月別アーカイブ: 2018年9月

シャーリーズ・セロン「アトミック・ブロンド」

シャーリーズ・セロン主演の、スパイアクション映画だ。2017年10月に映画館で観た。BDで見直したのは先月だ。監督はデビッド・リーチ。シャーリーズ・セロンは制作も兼任している。舞台は、ベルリンの壁崩壊が迫る1989年のベルリン。MI6所属の、ブロンドの女スパイ、ローレン・ブロートンの活躍が描かれる。

1980年代のヒット曲の数々が劇中流れる。とくに懐かしさを掻き立てられたのは、2曲目、オープニング・タイトルバックで使われた、デヴィッド・ボウイの「プッティング・アウト・ファイア」だ。この曲は、1982年の映画「キャット・ピープル」の主題歌である。

筆者が最大の敬慕の念を捧げる女優、ナスターシャ・キンスキーは、ロマン・ポランスキー監督の映画「テス」を出世作として全世界で賞賛を浴びた。この映画のナスターシャ・キンスキーの美しさは驚異にほかならなかった。次に日本で公開された主演作が「キャット・ピープル」だ。黒豹に変身する一族を描いた伝奇物語である。マルコム・マクダウェルが兄の役で出演した。

クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」が、「アトミック・ブロンド」の最後に背景を飾る。奇しくも、クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開が2018年11月9日に迫っている。この映画も必見だ。

シャーリーズ・セロンは2005年の映画「イーオン・フラックス」で、2415年の未来を舞台としてアクションを披露している。監督はカリン・クサマ。この映画では、SFXとVFXを多用して未来のアクションが描かれ、敵役はイーオンのすごい能力で一瞬のうちに倒された。

「アトミック・ブロンド」は、拳銃アクションもあるが、中心となるのは肉弾戦のアクションである。役作りのために8人のトレーナーとトレーニングに励んだということだ。本格的な格闘であり、「イーオン・フラックス」と異なり、一人ひとりを確実に倒していかなければならない。青あざの痛みが実感できる。総じて、魅力ある主人公の実体感のあるアクション映画と評すればいいだろうか。

カルメン・マキ「45th Anniv. Live ~Rock Side & アングラ Side~」

67歳になって、今も現役でライブハウスに出ているカルメン・マキの、デビュー45周年記念公演のLIVE映像作品だ。Rock Sideとして、2014.11.25にLIQUIDROOMで行われた、「カルメン・マキ&OZ」奇跡の復活となったLIVEが、アングラ Sideとして、2015.2.6-7のザムザ阿佐谷での、「時には母のない子のように」を含む寺山修司作詞の楽曲と、「天井桟敷」の演目、詩の朗読パフォーマンスが収録されている。

カルメン・マキは1968年に寺山修司率いる「天井桟敷」に入団し、17歳のとき、1969.2に寺山修司作詞の「時には母のない子のように」で音楽界にデビュー。ミリオンセラーの大ヒットを成し遂げた。その頃筆者は小学校6年から中学校1年だ。思春期の少年として、まっすぐなロングヘアーに憧れた。カツラだったと聞いたときは、動揺を隠せなかった記憶が残っている。このLIVEには収録されていないが、2番目のシングル「山羊にひかれて」がとても好きだ。作詞はやはり寺山修司である。

1970年にロックに転向した。ファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」は1975.1だ。ロックシーンでは強めのカーリーヘアにしている。「カルメン・マキ&OZ」の活動は知っていたが、当時の洋楽ロック中心の音楽事情では、なかなかその楽曲に接する機会がなかった。1979年に、村上龍の芥川賞受賞作品「限りなく透明に近いブルー」が、村上龍自身が監督の映画ということで鳴り物入りで公開。世間の映画評は気にせず映画館で観た。主題歌はカルメン・マキのロックだった。「青白い夕焼け」である。とにかくこの曲でカルメン・マキに惚れ直した。残念ながらこの曲もこのLIVEでは演じられていない。

自分の主宰してた劇団で、練習開始の曲として、全員腰を割った姿勢で毎日「青白い夕焼け」を歌うことにした。今、調べると4分19秒の曲だ。足腰の体感時間は、ずっと長い曲での辛いトレーニングだった。

筆者にとって、天井桟敷でのアングラ活動がなければ、ロックシーンでの活動にも関心をそそられることはなかったはずだ。ロックとアングラの両面で構成された、この映像作品はとても心に響く。