新宿梁山泊「腰巻おぼろ」

紫テント

宣伝美術は宇野亜喜良

1975年発行の初版本。豪華函入り

2017年6月22日、新宿、花園神社で紫テント、新宿梁山泊の「腰巻おぼろ」を観た。「腰巻おぼろ」は、唐十郎が、紅テント、状況劇場で1975年に初演した。42年経って、自他ともに認める状況劇場のスピリットの継承者の手による、初めての再演となった。

1975年春は、私は18歳で、駒場で学生演劇を始めたばかりの頃だ。受験勉強中の余暇に戯曲はそれなりに読み込んでいたが、実際の観劇体験はわずかだった。なんだかよくわからないうちに1本の公演を慌ただしく終わらせた時、もう大学を卒業している劇団の先輩達がやって来て、「腰巻おぼろ」に誘ってくれた。しかし、すでに予定を入れていた。唐十郎率いる状況劇場はとても面白い芝居を演り、自分の属する劇団メンバーの多くが状況劇場とその役者陣を大好きで、熱愛しているということは後で知った。今までの指導者が抜けたところで、当時の普段接していた指導層の先輩方がそれまでのカラーを払拭したくて、状況劇場は凄い、観るべきだという教育をあえて避けていたのだと聞いた。まったく、強く誘ってくれたら予定なんていくらでも動かせたのに。私自身の状況劇場初体験は、1975年秋公演の「糸姫」となった。桟敷席にすし詰めに座って舞台を観て、感動の嵐を味わった。

1975年は、野田秀樹が一浪から東大に入学し、さっそく駒場のお隣さんの劇団、東大演劇研究会で、作・主演で活動を開始した時でもあった。当時の東大演劇研究会は教育大駒場(今の筑波大駒場)卒の人間が幹部を占めていて、教駒であらずんば人にあらずという雰囲気だったのだが、1976年に劇団夢の遊眠社を旗揚げし、明るく楽しい新しい演劇が、花開いていく様を間近で見せてくれた。

さて、今回の42年前の満たされない思いに対するリベンジの、自分への言い訳は、過去に状況劇場に所属した俳優大久保鷹が当時と同じ役で客演するということだった。髪を可愛らしく段をつけてカットしていて小奇麗な印象を受けた。唐十郎の息子の大鶴義丹が、唐十郎が演じた「千里眼」の役をやった。しかし、父親との才能の差が歴然としていると感じるのは、過ぎ去った時に対する郷愁がさせるのだろうか。李麗仙ならば、根津甚八ならばと、考えてしまうのもどうしようもないことか。

テント芝居でいつもするように、桟敷席の一番前のかぶりつきに陣取り、3時間半じっと座って、役者の汗と唾液を受け止め、舞台から放たれる鯨の潮吹きの水を浴びた。初演は不忍池の水上音楽堂だったのだから、役者が水の中から登場し、観客はもっともっと水を浴びたことだろう。観客の多くが、アングラ演劇全盛の頃を知っている世代なので、平均年齢は高めだった。