月別アーカイブ: 2017年9月

藤井太洋「公正的戦闘規範」

藤井太洋初のSF作品集で、全5篇収録。表題作が一番おもしろかった。

2024年の中国、現在のプレデターなどの無人機による戦闘が発展し、さらに安価なドローンを用い、オペレータではなく搭載したAIが攻撃を行うようになった。これを開発したのは人民解放軍だったが、テロリスト側に劣化コピーされ、無差別テロ目的にキルバグが空にばらまかれていた。上海の日系ゲーム開発会社に勤めている元軍人の趙公正は、春節休暇で遠い新疆の故郷に鉄道で帰る途上、テロとの奇妙な戦いに出会う。

以下ネタバレ。

際限なく拡散するテロとそれへの応戦に歯止めを掛けるには、ドローンのオペレータを含め、戦闘に参加する人間は、必ず戦闘区域にいなければならない。そこには英雄譚的な物語性が必要であるとする。

比較的小規模な、不正規戦が中心の戦闘ならあり得るかもしれない。海軍、空軍が動員された大規模戦争でこの規則を定義するのは難しいと感じるが、現在の対テロ戦の流れに対するアンチテーゼとなっていて、提案の意外な方向性に目を醒まされる思いをした。

オーソン・スコット・カードの名作「エンダーのゲーム」的驚きも仕組まれている。演習ないしゲームだと思っていたものが、実際の生身の戦闘だったというやつだ。芝村裕吏の「マージナル・オペレーション」でも同じようなエピソードにより、主人公は罪の意識を背負うことになった。さらに、似た感覚を呼び起こされた小説として、橋本紡の青春小説「リバーズ・エンド」も挙げておこう。登場人物たちは実際の戦いであるとアナウンスされていたが、時空を隔てた異星人との戦いがゲーム感覚なものであり、「エンダーのゲーム」の演習を思い起こされた。

奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」

1960年代の新宿の街とモダンジャズ、将棋、落語、そして猫に積もる思いを描き上げた、奥泉光のSFエンターテイメント小説「ビビビ・ビ・バップ」を読了しました。

舞台は21世紀の末、電脳ウイルスのパンデミックをくぐり抜けたあとの世界で、ヴァーチャル・リアリティ技術、人工知能・アンドロイド技術が発展し、貧富の差がさらに拡大しています。パンデミックが起こらなければ、もっと凄いことになっていただろうと想像させられる未来です。その仮想空間に新宿ピットイン、末広亭を含む60年代の新宿の街が再現されます。

作者は1956年2月生まれで、私とは学年で1つ違いとほとんど同年代なはずですが、その興味の中心と嗜好はかなり異なるようです。

私にとって60年代の新宿は、唐十郎の状況劇場の記録や、蜷川幸雄のアートシアター新宿文化の回想で知っているだけの伝説の街です。高校生、大学生の時、実際に駆け回ったのは70年代の渋谷でした。音楽はロックならわかりますが、ジャズは結局好きになれなかったのでよくわかりません。映画「ラ・ラ・ランド」でフリー・ジャズピアニストのライアン・ゴズリングが、クロスオーバー・ジャズのバンドに参加し、それをエマ・ストーンに批判されるくだりが、どうして怒られなくてはいけないのか理解できなかった程です。将棋とか囲碁などの難しいゲームは、戦略、戦術、先読みの積み重ねが必要ですし、脳が疲れるので今のところ興味がありません。サイトで狙いトリガーを引くことをただ反復し、グレネードが転がる音がしたら逃げるといった反射でこなせるFPS(ファースト・パーソン・シューター)が、ゲームの中では一番好きです。落語は小学生のころ見たTV番組で経験が止まっています。飼っているのは犬です。

幸い主人公のジャズ・ピアニスト、フォギーはジャズは本業でも、60年代新宿、将棋、落語に関する知識は一般人なみという設定なので、仲間という親近感を持って読み進むことができました。

紙本ならば分厚いページ数に恐れをなすところですが、電子書籍版で読んだので圧迫感とは無縁でした。そして無事読み終えることができました。作者の熱い思い入れの饒舌に身を委ねられれば、ニッチな知識は後から身についてくることでしょう。

表紙はアンドロイドのエリック・ドルフィーです。