カジミェシュ・クッツ「沈黙の声」

ポーランド映画の巨匠、カジミェシュ・クッツ監督の傑作「沈黙の声」を、ポーランド映画祭での追悼上映という形で、2019.11.14恵比寿の東京都写真美術館で観た。1960年の作品。

列車内に入りきれず、屋根の上に張り付いて旅をする男たちの映像から始まる。列車はやがてジェルノの街にたどり着く。第二次世界大戦後ポーランド領となった、旧ドイツ東部領土の都市だ。街の発展のため国内避難民の流入を促進していた。青年ボジェクは、ある共産主義者の処刑を拒み、軍規違反で組織に追われる身だった。駅で知り合った姉妹の姉ルチナと惹かれあうが、女職場長とその助手との都合のいい関係も断ち切ることができない。国内軍兵士時代の仲間と偶然出会い、追手が近いことを知る。

ルチナの得意料理は、ウクライナ風ボルシチだと。ウクライナに出自があるのだろうか。

研ぎ澄まされた空間作りと、繊細な音響設計が高く評価される名作である。

冒頭映像をYouTubeで見つけた。

https://youtu.be/IJtGyI1IlJ8

ポーランド映画祭は11.23まで行われている。

伴名練「なめらかな世界と、その敵」

表紙イラストは、「さよならピアノソナタ」「ib インスタントバレット」「かぐや様は告らせたい」の赤坂アカ。コミックスになった連載マンガはすべて読んでいる。ジャケ買いした。

早川書房によると、伴名練は寡作ながら発表した短編のほとんどが年間日本SF傑作選に収録され、高い評価を得ている逸材だと。その初のSF短編集だ。全6篇。

私のSF小説の嗜好にマッチした。

イラストだけを見て、表題作「なめらかな世界と、その敵」を読み始めた。第2章で、いくつもの並行世界を行き来できる世界設定はちゃんと説明されるが、まったく予備知識がないと第1章は苦しいかも。最後は、陸上に賭ける少女2人の青春小説となり、爽快感にあふれる。

「シンギュラリティ・ソビエト」。1960年代にソ連の人工知能「ヴォジャノーイ」がシンギュラリティを突破した。ダークな歴史改変もの。この作品が一番好きだ。大量の赤ん坊の群れが人工知能通りを整然と進んでいく。人間は脳の半分を、ヴォジャノーイに演算資源として提供している。

書き下ろしの時間SFもの、「ひかりより速く、ゆるやかに」。時間SFの幾多の名作が小説中で紹介されている。この部分の拡大版、作者のSF愛を伝える長文の「あとがきにかえて」がWeb上で公開中だ。

https://www.hayakawabooks.com/n/n074ba53b3392

「ひかりより速く、ゆるやかに」の冒頭、試し読みはこちら。

https://www.hayakawabooks.com/n/n0cfa8c1132ce

キリル・ピロゴフ主演「リービング・アフガニスタン」

2019年制作・公開のロシア映画。パーヴェル・ルンギン監督。本年9月にレンタルDVDで観たあと、10月にprime videoで見直した。

このブログで以前に触れた、Netflix公開中のロシアドラマ「トロツキー」で、ボリシェヴィキを批判し国外追放となった哲学者、イワン・イリンを好演したキリル・ピロゴフが主演で、KGBの大佐を演じる。

アフガニスタン人民民主党と、その共産政権に対抗する反政府ゲリラとの戦いに、1979年ソビエト連邦が軍事介入したことからアフガニスタン紛争は始まった。1989年のソ連の撤退まで続く長い戦争だった。反政府ゲリラは聖戦を行うものの意味で、ムジャヒディーンと名乗る。この映画は、ソ連軍の1989年の撤退にまつわる出来事を描く。

「戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい」

1979年の開戦当時、西側諸国は猛反発し、1980年のモスクワオリンピックのボイコットにつながった。

我が国でもソ連の人気はガタ落ちで、第2外国語にロシア語を選択していた大学の後輩はがっかりしていた。東京大学は第2外国語は必修で、何語を選んだかでクラス分けされる。私のころは、文系はフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、スペイン語が選択でき、理系はフランス語、ドイツ語、ロシア語のみだったと記憶している。現在は文系、理系とも、スペイン語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、韓国朝鮮語の7つから選べる。

登場人物それぞれに焦点を当て、エピソードを重ね合わせて、映画全体を構成している。中将の息子、囚われのパイロットを奪還するための努力もお話の1つだと思っていたほうがいい。戦闘シーンは、手持ちカメラの揺れを効果的に使い、臨場感あふれる映像となっていた。

