月別アーカイブ: 2018年7月

沼口麻子「ほぼ命がけサメ図鑑」

とにかく面白い。サメについて、生物学的にも水産資源としても興味を満たしてくれる。作者の実体験を含めて、多面的なサメ話が語られる。

2018年5月10日の発行日の前に予約注文して、発行日に手に入れ2日間ほどで読了していたのだが、クリニックのスタッフに貸し出していたため、このブログで紹介するのが遅くなってしまった。

人食いザメというものは、映画「ジョーズ」で植え込まれた誤解であることが、最初に記されている。サメは殺し屋の悪役ではなく、臆病な愛おしい生き物であると。

生物学的知識としては、普通の魚が硬骨魚類であるのに対し、サメとエイは軟骨魚類に属すこと。胎生のサメが7割で、さらに多様な繁殖形態に分類できることなど、いろいろなことが勉強できた。

私の記憶では、昭和30年代、東京の庶民の食卓によくサメ肉の料理がのぼった。決して一部の地域に限定されて食べられている食材ではない。水産資源としてのサメの話、サメ料理の話も盛りだくさんである。作者が、サメを愛するあまり、サメを絶対に殺してはいけないなどと言い出すことはないところがいい。

水族館は私の好きなスポットだが、2016年11月に大洗水族館に行ったのが最後となっている。このときはタコばかり見ていた。基礎知識を豊富に仕入れたので、これからはサメもじっくりと見ることができる。

大洗で見たドチザメ。コバンザメ(サメ類ではなくスズキ目)にくっつかれてる。

アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」

チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキーの、23年ぶりの映画作品となる自伝的映画「リアリティのダンス」(2013)をレンタルDVDで観た。生まれ育ったトコピジャを中心とした話となる。次作「エンドレス・ポエトリー」(2016)でサンティアゴ時代が描かれ、このBD&DVD発売が2018年9月に予定されている。ともに、マジックリアリズムに彩られた作品だ。

ホドロフスキーは、1970年発表の映画「エル・トポ」が伝説的カルト・ムービーとして知られている。ジョン・レノンやアンディ・ウォーホル、ミック・ジャガーなどから絶賛されたという。日本での公開は遅れに遅れて1987年だ。筆者が観たのはつい最近のことである。監督が好き勝手に、閃いたイメージとストーリーを展開させた映画というレッテルを貼られていたが、予想外に観やすい作品だった。前半は小気味よいテンポで卑怯な戦いが続く。後半は、ヒッピー文化最盛期の瞑想的映画とも言える。

筆者がホドロフスキーを知ったのは、フランク・パヴィッチによるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」によってである。2014年7月16日渋谷UPLINKで観た。デヴィッド・リンチが1984年に撮った「デューン/砂の惑星」は、映画ファンも原作ファンもがっかりする出来栄えで、批評家の評価、一般の評価ともに低かった。筆者も映画後半のまとめ方が安直で好きではない。ホドロフスキーによる「DUNE」は1975年に製作開始されたが途中でおじゃんとなった。その顛末を描いた映画が「ホドロフスキーのDUNE」だ。

マジックリアリズムというと、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」に代表される、ラテンアメリカ文学が有名だ。ガルシア=マルケスは好きな作家で、代表作はほとんど読んでいる。映画化された「コレラの時代の愛」を2008年に観たが、映像があまり魔術的ではなく期待はずれだった。「エンドレス・ポエトリー」は、まだ観ていないが、評判からすると心待ちにしていいようだ。

 

新宿梁山泊「ユニコン物語」

2018年6月17日、新宿花園神社で、新宿梁山泊の紫テント公演「ユニコン物語」を観た。

唐十郎率いる紅テント、劇団状況劇場での初演は1978年の春だった。池袋駅東口びっくりガード横にテントを張って、常田富士男が客演したことは思い出した。西武デパート池袋店に、まだ西武美術館があった時代であり、池袋を芸術の中心地と呼んでもおかしくなかった頃の出来事だ。冒頭のカツ丼が空を飛ぶシーンははっきり覚えているが、もうほとんどの記憶がかすれている。根津甚八が状況劇場で最後に主演したのは「ユニコン物語」ではなかったっけ? いや、それは「河童」だったっけ?

