月別アーカイブ: 2016年6月

シス・カンパニー「コペンハーゲン」

cover12016年6月23日、シス・カンパニーの公演「コペンハーゲン」をシアタートラムで観ました。作:マイケル・フレイン、演出:小川絵梨子、キャストは不確定性原理で有名なハイゼンベルクを段田安則、その師匠ニルス・ボーアを浅野和之、ボーアの妻でその秘書を務めていたマルグレーテ・ボーアを宮沢りえが演じました。3人芝居です。

ニルス・ボーアとハイゼンベルクは量子力学を創設し、量子的重ねあわせのコペンハーゲン解釈を提唱したことで知られています。粒子は空間内にシュレディンガーの波動関数に従った確率的広がりを持って存在しているが、観測が行われた瞬間に1点に収束するというやつです。

ナチス・ドイツの占領下にあったコペンハーゲンのニルス・ボーアのもとを、1941年9月の終わりのある1日、ハイゼンベルクが歴史的にも謎とされる訪問を行いました。ハイゼンベルクは母国ドイツに留まり、ナチスの原爆開発チーム、ウランクラブの一員となっていたのです。訪問の意図はなんで、この1日になにが話し合われたのかを、すでに鬼籍に入った3人が後になって検証を試みるという筋立てです。

連合国側の原爆開発の情報を探るため、ナチスの原爆開発を阻止するため、ボーアをナチス側に引き入れるため、ただ自慢をしたかっただけなど、さまざまな可能性が演じ直されます。しかし、起こり得たことが提示されただけで、その内容によって歴史が変わったかもしれない事実は「不確定」であることが浮かび上がって来ます。

自分の物理学の思い出を語ります。大学の教養課程で、理系の学生は数学、物理、化学、生物は必修科目で予定が詰まっていました。教科書は指定されずいくつかの参考書が紹介され、それを好きに選んで勝手に勉強するのが私の大学の方針でした。電磁気学で選んだ「ファインマン物理学」(岩波書店)は、とても面白く興奮を呼び名著であることがわかりました。全巻買い直して手元にあります。第V巻の量子力学は1979年初版で、私の駒場時代にはまだ出版されていなかったことに気づきました。本郷に上がってから、量子コンピューターがお伽話ではなくなってきた現在に至るまで、じっくりと量子力学を勉強する暇は残念ながら見いだせていません。

 

藤井太洋「オービタル・クラウド」

4115y+w-T7L 51q3Eaj5SpL2015年の第35回SF大賞、第46回星雲賞受賞作品である、藤井太洋の「オービタル・クラウド」が2016年5月、電子書籍化されました。

伊藤計劃の「屍者の帝国」と世界観を共有したアンソロジー「屍者たちの帝国」に参加した藤井太洋の改変歴史物「従卒トム」で、山岡鉄舟、勝海舟の2人がとてもかっこよく描かれ、抜群の面白さを発揮していたので、機会があれば長編を読んでみようと思っていた所でした。

「オービタル・クラウド」は、テザー推進による人工衛星群の話で、2020年の近未来、日本の近隣の某国のスペーステロとの攻防戦が描かれます。テザー推進とは、磁場と電場から導電性テザーに発生するローレンツ力による推進システムです。

私は1957年の生まれで、この年に史上初の人工衛星、スプートニク1号が軌道上に乗りました。アポロ11号の月着陸は1969年で12歳の時の出来事でした。徹夜で放送にかじりついていました。すなわち、宇宙のことといえば何であろうと血が騒ぐ世代に属します。一時は皆の興味を惹かなくなっていた宇宙開発ですが、最近は、はやぶさの活躍、映画「ゼロ・グラビティ」、漫画「宇宙兄弟」、小説「火星の人」とその映画化など、多くの人に通じるあたりまえの話題として復活しています。

本書の導入部で語られる、ツィオルコフスキーの公式は、推進剤を用いるロケット推進に関する公式で、宇宙旅行の父コンスタンチン・ツィオルコフスキーが1897年に発表したものです。ツィオルコフスキーの伝記は私の小学生の頃の愛読書でした。今はどのぐらいの人が、ツィオルコフスキーの有名な言葉「地球は人類の揺りかごだが、そこに永遠に留まっているわけにはいかない」を知っているのでしょうか。もちろんテザー推進は、ツィオルコフスキーの公式には縛られません。

この小説では、登場人物は、敵も味方も全員が天才的な能力を発揮します。さまざまな問題が時間的猶予なしにどんどん降りかかって来ますが、素晴らしいスピードで解決されていきます。それでも上下2巻になるのですから、いかに扱ったトピックスの数が膨大かということです。読む方の脳が、休みをはさまなければ理解ししっくりと収められない状態となりました。

以上、宇宙が好き、軌道計算が好き、ラズベリーパイを使った電子工作が好きという人に迷わず勧める小説です。また、若干噛ませ犬的なポジションですが、F-15、F-22の航空機も活躍します。こちらのファンの人も一読の価値があります。