攻撃ヘリコプターは、アフガニスタン紛争の象徴となった、Mi-24(ミル24)、NATOコードネーム「ハインド」ではなかった。Mi-8(ミル8)と思われる。

ラストシーンで、主人公たちの搭乗したヘリコプターはミサイルよけのフレアを放出した。一瞬機影を見失ったので撃墜されたのかと思ったが違った。アフガニスタンへの、お別れの挨拶としての花火の打ち上げだったのだろうか。

劉慈欣「三体」

我が国でも発売後あっという間にベストセラーとなった。中華人民共和国の作家、劉慈欣のSF小説である。日本語版が2019.7.4に出た。

アジア人の作家として初めてヒューゴー賞を受賞。マーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマらが絶賛している。読みやすく娯楽性に富みおもしろい。

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望したエリート女性天体物理学者、葉文潔は、宇宙に向けて今までにない方法を用いてメッセージを発信してしまう。とある三重星系は古典力学の三体問題の世界であり、予測できない天体運行の中で文明の発展と滅亡を繰り返す三体星人がいた。

文化大革命の描写が鮮烈だ。革命が始まった頃、私は小学生だったが、日本の出版メディアが毛沢東語録を模した赤いビニール表紙の手帳をおまけに付けて、紅衛兵ブームを煽っていたことを覚えている。流行が過ぎ去ったあとは革命の批判だけが残った。ほめたたえていたのは何だったのだろう。釈然としない思いが記憶にある。

スティーヴン・ウェッブの著書、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」を関連書籍として勧めよう。2004年初版で、私が読んだのは2005年になってからだ。物理学者エンリコ・フェルミによるフェルミ推定を初めて紹介した書籍である。「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」というのが典型問題だ。グーグルの入社試験でも出題された。フェルミ推定によれば、われわれと通信しようとする地球外文明が百万あってもおかしくないのに、なぜどこにいるかわからないのだろうか。

新版は「広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由」とボリュームアップしているが、未読である。

三体星人の惑星は文明崩壊と再生の過程で、ロッシュ限界を越え一部分が分離し月を形成した。地球は、月の潮汐力により自転速度が抑えられている。月がなければ強風が荒れ狂う世界となっていた。また、月が地球の自転軸の傾きを安定化させている。「もしも月がなかったら」ニール・F・カミンズ、邦訳1999年も紹介しよう。同じく2005年に読了している。文明の発達には月の存在が欠かせないということだ。

「怪人カリガリ博士」(1962)

ドイツ表現主義映画の名作「カリガリ博士」(1920)とは、別のものである。白黒映画ではあるが、サイレント映画ではない。筆者が小学生の時、TVで見て心に焼き付いていた「カリガリ博士」は、1920年の作品ではなかった。やっと探し当てることができた。Wikipediaによると、土曜映画劇場での吹替版の放送は1969年7月で筆者は12歳である。

監督はロジャー・ケイ。脚本は「サイコ」の原作者ロバート・ブロックだ。

映画の内容はほとんど忘れていたが、映画クライマックスの悪夢の中の悪夢、パン焼窯のシーンから、この映画が探し求めていたものであることを同定できた。

自動車旅行をしていたジェーンは、タイヤがパンクしたため近くの屋敷に助けを求めた。屋敷の主人の名はカリガリだった。ジェーンは屋敷から出られず、外との連絡もできないことに気づく。屋敷の客は大勢いて、みな好意的であるのだが、自分と似た境遇に置かれているようだ。

2018年に観た、シス・カンパニーの芝居、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」と、出られないという点では類似性を感じた。サルトルの本当に閉塞した状況とは異なる予想通り、あるいは記憶通りの展開で、ほっと安堵した。

1920年の「カリガリ博士」。奇抜で歪んだセットが素敵。

アレクサンドル・コルチャークとロシア内戦「Адмиралъ」

邦題が映画の内容から外れてるので、ドイツ語版のジャケット。こちらの方がカッコいい。これには日本語字幕は付いてないだろう。

何度も見返せば見返すほど好きになる映画の紹介。2008年のロシア映画「Адмиралъ (Admiral)」邦題:「提督の戦艦」、アンドレイ・クラフチューク監督。

