ハンヌ・ライアニエミ「複成王子」

911R5ki6DhL._SL1500_フィンランド出身の新進気鋭SF作家ハンヌ・ライアニエミのジャン・ル・フランブールシリーズ第2弾「複成王子」(原題The Fractal Prince)が邦訳されました。日本のアニメから抜けだしてきたようなオールトの雲出身の有翼の美女ミエリと、アルセーヌ・ルパンをモデルとした怪盗ジャンの活躍する、血沸き肉踊る冒険活劇です。SFのジャンルはポストシンギュラリティー、ポストヒューマン。遠未来の科学技術用語が語句の説明なしに満載された中を、語感からのイマジネーションに支えられて、一気に突っ切って読んでいくスタイルになるのは、第1作の「量子怪盗」と同じです。加えて、今回の舞台は前回の火星から河岸を変えて、千夜一夜物語的世界が広がる地球となるので、アラビア語由来のジャーゴンも頻出します。でも、全体の3分の2ほど読み進めば単語の説明も出てきますし、巻末に翻訳者の作った用語集もありますから、そう不親切な構成ではありません。

こちらのイマジネーションが総動員されることから、1つ1つの言葉が重い、いや、力を持つと感じられます。これは10代から20代の若い時に、詩集に溺れた感覚に似ています。かつては輝いていた言葉が、価値観と感覚の変化、時代の変遷とともに光を失っていって寂しい思いをしていたのですが、自分の老化から感受性が衰え無感覚になっていったのではなく、自分が変化して興味の対象が変わっていったためであることが納得できました。

私が、SF文学を好きなのは世界観を1からすべて構成していて、日常を前提にするといった甘えがないからです。

アラビアンナイト的世界が舞台であり、今回の話は物語というものが大きな意味を持っています。例えば、物語をきっかけにして身体を乗っ取る「盗身賊」の元祖である聖霊(ジン)から、精神を物語に変換するアルゴリズムを聞き出す一節があります。全体の構成も、時間軸の異なる描写、現在・過去と物語が複雑な入れ子構造をなす胡桃の中の世界となっています。1回の読書で理解するのは困難ですが、読み返すうちに折りたたまれた世界がほどけていき新たな楽しみに出会える、何度でも楽しめるお得な本と言えます。今年読んだ中では1番面白かった小説です。