カテゴリー別アーカイブ: 映画

アレクサンドル・コット「草原の実験」

2014年のロシア映画、アレクサンドル・コット監督の「草原の実験」をレンタルDVDで観た。

カザフスタンにあった、セミパラチンスク核実験場。ソビエト連邦時代、1949年から1989年の40年間に456回の核実験が行われた。その実際の出来事が映画の元となっている。あのラブレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれたが、無人だとされ周囲に住む70万人もの人々は無視された。

映画からは科白がすべて廃されている。映像詩の映画だ。ステップ気候の乾燥した大草原。地平線を遮るものがない中に一軒家があり、1本の曲がった木が隣に立つ。タルコフスキーの映画「サクリファイス」にオマージュを捧げているようだ。

父と娘の二人暮らし。父親はどこかに仕事しに通っている。途中までトラックの運転をさせてもらう娘。帰り道は、地元の幼なじみの青年が送ってくれる。風来坊のロシア人の青年との三角関係が生じたが娘は強かった。

父親が職場から何かを持ち出したのか、自宅を急襲した一団の持つガイガーカウンターが激しく反応する。

そして、雷が落ちた翌日に悲劇が訪れた。

YouTubeで予告編を見ることができる。https://www.youtube.com/watch?v=3ffA7aU-H0I

カジミェシュ・クッツ「沈黙の声」

ポーランド映画の巨匠、カジミェシュ・クッツ監督の傑作「沈黙の声」を、ポーランド映画祭での追悼上映という形で、2019.11.14恵比寿の東京都写真美術館で観た。1960年の作品。

列車内に入りきれず、屋根の上に張り付いて旅をする男たちの映像から始まる。列車はやがてジェルノの街にたどり着く。第二次世界大戦後ポーランド領となった、旧ドイツ東部領土の都市だ。街の発展のため国内避難民の流入を促進していた。青年ボジェクは、ある共産主義者の処刑を拒み、軍規違反で組織に追われる身だった。駅で知り合った姉妹の姉ルチナと惹かれあうが、女職場長とその助手との都合のいい関係も断ち切ることができない。国内軍兵士時代の仲間と偶然出会い、追手が近いことを知る。

ルチナの得意料理は、ウクライナ風ボルシチだと。ウクライナに出自があるのだろうか。

研ぎ澄まされた空間作りと、繊細な音響設計が高く評価される名作である。

冒頭映像をYouTubeで見つけた。

https://youtu.be/IJtGyI1IlJ8

ポーランド映画祭は11.23まで行われている。

キリル・ピロゴフ主演「リービング・アフガニスタン」

2019年制作・公開のロシア映画。パーヴェル・ルンギン監督。本年9月にレンタルDVDで観たあと、10月にprime videoで見直した。

このブログで以前に触れた、Netflix公開中のロシアドラマ「トロツキー」で、ボリシェヴィキを批判し国外追放となった哲学者、イワン・イリンを好演したキリル・ピロゴフが主演で、KGBの大佐を演じる。

アフガニスタン人民民主党と、その共産政権に対抗する反政府ゲリラとの戦いに、1979年ソビエト連邦が軍事介入したことからアフガニスタン紛争は始まった。1989年のソ連の撤退まで続く長い戦争だった。反政府ゲリラは聖戦を行うものの意味で、ムジャヒディーンと名乗る。この映画は、ソ連軍の1989年の撤退にまつわる出来事を描く。

「戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい」

1979年の開戦当時、西側諸国は猛反発し、1980年のモスクワオリンピックのボイコットにつながった。

我が国でもソ連の人気はガタ落ちで、第2外国語にロシア語を選択していた大学の後輩はがっかりしていた。東京大学は第2外国語は必修で、何語を選んだかでクラス分けされる。私のころは、文系はフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、スペイン語が選択でき、理系はフランス語、ドイツ語、ロシア語のみだったと記憶している。現在は文系、理系とも、スペイン語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、韓国朝鮮語の7つから選べる。

登場人物それぞれに焦点を当て、エピソードを重ね合わせて、映画全体を構成している。中将の息子、囚われのパイロットを奪還するための努力もお話の1つだと思っていたほうがいい。戦闘シーンは、手持ちカメラの揺れを効果的に使い、臨場感あふれる映像となっていた。

攻撃ヘリコプターは、アフガニスタン紛争の象徴となった、Mi-24(ミル24)、NATOコードネーム「ハインド」ではなかった。Mi-8(ミル8)と思われる。

ラストシーンで、主人公たちの搭乗したヘリコプターはミサイルよけのフレアを放出した。一瞬機影を見失ったので撃墜されたのかと思ったが違った。アフガニスタンへの、お別れの挨拶としての花火の打ち上げだったのだろうか。