ロシア内戦時の、オムスクの反ボリシェヴィキ政権、臨時全ロシア政府最高執政官アレクサンドル・コルチャークの生涯を、アンナ・チミリョヴァとの愛を軸として描く。

1916年バルト海での機雷敷設艇から物語が始まる。軍功を認められ、皇帝ニコライ2世から黒海艦隊司令長官に任命された。

1917年の二月革命で、ボリシェヴィキ派水兵の反乱による士官階級の虐殺の嵐の中、司令官を解任された。抗議の意味を込めて、日露戦争で授与された聖ゲオルギーの「勇敢」の金剣を海に投げ捨てるシーンが美しい。

ロシア臨時政府のケレンスキーよりアメリカ合衆国に向かうよう命令される。十月革命後、オムスク政府に参加し最高執政官となる。白軍は最初は支配地域を拡大しヴォルガ川に迫ったが、徐々に赤軍が優勢となり、オムスクを放棄しシベリア鉄道でイルクーツクに向かうこととなった。

軍隊と政権中枢を引き連れてだが、アンナ・チミリョヴァとのシベリア鉄道での旅が映画後半の中心となる。鉄道で移動する映画は好きだ。

部下のカッペル将軍率いる白軍の、シベリア大雪中行軍 (Great Siberian Ice March) も描かれる。バイカル湖畔で25万人が凍死したと言われるが、画面上の人の数はずっと少ないものだった。

なお、コルチャーク役のコンスタンチン・ハベンスキーは、Netflixで配信中のドラマ「トロツキー」で赤軍創設者レフ・トロツキーを演じている。

現実のアンナ・チミリョヴァとコルチャーク提督

柴田勝家「ヒト夜の永い夢」

粘菌の性質を利用して、迷路の最短経路などを計算する粘菌コンピューティングは、2008年と2010年の2度イグノーベル賞に輝いている。

粘菌の研究で有名な博物学者、南方熊楠を主人公に据えた歴史改変SF小説である。昭和が本格的に始まる1927年から、二・二六事件の1936年までを中心に話が進む。

新天皇の即位記念事業として、学術的秘密結社、昭和考幽学会は、思考する自動人形すなわち天皇機関を献上することを企てた。南方熊楠が粘菌コンピュータを開発する。人の思考と行動を記したパンチカードの情報を、粘菌がニューロンのように繋ぎ発展させるのだ。

ちなみに私が学生の頃、1970年代のコンピュータ実習は、フォートランでのプログラミングだったが、その時もまだパンチカードを使っていた。

千里眼事件の元凶となった失意の研究者、福来友吉を副主人公として、宮沢賢治、江戸川乱歩、北一輝、石原莞爾などの歴史上の人物の思惑が錯綜する。

この小説によりロボット工学者、西村真琴、三井安太郎の作品を初めて知った。

名字のみ明らかにされるが、三島由紀夫の祖母、平岡なつが女傑として登場している。

出身地佐渡では地元の英雄である北一輝が、悪の総大将の役割を担う。天皇機関、南方熊楠、北一輝、それぞれの口から、多次元宇宙論、サイクリック宇宙論に似た仏教的世界観が繰り返し語られる。

蒸気機関の時代を舞台とした歴史改変ものをスチームパンクと呼ぶが、それよりは後の時代である昭和初期の物語はなんと呼ぶべきだろう。粘菌パンクと呼んでしまっていいのだろうか。

ロブ・ダン「世界からバナナがなくなるまえに」

生物学的多様性、最近は「生物多様性」と言うんだった、その保全が農業の、いや、人類の未来を支えるのに必須であることを、進化生物学者の著者が、歴史上の事例の紹介を交えて解き明かす。

本書の邦題となっている、バナナの逸話が最初に語られる。かつては流通するバナナのほとんどを占めていたグロスミッチェルという品種は種子を結ばず、地下茎から生えだす吸枝を使ったクローン形態での繁殖を行うしかない。世界中の輸出用バナナが遺伝的に同一だったのだ。1890年にパナマ病の流行が起こった時、すべての農園が壊滅した。グロスミッチェルに似ていて、パナマ病に対する病害抵抗性を持つバナナはキャベンディッシュ種しかなく、キャベンディッシュに全部入れ替わった結果が我々の知るバナナの市場だ。キャベンディッシュも遺伝的に同一である。新パナマ病の脅威が近い。新たな技術と伝統品種の遺伝子を生かして、病害抵抗性を持つ品種を作り出さなければならない。

1845年から1849年のアイルランドのジャガイモ飢饉は、食物のジャガイモへの依存度が世界一高かったこと、ランパーというたった1つの品種が大規模に栽培されていたことなどから、ジャガイモ疾病のパンデミックにより起こった。当時のアイルランドの人口800万人のうち、100万人以上が死亡したのだ。