SolPie「茶丽丝少女」

茶丽丝少女中国人ボカロPである、SolPie(ソウパイ)を紹介します。とは言っても、私は2014年にSolPieの曲にたまたま巡りあって、その音楽が好きになった一介のファンですから、以下の記事は初音ミクWikiやニコニコ大百科などからの引用です。

中国広西チワン族自治区桂林出身です。初音ミクが日本語データベースであるにもかかわらず、見事な中国語調教を施すことで人気が出ました。2010年5月7日に投稿した「西江月」(後に「月西江」として再投稿)でその名を知られるようになりましたが、中国人ということで動画が荒れ、さらに荒らしがエスカレートして行き、いわれのない中傷とそれに対するコメントの応酬など、この動画のせいでみんなが仲良くなれないということで「月西江」を削除しました。

私がSolPieの曲を知ったのは、iTunesの購入履歴からの紹介機能で「消えてる放射線(Floral Nuke)」を聞いたことが始まりです。「月西江」も現在はiTunesないしApple Musicで聞けます。

2016年2月3日のSolPieの新曲「茶丽丝少女」は、繁体字では「茶麗絲少女」となって、「リージ茶の少女」と翻訳できます。機械翻訳ソフトと曲調から、クリスマス・イブの日にほとんど忘れかけていた昔の恋人の事を思い出した少女の曲だとわかりました。彼女は泣きません。

とても好きな曲です。

 

 

アン・レッキー「叛逆航路」「亡霊星域」

61XNx4iiNeL._SX354_BO1,204,203,200_ 51Sv1aggjTL._SX354_BO1,204,203,200_アメリカの作家、アン・レッキーのデビュー作「ラドチ戦史」シリーズの第1作と第2作です。第1作の「叛逆航路」は2013年に発表され、同年度のネビュラ賞、英国SF協会賞、キッチーズ賞、2014年度のヒューゴー賞、ローカス賞、クラーク賞、英国幻想文学大賞と、英米の主要SF賞7冠を達成しました。邦訳は2015年11月で、上記7冠獲得の華々しいキャッチコピーとともに日本上陸を果たしました。第2作の「亡霊星域」はその続編で、こちらもローカス賞と英国SF協会賞に輝いています。本邦初訳は2016年4月でした。ラドチ戦史シリーズは全3部作で、第3作は2015年に刊行されています。我が国での出版予定はまだ公表されていません。

SFのジャンルは、ニュー・スペースオペラと呼ぶことが出来る大規模エンターテイメントSF活劇です。「デューン/砂の惑星」からはすでに長い年月が経ってしまい、「スター・ウォーズ」も話の終わりが見え出した現在、多くの読者が新しい、壮大な世界観に支えられた作品世界を求めていたという背景があって受賞につながったと考えます。

本シリーズで1番の特徴となるのは、ラドチの文化ではジェンダーの区別がないことです。3人称代名詞はすべて「彼女」、親は男女とも「母親」、兄弟も男女とも「姉妹」と表記されます。一種の叙述トリックとなっていますが、あくまでも文化圏の特徴を描くために用いられていて、ここから謎を解き明かす必要はありません。われわれは、登場人物に性別を備えた具体的なイメージを重ね合わせて読むことに慣れきってしまっていることが実感できます。最初はこのジェンダーの区別がないことが、非常な読みにくさと感じられました。他の文化圏からみれば、ラドチの市民にも男女の別はあり、恋愛行為もあるのですから。恋愛に関してはかなり自由で、軍隊内でもまったくタブーではありません。そして、ジェンダーを区別しない文化圏での恋愛行為ですので、さらに自由です。従って、最初は男女の同定をすべて放棄して読み進めることをお勧めします。第2作「亡霊星域」までたどり着ければ、ジェンダーを区別しない読み方にも慣れてきて、世界観を余裕を持って味わうことが出来ると保証いたします。

しかし、このシリーズ、いずれは映画化されると思いますが、生物学的な男女の別はあるのに、ジェンダーを区別しない文化というものを、映像ではどのように描くのでしょうか。

他には、なにかといえばお茶をたしなむこと、手袋を常にして素手を晒すことは大変な恥となること、アマート神を中心とした多神教、服装の細かな規定、アクセントで表される出自が問題となる階級社会など、ラドチ文化についていろいろな側面が描かれます。「デューン/砂の惑星」がイスラム教やアラブ世界から発想を取り入れて文明を描いていることに比べると、西欧文化圏の側に立つ日本人にとって、ラドチ文化を理解するのは拍子抜けするぐらい容易です。お茶の習慣は、英国にもインドにも日本にもありますし。ただし現代日本のはペットボトル入りのお茶の習慣であり、ラドチ市民からみれば文化的な余裕のない蛮族と評されるかもしれません。