「怪人カリガリ博士」(1962)

ドイツ表現主義映画の名作「カリガリ博士」(1920)とは、別のものである。白黒映画ではあるが、サイレント映画ではない。筆者が小学生の時、TVで見て心に焼き付いていた「カリガリ博士」は、1920年の作品ではなかった。やっと探し当てることができた。Wikipediaによると、土曜映画劇場での吹替版の放送は1969年7月で筆者は12歳である。

監督はロジャー・ケイ。脚本は「サイコ」の原作者ロバート・ブロックだ。

映画の内容はほとんど忘れていたが、映画クライマックスの悪夢の中の悪夢、パン焼窯のシーンから、この映画が探し求めていたものであることを同定できた。

自動車旅行をしていたジェーンは、タイヤがパンクしたため近くの屋敷に助けを求めた。屋敷の主人の名はカリガリだった。ジェーンは屋敷から出られず、外との連絡もできないことに気づく。屋敷の客は大勢いて、みな好意的であるのだが、自分と似た境遇に置かれているようだ。

2018年に観た、シス・カンパニーの芝居、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」と、出られないという点では類似性を感じた。サルトルの本当に閉塞した状況とは異なる予想通り、あるいは記憶通りの展開で、ほっと安堵した。

1920年の「カリガリ博士」。奇抜で歪んだセットが素敵。

アレクサンドル・コルチャークとロシア内戦「Адмиралъ」

邦題が映画の内容から外れてるので、ドイツ語版のジャケット。こちらの方がカッコいい。これには日本語字幕は付いてないだろう。

何度も見返せば見返すほど好きになる映画の紹介。2008年のロシア映画「Адмиралъ (Admiral)」邦題:「提督の戦艦」、アンドレイ・クラフチューク監督。

ロシア内戦時の、オムスクの反ボリシェヴィキ政権、臨時全ロシア政府最高執政官アレクサンドル・コルチャークの生涯を、アンナ・チミリョヴァとの愛を軸として描く。

1916年バルト海での機雷敷設艇から物語が始まる。軍功を認められ、皇帝ニコライ2世から黒海艦隊司令長官に任命された。

1917年の二月革命で、ボリシェヴィキ派水兵の反乱による士官階級の虐殺の嵐の中、司令官を解任された。抗議の意味を込めて、日露戦争で授与された聖ゲオルギーの「勇敢」の金剣を海に投げ捨てるシーンが美しい。

ロシア臨時政府のケレンスキーよりアメリカ合衆国に向かうよう命令される。十月革命後、オムスク政府に参加し最高執政官となる。白軍は最初は支配地域を拡大しヴォルガ川に迫ったが、徐々に赤軍が優勢となり、オムスクを放棄しシベリア鉄道でイルクーツクに向かうこととなった。

軍隊と政権中枢を引き連れてだが、アンナ・チミリョヴァとのシベリア鉄道での旅が映画後半の中心となる。鉄道で移動する映画は好きだ。

部下のカッペル将軍率いる白軍の、シベリア大雪中行軍 (Great Siberian Ice March) も描かれる。バイカル湖畔で25万人が凍死したと言われるが、画面上の人の数はずっと少ないものだった。

なお、コルチャーク役のコンスタンチン・ハベンスキーは、Netflixで配信中のドラマ「トロツキー」で赤軍創設者レフ・トロツキーを演じている。

現実のアンナ・チミリョヴァとコルチャーク提督

アンジェイ・ワイダ「大理石の男」

ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「大理石の男」のDVDがほぼ4年ぶりに出た。新版が出る前はプレミアム価格の中古品しか手に入らず、レンタル品もなかった状況だった。1977年の映画で、日本公開は1980年である。日本初公開時に映画館で観たが、そのタイトルさえうろ覚えとなっていて、ウィキペディアで調べなければわからないほどだった。

アンジェイ・ワイダ監督の名前は我が国ではよく知られていた。親日家であったことも有名である。作品名がよく話題となったのは、最初の「抵抗三部作」の中の「地下水道」と「灰とダイアモンド」だ。1980年当時はまだビデオは普及してなかったので、テレビと名画座だけが作品に接する場だった。「地下水道」はテレビで観たことがあったかもしれないがはっきりした記憶はない。もっと後にVHSで鑑賞した時のことはしっかりと覚えている。「灰とダイアモンド」に至っては、2016年にシネマート新宿で行われたポーランド映画祭で観たのが最初である。

アンジェイ・ワイダ監督のことを知ったきっかけもぼやけている。ぴあなどの情報誌から得た知識だったのか、それとも文学部に在籍していた友人との会話からだったのだろうか。