この話を読むと、ハンバーガー屋でフレンチフライを残すことができなくなる。カンボジア、ポル・ポト政権下の大虐殺で、人口750万人中、100万人以上が死亡したとされるが、同規模の悲惨な事態だったとイメージできる。

科学者たちが常に無力だったわけではない。アフリカでの重要なカロリー源、キャッサバがコナカイガラムシに脅かされたとき、害虫の天敵となるハチを利用して阻止することができた。

衝撃的なのは、1989年にブラジルのカカオプランテーションで発生した、天狗巣病の流行だ。一国の産業が崩壊した。感染した枝をロープで結わえ付けるという、単純な手法による農業テロだったことが後に判明する。犯行はたった6人の手により成し遂げられた。

天狗巣病はサクラにもある。そして、ソメイヨシノはすべて遺伝的に同一のクローンだ。病気の流行に対し非常に脆弱である。しかし、今年の花見の際にじっくりと観察したが、異常な枝は1本もなかった。一般人の知らないところで木々の管理が徹底されていることに、感謝の念を捧げよう。

病害抵抗性を持つ品種を見つけ出すために、野生種を含む世界中のすべての品種を集めた種子バンクの重要性が強調される。同様に、病害生物に対し天敵となる生物を探すためにも、すべての生態系が保護され、その情報がネットワークを通して利用できるようにするしかない。

藤井太洋「東京の子」

パルクールの技を駆使して前に進む物語だ。読者に動きたいという情動が呼び起こされる。

忍者のように走り、跳び、登る動画をYouTubeで見たことがある人は多いだろう。フランスで生まれた移動術というやつだ。パルクールの創始者ダヴィッド・ベルは、リュック・ベッソン制作・脚本の映画「アルティメット」(2004)で主演している。映像を長尺で見たい方は映画もご覧あれ。

「東京の子」は、2023年、東京オリンピックの3年後を舞台とした近未来SF小説である。日本は労働力の需要を支えるため大量に移民を受け入れていた。3年で25%も住民が増え好景気に沸く東京では、未来の労働環境の模索も進行していた。五輪施設の民間への払い下げから生まれた経済特区に、サポーター企業で働き給与をもらいながら学べる、1学年2万人の学生を擁する大学校「東京デュアル」が作られたのだ。学費は決して安くはない。卒後サポーター企業に入社すると、借金が半額になる奨学金を学生の80%は利用していた。

パルクールトレイサーの仮部諌牟(かりべいさむ)は、戸籍を買い名前を変えて8年になった。彼の仕事は、仕事に出てこなくなった外国人を説得して、職場に連れ戻すことだ。失踪したベトナム料理店のベトナム人コック、ファム・チ=リンの捜索を依頼される。彼女はバイオテクノロジーの博士号を持つインテリだった。

ファムは、借金して職業の自由がなくなることは人身売買だと、東京デュアルを告発する。

仮部諌牟はどう動くか。労働問題と、昭和の枠組みとの決別を扱った、主人公の成長譚だ。

コニー・ウィリス「クロストーク」

SFの女王コニー・ウィリスの新刊。期待に違わず、楽しく読めました。もしあなたがすでにコニー・ウィリスのファンであるなら、説明は不要でしょう。

コニー・ウィリスの長編小説の初心者であるなら、紙本で2段組715ページという長さに怯まずに読み始めてください。テンポよく軽快に話が進みます。ストーリー・テリングのうまさには脱帽しました。コミュニケーションの未来がテーマとなっています。

「クロストーク」の前に出版された、「ブラックアウト」「オール・クリア」は両方合わせて1つの話ですが、全部で1776ページあるんですから。オックスフォード大学航時史学科シリーズの1つであるこの本も面白い。読んでいる間わくわく感が止まりませんでした。ダンケルクの戦い、ロンドン大空襲、ノルマンディー上陸作戦などが舞台となります。

本格的にコニー・ウィリスを読み始めようと考えるなら、オックスフォード航時史学科シリーズの第1作「ドゥームズデイ・ブック」からスタートを切ることを勧めます。自分がそうしたからですが、深い感動を味わいました。14世紀のペスト禍が描かれます。オックスフォード航時史学科シリーズは、この後「犬は勘定に入れません」、先に述べた「ブラックアウト」「オール・クリア」と続きます。

 短編小説では「女王様でも」「最後のウィネベーゴ」「マーブル・アーチの風」の印象が強く残っています。