク政府に参加し最高執政官となる。白軍は最初は支配地域を拡大しヴォルガ川に迫ったが、徐々に赤軍が優勢となり、オムスクを放棄しシベリア鉄道でイルクーツクに向かうこととなった。

軍隊と政権中枢を引き連れてだが、アンナ・チミリョヴァとのシベリア鉄道での旅が映画後半の中心となる。鉄道で移動する映画は好きだ。

部下のカッペル将軍率いる白軍の、シベリア大雪中行軍 (Great Siberian Ice March) も描かれる。バイカル湖畔で25万人が凍死したと言われるが、画面上の人の数はずっと少ないものだった。

なお、コルチャーク役のコンスタンチン・ハベンスキーは、Netflixで配信中のドラマ「トロツキー」で赤軍創設者レフ・トロツキーを演じている。

現実のアンナ・チミリョヴァとコルチャーク提督

アンジェイ・ワイダ「大理石の男」

ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「大理石の男」のDVDがほぼ4年ぶりに出た。新版が出る前はプレミアム価格の中古品しか手に入らず、レンタル品もなかった状況だった。1977年の映画で、日本公開は1980年である。日本初公開時に映画館で観たが、そのタイトルさえうろ覚えとなっていて、ウィキペディアで調べなければわからないほどだった。

アンジェイ・ワイダ監督の名前は我が国ではよく知られていた。親日家であったことも有名である。作品名がよく話題となったのは、最初の「抵抗三部作」の中の「地下水道」と「灰とダイアモンド」だ。1980年当時はまだビデオは普及してなかったので、テレビと名画座だけが作品に接する場だった。「地下水道」はテレビで観たことがあったかもしれないがはっきりした記憶はない。もっと後にVHSで鑑賞した時のことはしっかりと覚えている。「灰とダイアモンド」に至っては、2016年にシネマート新宿で行われたポーランド映画祭で観たのが最初である。

アンジェイ・ワイダ監督のことを知ったきっかけもぼやけている。ぴあなどの情報誌から得た知識だったのか、それとも文学部に在籍していた友人との会話からだったのだろうか。

2016年10月9日のアンジェイ・ワイダ監督の訃報に接しても、作品が買えない、借りられない状態であったことにはほとほと困り果てた。「カティンの森」(2007年)、「ワレサ 連帯の男」(2013年)といった比較的最近の作品のDVDは借りやすく、とっくに観ていたのだったが。今年で8年目となる予定のポーランド映画祭に行くしかない。

「大理石の男」は、スターリン体制の50年代ポーランドで、労働英雄として国家に祭り上げられたが、時代に翻弄された男ビルクートを発掘しようとする映画学校の生徒を描く。ビルクートが記録された白黒映画内で、昼食が鰯1匹だった労働者の待遇改善を訴えて、雇用主に魚を投げつけるシーンの記憶は明瞭だった。食べ物を粗末にしてはいけない。もったいない。尾頭付きではないかと思ったのだ。今回見直して、主人公がずっとジーンズの上下で、サンドバッグ型のショルダーバッグを持っているのも、経済的に恵まれないことを主張していることがわかった。

クリストファー・ランバート、ショーン・コネリー「ハイランダー」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の感動に酔いしれたまま、クイーンの楽曲が7曲使用された映画「ハイランダー1」を見直した。1986年の作品だ。7曲中6曲がアルバム「カインド・オブ・マジック」に収録されている。ハイランダーとはスコットランド北部のハイランド地方の住民を指し、タータンチェックのキルトが伝統衣装である。クリストファー・ランバート演じるコナー・マクラウドは、1536年にハイランダーとして戦った時に「不死の者」として覚醒した。この世界には首をはねられない限り死なない不老不死の戦士たちがいて、最後の一人になるまで互いに闘い合い「集合の時」に至るという。

「不死の者」となる条件などは説明されないし、紀元前に作られた日本刀の謎もうやむやとなっていて、DVDのケースにはSF映画と書かれているがオカルト映画のカテゴリーにはいる。回想される16世紀のハイランドの光景は素敵だ。マクラウドの剣の師となり友人となる、スペイン王室冶金長官ホアン・ラミレスをショーン・コネリーが演じる。その伊達男ぶりは健在だ。完全に主役を食っている。これに対し、マクラウドのマディソンスクエアガーデンでの登場シーンは、白いスニーカーに日本刀を隠し持つためのトレンチコートと、ヤッピーファッションでダサく見える。もっとも、今年の流行から言えば、最新のおしゃれにあてはまるのかもしれないが。