2016年10月9日のアンジェイ・ワイダ監督の訃報に接しても、作品が買えない、借りられない状態であったことにはほとほと困り果てた。「カティンの森」(2007年)、「ワレサ 連帯の男」(2013年)といった比較的最近の作品のDVDは借りやすく、とっくに観ていたのだったが。今年で8年目となる予定のポーランド映画祭に行くしかない。

「大理石の男」は、スターリン体制の50年代ポーランドで、労働英雄として国家に祭り上げられたが、時代に翻弄された男ビルクートを発掘しようとする映画学校の生徒を描く。ビルクートが記録された白黒映画内で、昼食が鰯1匹だった労働者の待遇改善を訴えて、雇用主に魚を投げつけるシーンの記憶は明瞭だった。食べ物を粗末にしてはいけない。もったいない。尾頭付きではないかと思ったのだ。今回見直して、主人公がずっとジーンズの上下で、サンドバッグ型のショルダーバッグを持っているのも、経済的に恵まれないことを主張していることがわかった。

クリストファー・ランバート、ショーン・コネリー「ハイランダー」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の感動に酔いしれたまま、クイーンの楽曲が7曲使用された映画「ハイランダー1」を見直した。1986年の作品だ。7曲中6曲がアルバム「カインド・オブ・マジック」に収録されている。ハイランダーとはスコットランド北部のハイランド地方の住民を指し、タータンチェックのキルトが伝統衣装である。クリストファー・ランバート演じるコナー・マクラウドは、1536年にハイランダーとして戦った時に「不死の者」として覚醒した。この世界には首をはねられない限り死なない不老不死の戦士たちがいて、最後の一人になるまで互いに闘い合い「集合の時」に至るという。

「不死の者」となる条件などは説明されないし、紀元前に作られた日本刀の謎もうやむやとなっていて、DVDのケースにはSF映画と書かれているがオカルト映画のカテゴリーにはいる。回想される16世紀のハイランドの光景は素敵だ。マクラウドの剣の師となり友人となる、スペイン王室冶金長官ホアン・ラミレスをショーン・コネリーが演じる。その伊達男ぶりは健在だ。完全に主役を食っている。これに対し、マクラウドのマディソンスクエアガーデンでの登場シーンは、白いスニーカーに日本刀を隠し持つためのトレンチコートと、ヤッピーファッションでダサく見える。もっとも、今年の流行から言えば、最新のおしゃれにあてはまるのかもしれないが。

続編の「ハイランダー2」は、一般には三流映画という評価が定着してるが、私は好きだ。クイーンの曲もないし、ハイランドの風景もないが。神秘主義を排除、SF的説明があり論理的である。なによりショーン・コネリーの出番が増えて、いい科白が多い。500年の眠りから甦ったラミレスは、自分の服装が時代に合わないことを察して、高級紳士服店で服を誂える。この場面がとてもいい。首刈り機械に追い詰められ絶体絶命となったときの科白「いのちを集中する、一時に、一点に、その時達成する、栄光を」を、私は、手術準備の際に集中するためいつも唱えていた。

シャーリーズ・セロン「アトミック・ブロンド」

シャーリーズ・セロン主演の、スパイアクション映画だ。2017年10月に映画館で観た。BDで見直したのは先月だ。監督はデビッド・リーチ。シャーリーズ・セロンは制作も兼任している。舞台は、ベルリンの壁崩壊が迫る1989年のベルリン。MI6所属の、ブロンドの女スパイ、ローレン・ブロートンの活躍が描かれる。

1980年代のヒット曲の数々が劇中流れる。とくに懐かしさを掻き立てられたのは、2曲目、オープニング・タイトルバックで使われた、デヴィッド・ボウイの「プッティング・アウト・ファイア」だ。この曲は、1982年の映画「キャット・ピープル」の主題歌である。

筆者が最大の敬慕の念を捧げる女優、ナスターシャ・キンスキーは、ロマン・ポランスキー監督の映画「テス」を出世作として全世界で賞賛を浴びた。この映画のナスターシャ・キンスキーの美しさは驚異にほかならなかった。次に日本で公開された主演作が「キャット・ピープル」だ。黒豹に変身する一族を描いた伝奇物語である。マルコム・マクダウェルが兄の役で出演した。

クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」が、「アトミック・ブロンド」の最後に背景を飾る。奇しくも、クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開が2018年11月9日に迫っている。この映画も必見だ。

