月別アーカイブ: 2017年2月

万田邦敏「SYNCHRONIZER」

万田邦敏監督の映画「SYNCHRONIZER」を渋谷ユーロスペースで観た。

映画に登場する古い医療技術は、映画の主題以上に呪術的恐怖を引き起こす。

1973年の映画「エクソシスト」では、パズズに憑依された少女の診察に、コンピュータを用いないアナログな機械的装置である、管球とフィルムが動き回る断層撮影が登場する。EMI社のCTの発表は1972年であり、1973年の時点ではコンピュータ以前の断層撮影は標準的検査法であったのだろうが、悪魔以上に不気味な物体に見える。

1980年の映画「アルタード・ステーツ」では、ジョン・C・リリーの開発したアイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)による実験が描かれる。ペンプロッター式の多チャンネルアナログ脳波計が、今では、禍々しさを演出する小道具として目に映る。実験の結果、遺伝子に潜む系統発生の記憶が解放され、主人公の細胞は変化し類人猿と化してしまう。「SYNCHRONIZER」は、医学実験から新しい生命形態が誕生するなど、この「アルタード・ステーツ」に近いものを感じさせる。

認知症治療の研究のため、ヒトとヒトの脳波を同期させる。映画内で扱われるのは脳波であり、映像で見栄えのする、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)やポジトロン断層法(PET)などの最近の脳機能イメージングではない。グロテスクな眼帯様の電極を装着し、正弦波状の脳波(脳波のようなもの)を2つ重ね合わせる。「新世紀エヴァンゲリオン」のインターフェイス・ヘッドセットを介したシンクロを思い浮かべれば理解しやすいだろうが、エヴァのような未来的な格好いいものではない。昭和の時代の民家の中で、昭和の家具に囲まれて実験は継続される。

筆者は視覚誘発電位などの電気生理学的測定の経験を多数持っているが、これはノイズとの戦いである。ハムノイズを極力減らした環境を作り上げ、シグナルよりずっと大きな筋電図などの影響の中から目的とする電位変動を取り出さなければならない。基線の動揺などの誤差要因は、それでもなくならない。測定値は常に誤差を含んでいる。

映画の文脈に合わせて書けば、1個1個の数字の裏に必ず魔が潜んでいるのである。

 

Project Itoh 「虐殺器官」

2017年2月9日、映画「虐殺器官」を観た。

2009年3月に34歳の若さで病没した、作家伊藤計劃の小説「虐殺器官」「ハーモニー」と、冒頭部が絶筆として遺され、盟友の円城塔が書き継いだ「屍者の帝国」の3作を劇場アニメ化する企画がProject Itohである。3つの映画をそれぞれ別のスタジオが制作したが、キャラクター原案をすべてイラストレーターredjuiceが行い世界観の統一が図られた。また、主題歌は全作品でEGOISTが担当した。アルバム「リローデッド」に収められている。2015年10月に映画「屍者の帝国」が、2015年11月に映画「<harmony/>」が封切られた。

映画「虐殺器官」は、製作会社の倒産があり公開が危ぶまれたが、新たなスタジオ「ジェノスタジオ」を設立しての制作再開となった。2017年2月3日、無事公開初日を迎えた。

3作品とも、ほぼ、原作小説に忠実な映像化が行われている。「虐殺器官」では、内省的な描写である主人公とその母親との関係性はあえて省かれているが、これにより物語の進行を映像のリズムとスピードで表現することが可能となった。

小説「虐殺器官」は伊藤計劃のデビュー作で、2007年6月発行。文庫版の刊行は2010年である。私が原作を初めて読んだのは、小説「ハーモニー」の英訳版が2011年4月にフィリップ・K・ディック記念特別賞を受賞したとの報からで、2011年5月に小説「ハーモニー」とともに読破した。米国の名の通ったSFの賞を、日本のSF小説が受賞したのは初めてだったのだ。

ノーム・チョムスキーの提唱する生成文法の理論に則って「虐殺器官」は書かれている。概念の説明のための会話が、アクションとアクションの間に多数挿入されているが、冗長となることはなかった。しかし、原作小説を未読であるか、生成文法に関する基礎知識をまったく持たない人が、いきなり映画を観たら違った感想を抱くかもしれない。

視覚に訴えるのであたりまえではあるが、SF的ガジェットの描写は映画の方が原作よりずっとわかりやすい。とくに、部隊員を入れて高空から目的地に射出される人工筋肉を用いたイントルード・ポッドは、原作でも映画でも最初の方から出てくる。原作の「巨人のボールペンのような漆黒の棒状の物体」ではイメージしきれなかった。バリエーションによる違いも巧妙にデザインされていた。

プログラムの表紙にはジョン・ポールが描かれている。

ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」

IMG_2739 41WML4ynyFL小説のあらすじを知ったのは、1960年代の小学生の頃。定期購読していた漫画雑誌の巻末にSF小説を紹介する記事があり、そこからという、文章を通じての知識の獲得だったはずだ。候補となる雑誌は3つしかない。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載された光文社の月刊誌「少年」。同じく光文社のカッパ・コミックス「鉄腕アトム」と「鉄人28号」のシリーズで、これらも月刊で刊行されていた。少年サンデーや少年マガジンなどの週刊漫画雑誌が主流となる前の時代だった。

小説が発表されたのは1951年で、冷戦による世界的緊張のさなか、核戦争による人類滅亡が素肌で感じられた時代の影響を受けている。この後の1961年にコンゴ動乱がピークに達し、1962年にキューバ危機と大きなうねりはまだまだ続いたのだ。

良質の油が取れるため世界中で大規模に、歩行する肉食植物トリフィドが栽培されていた。ある夜、緑色の流星雨が流れ、世界中の人々がその天体ショーを喜々として鑑賞した。主人公はトリフィドの毒のある鞭で目をやられて、治療のため入院して目を覆っていたので流星雨を目撃しなかった。翌日、流星雨を見た人々は皆、盲目となっていた。トリフィドが大挙して人類を襲い始めた。

私が文庫で「トリフィド時代」(井上勇訳)を購入したのは1981年のことだった。しかし、あまりの文字の細かさに挫けて、35年以上本棚に放置していた。今回、故あって再び手にしてみたが、活字のサイズがやはり耐えられなかった。しかたなく、電子書籍版「トリフィドの日」(志貴宏訳)で読了した。

そして、小説の内容の先入観と異なった部分に驚愕した。

流星雨は自然現象ではなく、軌道上の衛星兵器の誤作動であった可能性が言及される。自然の力による災害ではなく、人間の過ちによるものならば再発を防ぎ得ると主人公たちは事実を肯定的に受け止める。

視覚を維持できた少数の人々が、生き延びた人類の新たな統治法を巡って、党派間抗争を繰り広げることが小説の主題となっている。トリフィドは人類の大敵であるが、より危険で身近な敵は人類そのものである。

失明のメカニズムや治療に関しての考察はまったく行われない。小説の出だしの方で、失明した医師の自殺が描かれる。医療は無力であると、最初から排除されている。