続編の「ハイランダー2」は、一般には三流映画という評価が定着してるが、私は好きだ。クイーンの曲もないし、ハイランドの風景もないが。神秘主義を排除、SF的説明があり論理的である。なによりショーン・コネリーの出番が増えて、いい科白が多い。500年の眠りから甦ったラミレスは、自分の服装が時代に合わないことを察して、高級紳士服店で服を誂える。この場面がとてもいい。首刈り機械に追い詰められ絶体絶命となったときの科白「いのちを集中する、一時に、一点に、その時達成する、栄光を」を、私は、手術準備の際に集中するためいつも唱えていた。

シャーリーズ・セロン「アトミック・ブロンド」

シャーリーズ・セロン主演の、スパイアクション映画だ。2017年10月に映画館で観た。BDで見直したのは先月だ。監督はデビッド・リーチ。シャーリーズ・セロンは制作も兼任している。舞台は、ベルリンの壁崩壊が迫る1989年のベルリン。MI6所属の、ブロンドの女スパイ、ローレン・ブロートンの活躍が描かれる。

1980年代のヒット曲の数々が劇中流れる。とくに懐かしさを掻き立てられたのは、2曲目、オープニング・タイトルバックで使われた、デヴィッド・ボウイの「プッティング・アウト・ファイア」だ。この曲は、1982年の映画「キャット・ピープル」の主題歌である。

筆者が最大の敬慕の念を捧げる女優、ナスターシャ・キンスキーは、ロマン・ポランスキー監督の映画「テス」を出世作として全世界で賞賛を浴びた。この映画のナスターシャ・キンスキーの美しさは驚異にほかならなかった。次に日本で公開された主演作が「キャット・ピープル」だ。黒豹に変身する一族を描いた伝奇物語である。マルコム・マクダウェルが兄の役で出演した。

クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」が、「アトミック・ブロンド」の最後に背景を飾る。奇しくも、クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開が2018年11月9日に迫っている。この映画も必見だ。

シャーリーズ・セロンは2005年の映画「イーオン・フラックス」で、2415年の未来を舞台としてアクションを披露している。監督はカリン・クサマ。この映画では、SFXとVFXを多用して未来のアクションが描かれ、敵役はイーオンのすごい能力で一瞬のうちに倒された。

「アトミック・ブロンド」は、拳銃アクションもあるが、中心となるのは肉弾戦のアクションである。役作りのために8人のトレーナーとトレーニングに励んだということだ。本格的な格闘であり、「イーオン・フラックス」と異なり、一人ひとりを確実に倒していかなければならない。青あざの痛みが実感できる。総じて、魅力ある主人公の実体感のあるアクション映画と評すればいいだろうか。

「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」

スマホゲームFate/Grand Orderが流行ってる。職場のスタッフの何人かに勧誘された。Fate関連のアニメはだいたい観てるが、FGOは遊んでいない。リヨの漫画「マンガで分かるFGO!」を先に読んでしまったので、宝具演出がスキップできなくて、ゲームに時間を取られすぎると筆者が思い込んでいるからだ。もともとのFateの世界は、アーサー王と聖杯伝説から始まる。

筆者にとってアーサー王と聖杯伝説の原点は、1979年に某大学の文化祭で観た「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」だ。何度もDVDで見直している。モンティ・パイソンはケンブリッジ大学とオックスフォード大学のコメディサークルから生まれた知的なコメディグループで、モンティ・パイソン以前と以後でコメディの歴史が変わったと言われるほどその影響力は強かった。この映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」は、低予算で馬1匹も出せず、役者はみんな何通りもの役をこなしている。低予算を逆手に取ったギャグがてんこ盛りだ。「未来世紀ブラジル」、「12モンキーズ」などの名作映画をこの世に送り出すことになるテリー・ギリアムと、歴史学者でもあるテリー・ジョーンズの2人が共同監督をした。

トマス・ブルフィンチの「中世騎士物語」を読んで、アーサー王伝説の全体像を捉えたのは、映画よりずっと後になってからだ。岩に刺さった選定の剣とエクスカリバーは別物であることを知った時はショックだった。その前にハービー・ブレナンのゲームブック「グレイルクエスト」(当時の名称はドラゴン・ファンタジー)をやった。フーゴ・ハルの挿絵では、魔術師マーリンがディズニーの映画「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」に出てくる魔法使いのようなコスチュームで描かれている。このマーリンのお喋りは、とても印象的だった。筆者がジェンダーを無視して、自分の娘の名をこの偉大な魔法使いからいただいたぐらいにだ。

Fateの世界では、アーサー王、アルトリア・ペンドラゴンは女性として描かれている。川澄綾子が声を演った。リヨぐだ子がただ「青い」と表現したのが彼女だ。ジェンダーの変換は、筆者のほうが早かった。

アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」

チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキーの、23年ぶりの映画作品となる自伝的映画「リアリティのダンス」(2013)をレンタルDVDで観た。生まれ育ったトコピジャを中心とした話となる。次作「エンドレス・ポエトリー」(2016)でサンティアゴ時代が描かれ、このBD&DVD発売が2018年9月に予定されている。ともに、マジックリアリズムに彩られた作品だ。

ホドロフスキーは、1970年発表の映画「エル・トポ」が伝説的カルト・ムービーとして知られている。ジョン・レノンやアンディ・ウォーホル、ミック・ジャガーなどから絶賛されたという。日本での公開は遅れに遅れて1987年だ。筆者が観たのはつい最近のことである。監督が好き勝手に、閃いたイメージとストーリーを展開させた映画というレッテルを貼られていたが、予想外に観やすい作品だった。前半は小気味よいテンポで卑怯な戦いが続く。後半は、ヒッピー文化最盛期の瞑想的映画とも言える。

筆者がホドロフスキーを知ったのは、フランク・パヴィッチによるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」によってである。2014年7月16日渋谷UPLINKで観た。デヴィッド・リンチが1984年に撮った「デューン/砂の惑星」は、映画ファンも原作ファンもがっかりする出来栄えで、批評家の評価、一般の評価ともに低かった。筆者も映画後半のまとめ方が安直で好きではない。ホドロフスキーによる「DUNE」は1975年に製作開始されたが途中でおじゃんとなった。その顛末を描いた映画が「ホドロフスキーのDUNE」だ。

マジックリアリズムというと、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」に代表される、ラテンアメリカ文学が有名だ。ガルシア=マルケスは好きな作家で、代表作はほとんど読んでいる。映画化された「コレラの時代の愛」を2008年に観たが、映像があまり魔術的ではなく期待はずれだった。「エンドレス・ポエトリー」は、まだ観ていないが、評判からすると心待ちにしていいようだ。

 

シーロ・ゲーラ「彷徨える河」

川を遡る物語。

Netflixで配信されたアニメ「A.I.C.O. Incarnation」は、黒部川を遡上する物語であり、期待以上におもしろかった。冥府巡りの一種のロードムービーだ。

川を遡る映画というと、まっさきに思い出されるのは、フランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)だろう。メコン川を遡り、ベトナム戦争の狂気の中を分け入っていく。2001年にコッポラ自身の再編集により「特別完全版」が作られ50分近いシーンが復活された。長くはなったが、物語の中に入り込むことが容易になった。これから見る人には特別完全版の方を勧める。

ベルナー・ヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」(1972年)は、アマゾン川を狂気とともに筏で進んでいく名作映画で、筆者が大いに感銘を受けた映画の1つだ。クラウス・キンスキーが主演した。しかし、これは川を下る物語だ。同じヘルツォークの「フィツカラルド」(1982年)はアマゾン川を上っては行くが船の規模が大きく、山登りのお話のほうが中心となっている。

コロンビア出身の映画監督、シーロ・ゲーラの「彷徨える河」(2015年)は、先住民族のシャーマン、カラマカテとともにアマゾン川を小舟で遡り、幻の薬用植物ヤクルナを探す旅を描いた白黒映画だ。最初はドイツ人の探検家、2回目はアメリカ人の探検家と、数十年の時を隔てて2回川上りが行われる。1909年と1940年に記された2人の白人探検家による2つの日誌が、脚本の基となっているということだ。アマゾン川とそのジャングルの中で息づいていた、失われていく先住民族の文化と魂に触れることとなる。

堤幸彦「サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜」

前回に引き続き、世間様とは食い違って筆者の評価が高い映画を紹介いたします。ホラーというジャンルはどちらかと言えば嫌いですが、またホラー映画です。3Dアクションホラーゲームの「SIREN」が原作ということになってますが、ゲームとは別物と考えたほうがいいのでしょう。ゲームが原作の映画にありがちなこととして、ゲームをプレイした視聴者はぼろくそに悪く言い、ゲームと無縁の人はそれなりの評価をする傾向があります。本作の一般レビューにも当てはまります。筆者も、原作ゲームはまったくやっていません。映画のみを観て好評価を出しています。

主演は映画「海を感じる時」(2014)で体当たりの演技を披露した市川由衣で、映画初主演がこの2006年の「サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜」となります。監督は「銀幕版スシ王子!」「20世紀少年3部作」「はやぶさ/HAYABUSA」の堤幸彦です。

映画の舞台となる夜美島のロケは八丈島で行われました。この映画の最高にいいところは、八丈島の風光明媚な自然と独特な街並みです。評価基準が前回の投稿と同じですね。空路で東京から55分と決して遠くはない八丈島ですが、機会がなく一度も行ったことがありません。たかまつやよいの漫画「流されて八丈島」は読んでいますが。

