月別アーカイブ: 2020年5月

アルフレッド・ジャリ「超男性」澁澤龍彦訳

7冊目。フランスの小説家、劇作家であるアルフレッド・ジャリの代表作。シュルレアリスムの先駆者と位置づけられています。

人間と機械とセックスが、競争というスポーツを通じて無機質的に結びつけられました。そこにはヒューマニズムは存在しません。1902年の作品です。

ジャリは、近代演劇を語る時に第1ページに出てくる戯曲「ユビュ王」の作者でもあります。

マリオン・ジマー・ブラッドリー ダーコーヴァ年代記「カリスタの石」阿部敏子訳

6冊目。ダーコーヴァ年代記は創元推理文庫で、1986年から1988年の間に22冊が翻訳刊行されました。残念ながらシリーズ途中で出版は打ち切りでしたが、この世界にどっぷりと浸っていたファンは多かったはずです。

人類が不時着して、独自の文明を作り上げた惑星ダーコーヴァが舞台。剣と魔法ならぬ超能力(ララン)の世界。女性たちがみんな生き生きと描かれてました。

一番好きだったのが「カリスタの石」、次は「ホークミストレス」かな。

カバーと挿絵は、加藤洋之&後藤啓介でした。

スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」飯田規和訳

7日間ブックカバー紹介のまねごとの5冊目です。ポーランドSFの巨匠であり、世界的SF作家であるスタニスワフ・レムの、ファーストコンタクト三部作の3番目を選びました。三部作は、人類とは違う異星人との意思疎通の不可能性がテーマとなっています。ハチ(米津玄師)の「砂の惑星」ではありませんよ。

レムを読み始めたのは、アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」の原作者であり、原作「ソラリスの陽のもとに」が映画よりずっと素晴らしいという評判を聞いたからです。現在は新訳版が「ソラリス」という書名で出ています。

意思を持つ惑星の海との葛藤を描く思弁的な「ソラリスの陽のもとに」と異なり、「砂漠の惑星」は未知の敵との戦いも描かれ、エキサイティングで没入しやすい小説です。これでレムに魅せられて、レムの作品を次々と読んでいきました。

この頃(1979年ごろ)読んだSF小説は、大御所の作家のものが多かったと思います。アーサー・C・クラークならば「幼年期の終り」は、1953年の作品ですが必読の名作です。後味は苦いものが残ります。好き嫌いで言ったら、1980年に邦訳が出た「楽園の泉」のほうが好きでした。

ジャック・モノー「偶然と必然」渡辺格・村上光彦訳

4冊目。ジャック・モノーはノーベル生理学・医学賞を1965年に受賞したフランスの分子生物学者です。「偶然と必然」は1970年の書籍で、日本語訳が出たのが1972年。筆者は大学の教養課程1年の時(1975年)に読みました。

生物とは何かということから考察が始まります。

分子生物学の立場からダーウィンの進化論を解釈し、キリスト教的世界観と、マルクス主義の弁証法的発展に則って進化があるとする思想を妄言として切り捨てました。今では当たり前と言える主張ですが、発表当時は論争を呼んだということです。

論証は明解で力強く、科学的思考法のあり方に誇りを持たせてくれる本でした。

「大自然 その驚異と神秘」日本リーダーズ・ダイジェスト社編

3冊目。1970年の本です。百科事典サイズの判型に、生態学を中心として地質学、天文学に至るまでの111編の論説が、カラー写真をふんだんに使用して収載されています。文章は平易で漢字にはルビを振り、小学校高学年から読めるよう配慮されていました。今日なら、ナショナルジオグラフィックに載っているような記事と表現すればいいでしょうか。ナショナルジオグラフィックの日本語版は1995年発刊で、まだこの時代にはありませんでした。

50年前に出版された本書を今、ざっと読み返してみると、干潟生態系の環境に対する重要性がすでに説かれています。一方、恐竜について書かれた記事では、恐竜と現生爬虫類が同一視されていたり、恐竜絶滅の原因は諸説あるが不明とされ、恐竜から鳥類が進化して生まれたという考えはまったくなかったことがわかります。

学校から帰ったあと毎日ワクワクしながらひもといていた書籍も、とっくの昔にその役割を終えていたのですね。

ジャン・ジュネ「花のノートルダム」堀口大學訳

さて、自分に大きな影響を与えた本の紹介、2冊目を投稿します。孤児で、泥棒、同性愛者のジュネが、監獄の中で記した処女作の小説です。

「花のノートルダム」を読んだのは、筆者が高校生の時です。我が国では60年代から70年代前半まで、実存主義の流行がありました。哲学者のジャン=ポール・サルトルが評論「聖ジュネ」で、ジュネを激賛しているという話をきっかけにして、ジュネの作品に親しむようになりました。サルトルの評論の方はまったく目を通していませんので、実存主義的解釈の内容は知りません。

ジュネは言葉を自由奔放に使いこなします。筆者は、それまでは文章は読めても書くことができない。作文の課題はいつも出さずに帰宅。何らかの心理的トラウマの中に閉じ込められていたのですが、「花のノートルダム」を読んで解放されました。自由な文章を書くのなら、言葉は現実にこだわる必要はなく、お気に召すままでいいんです。

ベトベトした心の中の本音を晒すのは、かっこ悪くて好きじゃありませんが、ここは少しだけ正直になって書きました。

新潮文庫の表紙絵は、村上芳正の手によるものです。