月別アーカイブ: 2017年10月

「ブレードランナー 2049」

映画「ブレードランナー 2049」を観た。

前作「ブレードランナー」を監督したリドリー・スコットは製作総指揮を務め、ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、ライアン・ゴズリングが主演だった。

現時点で、今作の内容に触れるとネタバレになるので、以下最初の「ブレードランナー」のことを語ることとする。

映画「ブレードランナー」の公開は1982年、ロードショーで観た。リドリー・スコット監督の映画は1979年の「エイリアン」から観ていた。1977年のデビュー作の「デュエリスト/決闘者」は観ていない。

環境破壊から酸性雨が降り続ける、2019年のロサンゼルスが舞台である。それまでは未来といえば明るいイメージが強かった。暗い未来の都市を、しっかりとした世界観に沿って大規模に描いたSF映画を観るのは初めての経験だった。この後、暗い未来世界の映画は珍しくなくなり、1984年に「デューン/砂の惑星」、1985年に「未来世紀ブラジル」と続いた。

ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのリーダーの最後には素直に感動したが、映画全体のあまりの異質さに、見終わった直後には秀作なのか凡作なのか、良かったのか悪かったのか、まったく判断できなかった。じわじわと強い印象が脳に染み透って行くのに1週間ぐらいかかったことを覚えている。

その後は、デザインを行ったシド・ミードの画集を買ったり、VHSでダリル・ハンナのシーンを繰り返し見たり、すっかりマニアになってしまった。

1982年の頃はインターネットはまだなかったので、雑誌「ぴあ」に代表された情報誌で調べて、映画を観に行くのが普通のやり方だった。いわゆる映画評論家の映画評がずらっと並んでいたが、「ブレードランナー」をちゃんと評価できた専門家はいなかった。やれ、お金の無駄遣いだ、などの酷評ばかりだった。試写の段階での映画評を、まったく信用しなくなったのはこの時からだ。

ロードショー期間の観客の入りも悪かったそうだ。最初はなかなか理解できなかったのは、私だけではなかった。

宮澤伊織「裏世界ピクニック」

ネットロア(ネット上の都市伝説)として流布している恐い話から取材した、死の危険と隣り合わせの異世界冒険が描かれる。

ロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」(1979)は、私の大好きな映画として5本の指に入る。岩波ホールで2回観た。現在使われるストーカーという用法は、この頃はまだなく密猟者という意味である。これの原作がアルカジイ&ボリス・ストルガツキーの「路傍のピクニック」だ。裏世界をゾーンと呼びボルト投げをして道を探す男が登場することから、この名作映画のシーンを思い浮かべながら裏世界をイメージすれば良いのは間違いない。

蛇足だが、タルコフスキーとは違った解釈でストルガツキー兄弟が書いた映画シナリオ「願望機」も出版されている。

私と同年代で映像に興味があった人は、もれなく観た「ストーカー」だが、もう時代が変わってしまった。VHSに始まり、DVD、BDと買い直す度に古いメディアを布教の旅に出したが、別の世代に受け入れられたことがない。下敷きとなった「ストーカー」は、ネットロア同様、知っている人間だけに作用する舞台装置なのではというレビューが某サイトにあった。

本書の続編中に息抜きのパートとして書かれた、冒険の反省会での、焼肉にまつわる非常に現実的な描写に笑いをこらえることができなかった。