背景に流れる音響をこだわりを持って作り上げていて、世界初サウンド・サイコ・スリラーのキャッチコピーが付けられています。ホラー映画によくあるだろう、後を引く陰湿な感じがないことで救われた思いがします。

謎のサイレンの音とともに、人魚伝説が絡んで物語は進行していきます。人魚姫らしい赤い衣の少女(高橋真唯)の謎は最後まで明かされません。松尾スズキの「島を徘徊する男」が、好き勝手な動きをしてるところが演技としていい感じです。クライマックスの鉄塔のシーンは、御殿場の実際の鉄塔を使い、高さ20メートルで撮影したとWebに書かれています。

最後のシーンで、屍人大虐殺へと突き進んでいくことが示唆されます。続編があるとしたら、今度はアクション映画となるでしょう。ルースター・ティース制作「RWBY」の”Red”のトレイラーが思い浮かびました。

リチャード・スタンリー「ダスト・デビル」

個人的に筆者にとっては評価が高いのに、世間一般では忘れ去られてしまった映画を紹介します。1992年のホラー映画「ダスト・デビル」です。2つ前の勤務先、東京船員保険病院(現JCHO東京高輪病院)の当直室で1995年ごろ観たのが最初の出会いでしょう。DVDは未発売ですが、中古で買ったVHSは持っています。

舞台は、アフリカのナミビア。ナミビア沖では、日本の遠洋マグロ延縄漁船が操業しています。遠隔の地ではあっても、日本との縁はしっかりとある国です。延縄漁の1年半にも及ぶ航海はさぞかし大変なことと想像いたします。

砂漠の悪魔ダスト・デビルが、存在の次元を高めるために猟奇的連続殺人を行うというストーリーです。ナミビアの景勝地でロケをしていて、映画がそのまま観光案内になっているところが特に気に入っています。ナミブ砂漠は、いつかは旅行してみたい憧れの地です。主人公の女性ウェンディが悪魔とともに立ち寄る、ナミビア最南端に位置する大渓谷フィッシュリバー・キャニオンの光景は、TVの画面では残念ながらその迫力が伝わってきません。できることならば映画館のスクリーンで見たかった。

かつてダイアモンド鉱山の拠点として栄えた砂の中に埋もれている街、コールマンスコップのゴーストタウンで、お話はクライマックスを迎えます。超自然の存在から逃れることができるのでしょうか。

コートジボワールに赴任した経験のある古くからの友人に、この映画の話をしたところ、「ナミビアは治安のいい国だ。内戦をやっている国の凄惨さは悪魔の恐怖とは桁が違う」と言われました。確かにそのとおり。

ヒラリー・スワンク「アメリア 永遠の翼」

現実のアメリア・イアハートとロッキード・エレクトラ

ミリオンダラー・ベイビーでオスカーを受賞したヒラリー・スワンクが、アメリア・イアハートを演じる伝記映画「アメリア 永遠の翼」(2009)を動画配信で視聴した。監督はミーラー・ナーイル。

1つ前に投稿したクリストファー・プリーストの「隣接界」で、もっとも印象深かったのが女飛行機乗りについて書かれた部分だったので、映像作品を探していて出会った。

アメリア・イアハートは、1932年に女性として初めて大西洋単独横断飛行を成し遂げたことで知られる、米国の代表的国民ヒロインの1人である。赤道上世界一周飛行にロッキード・エレクトラ10Eで挑戦中、1937年7月2日、給油のため太平洋にある米国領のハウランド島を目指していたが消息を絶った。現在は無人島であるこの島は、当時は入植が試みられていたようだ。

長距離飛行がまだ冒険の時代であり、資金集めに奔走し、その上で挑戦を続けたことが映画に描かれている。民間企業も軍の管轄下に置かれていた我が国とは異なり、個人が飛行機を購入して挑んでいたことに驚きを感じる。

このブログの筆者の父親は、戦前からの飛行機設計技師だった。1939年に東大の航空学科を卒業し、同期生は全部で9人である。当時は就職先も海軍が決めていたと聞いた。昭和飛行機での最初の仕事は、名機ダグラスDC-3のノックダウン生産だ。世界で最初の本格的商業旅客機と言われる、ダグラスDC-3は1936年の運用開始である。DC-3はエレクトラよりも航続距離が長いことを考えると、アメリアの運命は残念でしかない。エレクトラに行った改造、増設燃料タンクの設置はDC-3でも必要となっただろうが。

映画は戦闘機乗りのような激しい機動はなく、空撮部分は優雅な俯瞰映像に満ちている。アメリアの服装も、戦時中の飛行士とは異なる。「風の谷のナウシカ」のようなスピード感溢れる映像を期待してはいけない。