2015年7月2日、マームとジプシーの公演「cocoon」を、東京芸術劇場シアターイーストで観ました。2013年に好評を博した公演の再演に当たります。原作は今日マチ子の漫画「cocoon」で、沖縄戦が舞台ですが、歴史に残る悲惨な出来事をリアルに描くのではなく、悲劇に封じ込められてしまった少女たちの気持ちを中心に表現したものです。原作者と演出家藤田貴大が共同して芝居を作り上げていった様を、初演時の今日マチ子のメイキングエッセイとして、ほぼ日刊イトイ新聞の中で見ることができます。今回の再演にあたっては、共同作業をさらに深いものにしていったということです。
原作漫画を最初に読んだ時、白い影として描かれる男たちや、時代と場所を明確にしない描写など作者の意図した表現の間隙が、すべて岡本喜八監督の映画「沖縄決戦」の具体的で生々しいイメージによって、私の脳内で補完されてしまいました。この漫画だけでは、何か弱い。漫画の意図に合わせて表現を補強する必要があると感じられました。同じ思いを持った人が多かったのでしょうか。舞台化は必然のものだったのかも知れません。
芝居は素晴らしいものでした。繭にくるまれ守られた箱庭的世界、少女たちの学園生活の日常を、隙のないリフレインで濃密に描き、私の雑念が入り込む余地はありませんでした。
役者集団の計算された一糸乱れぬ動き、木の枠を次々と動かしながら窓・壁を表現していく様、ロープで舞台を区切って長い廊下での歩行・会話を表す手法、いずれも見事でした。ほぼ正方形の舞台は沖縄の砂を模した砂が敷き詰められ、これが終盤の海岸のシーンに昇華していきます。そして海岸を全力で走ること、走ること。若さは羨ましいものです。
主人公サンの親友まゆの死がクライマックスになるのですが、死の表現に特別な演出は用いられず、それまでの他の少女たちの死と同等でした。藤田貴大にとっては、すべての少女の死が総体としてドラマを形作っていくという解釈なのでしょうか。
若い世代の演出家による感動を呼ぶ舞台に巡りあうことは、なかなか難しいものとなってしまっています。応援していきます。