シャーリーズ・セロンは2005年の映画「イーオン・フラックス」で、2415年の未来を舞台としてアクションを披露している。監督はカリン・クサマ。この映画では、SFXとVFXを多用して未来のアクションが描かれ、敵役はイーオンのすごい能力で一瞬のうちに倒された。

「アトミック・ブロンド」は、拳銃アクションもあるが、中心となるのは肉弾戦のアクションである。役作りのために8人のトレーナーとトレーニングに励んだということだ。本格的な格闘であり、「イーオン・フラックス」と異なり、一人ひとりを確実に倒していかなければならない。青あざの痛みが実感できる。総じて、魅力ある主人公の実体感のあるアクション映画と評すればいいだろうか。

「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」

スマホゲームFate/Grand Orderが流行ってる。職場のスタッフの何人かに勧誘された。Fate関連のアニメはだいたい観てるが、FGOは遊んでいない。リヨの漫画「マンガで分かるFGO!」を先に読んでしまったので、宝具演出がスキップできなくて、ゲームに時間を取られすぎると筆者が思い込んでいるからだ。もともとのFateの世界は、アーサー王と聖杯伝説から始まる。

筆者にとってアーサー王と聖杯伝説の原点は、1979年に某大学の文化祭で観た「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」だ。何度もDVDで見直している。モンティ・パイソンはケンブリッジ大学とオックスフォード大学のコメディサークルから生まれた知的なコメディグループで、モンティ・パイソン以前と以後でコメディの歴史が変わったと言われるほどその影響力は強かった。この映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」は、低予算で馬1匹も出せず、役者はみんな何通りもの役をこなしている。低予算を逆手に取ったギャグがてんこ盛りだ。「未来世紀ブラジル」、「12モンキーズ」などの名作映画をこの世に送り出すことになるテリー・ギリアムと、歴史学者でもあるテリー・ジョーンズの2人が共同監督をした。

トマス・ブルフィンチの「中世騎士物語」を読んで、アーサー王伝説の全体像を捉えたのは、映画よりずっと後になってからだ。岩に刺さった選定の剣とエクスカリバーは別物であることを知った時はショックだった。その前にハービー・ブレナンのゲームブック「グレイルクエスト」(当時の名称はドラゴン・ファンタジー)をやった。フーゴ・ハルの挿絵では、魔術師マーリンがディズニーの映画「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」に出てくる魔法使いのようなコスチュームで描かれている。このマーリンのお喋りは、とても印象的だった。筆者がジェンダーを無視して、自分の娘の名をこの偉大な魔法使いからいただいたぐらいにだ。

Fateの世界では、アーサー王、アルトリア・ペンドラゴンは女性として描かれている。川澄綾子が声を演った。リヨぐだ子がただ「青い」と表現したのが彼女だ。ジェンダーの変換は、筆者のほうが早かった。

アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」

チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキーの、23年ぶりの映画作品となる自伝的映画「リアリティのダンス」(2013)をレンタルDVDで観た。生まれ育ったトコピジャを中心とした話となる。次作「エンドレス・ポエトリー」(2016)でサンティアゴ時代が描かれ、このBD&DVD発売が2018年9月に予定されている。ともに、マジックリアリズムに彩られた作品だ。

ホドロフスキーは、1970年発表の映画「エル・トポ」が伝説的カルト・ムービーとして知られている。ジョン・レノンやアンディ・ウォーホル、ミック・ジャガーなどから絶賛されたという。日本での公開は遅れに遅れて1987年だ。筆者が観たのはつい最近のことである。監督が好き勝手に、閃いたイメージとストーリーを展開させた映画というレッテルを貼られていたが、予想外に観やすい作品だった。前半は小気味よいテンポで卑怯な戦いが続く。後半は、ヒッピー文化最盛期の瞑想的映画とも言える。

筆者がホドロフスキーを知ったのは、フランク・パヴィッチによるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」によってである。2014年7月16日渋谷UPLINKで観た。デヴィッド・リンチが1984年に撮った「デューン/砂の惑星」は、映画ファンも原作ファンもがっかりする出来栄えで、批評家の評価、一般の評価ともに低かった。筆者も映画後半のまとめ方が安直で好きではない。ホドロフスキーによる「DUNE」は1975年に製作開始されたが途中でおじゃんとなった。その顛末を描いた映画が「ホドロフスキーのDUNE」だ。

マジックリアリズムというと、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」に代表される、ラテンアメリカ文学が有名だ。ガルシア=マルケスは好きな作家で、代表作はほとんど読んでいる。映画化された「コレラの時代の愛」を2008年に観たが、映像があまり魔術的ではなく期待はずれだった。「エンドレス・ポエトリー」は、まだ観ていないが、評判からすると心待ちにしていいようだ。