劇団唐ゼミで唐十郎による改訂版「ユニコン物語 溶ける角篇」が2006年に上演されたようだが、これは観ていない。金守珍によれば、オリジナルの台東区篇の再演は今回が初めてということだ。

テント芝居では、必ず桟敷席でかぶりつきに座ることを自らに課して来たのだったが、腰がいよいよ耐えられなくなって、階段指定席というものを初めて取った。背もたれ付きのクッションが用意されていて、桟敷にベタずわりするのと比べると信じられないくらい楽だった。

今回も大久保鷹が出るので観に行ったのだ。なかなか出番が回ってこなかったが、昔よくやってた、唇と鼻の間の三角形を緑色にべったりと塗るメイクをしていた。

装置が状況劇場と比べると、全体に立派できっちりと作ってあった。どこからお金が出ているんだと思ったら、文化庁の文化芸術振興費補助金を取得していた。ネンネコ社本社ビルは、状況劇場ではリアカーの屋台みたいなものだったので、

医者 なんか柔構造らしいね

看護婦 はい、どんな地震でも耐えますが、体当たりには弱いらしいですわ

という科白が生きたのだ。

大久保のロケット工場で上演された状況劇場の「糸姫」(1975年)で、小林薫がオートバイで爆音を上げて、舞台上、目の前で回転するのを見て衝撃を受けた。今回の大鶴義丹のバイクアクションは「だから何?」という感想となってしまった。昔と違って、騒音問題で近隣住民の手前、爆音を上げるわけには行かないんだろうなあと同情しておこう。

同時期に上演された劇団唐組の「吸血姫」で、主演した大鶴義丹の異母妹、大鶴美仁音の評判が良い。唐組は唐十郎が倒れてから観に行ってなかったが、次の公演も大鶴美仁音が出るなら足を運ばなくては。

八島游舷「天駆せよ法勝寺」

第9回創元SF短編賞受賞作である。仏教スペースオペラだ。

作者の八島游舷は、「Final Anchors」で2018年の第5回星新一賞グランプリ、「蓮食い人」で同優秀賞をダブル受賞もしている。

仏教などの東洋的と感じられるものを発展解釈して作り上げたSFというと、私がまっさきに思い浮かべるのは、士郎正宗の漫画「仙術超攻殻ORION」だ。1991年に単行本が出た。日本神話、クトゥルー神話、仏教、仙術と量子力学が混ぜ合わされている。

「天駆せよ法勝寺」も、いずれ映像化されるだろうと作者をして言わしめるように、ビジュアルな描写に満ちている。テンポよく話が進み、共感度は高い。だが、活動的な女主人公の活躍がないことは、「仙術超攻殻ORION」に魅力の点で負けている。転生佛となるサルジェはいい子すぎるのである。

新しい作家の作品が、短編1つでも簡単に読めるようになったことは、とても喜ばしいことだ。

「仙術超攻殻ORION」と「攻殻機動隊」

高木刑「ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地」

2016年4月に開講した「ゲンロン 大森望 SF創作講座」第1期を受講し、最優秀賞にあたる「第1回ゲンロンSF新人賞」を受賞した高木刑の受賞作が、何度もの改稿を経て電子書籍化された。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」の全記録は「SFの書き方」として2017年4月に出版され、シートン動物記に想を得た高木刑の短編「コランポーの王は死んだ」が掲載されている。

大森望の言葉を引用すれば、2020年代の日本SFを背負って立つ才能の出発点を見逃してはいけない。

時は、異人(宇宙人)の来訪から約100年経った17世紀のはじめ。理解不能の超技術の機械を、異人は地球人に与えたが、知恵は与えなかった。異人からもたらされた宇宙船により外宇宙旅行が可能となり、地球人は植民惑星を作り上げた。宙洞という特別な空間を渡り、光の速さを超えるのである。それでも、人々は敬虔なキリスト教徒であり、実際の17世紀人の世界観を持ったままだった。

またもや神の子が死んでいる。

地球から遠く離れた不毛の植民惑星にそそりたつ十字架の上で、キリストそっくりの死体が磔となって現れた。

煉獄の描写かと思えるような、イメージが広がっていく。似たものを探すと、絵画ならばヒエロニムス・ボスとサルバドール・ダリか。SF小説ならば、コードウェイナー・スミスの「シェイヨルという名の星」が思い浮かぶ。

物語の最初から登場する無垢な修道女カタリナが、終盤で活躍するのだろうと期待して読んでいたが、肝心なところでは聖船に戻り不在だった。ジャンヌ・ダルクのような英霊にもならなかったし、聖母マリアの慈悲も施してくれない。傷口に指を突っ込むのが役割とは。大地は救済されたかもしれないが、読者の心を含めて救済されなかったものは多い。