ブリジット・フォンダ出演「アイアン・メイズ ピッツバーグの幻想」

ブリジット・フォンダの抜けるような白い肌に感銘を受けたことがあるなら、観ないわけにはいかない映画。DVDになっていない。吉田博昭監督作品。

日本人青年実業家のスギタ(村上弘明)は、ピッツバーグ郊外の製鉄所跡地を買収し大遊園地を建設しようとしていた。彼の妻、クリスをブリジット・フォンダが演じる。スギタは、製鉄所内で何者かに襲われ瀕死の重症を負った。

1991年の映画で日本はバブル経済の最期の足掻きの時期。現実では、その後の経済復興に失敗し失われた30年の始まりの時だ。これに対し、現実のピッツバーグの方は、1970年代に地元鉄鋼業が衰退に転じ工場は相次いで閉鎖に追い込まれ、街には大量の失業者があふれた。しかし1980年代には、従前の産業構造から脱却し、ハイテク、保険、教育、金融を中心とした地域経済へと移行することにより活気を取り戻している。

製鉄所跡の廃墟、巨大な鉄の迷宮は描き出されている。これに対峙する存在が、御曹司のコキュの道化ではちょっと。あの頃は、ダブルのスーツが流行ったなあと男性ファッションの懐古に浸るしかない。

あくまでも、ブリジット・フォンダを観るために時間を割いているのだ。

カグラナナ「Astrolabe」

VTuberカグラナナの1stアルバム、2023.8月に出ていた。

YouTubeのカグラナナchannel/ななかぐら はチャンネル登録者数44.1万人。もともとイラストレーターであり、イラストレーターとしての名義がななかぐらで、VTuberとしての名義がカグラナナということだ。

カグラナナは、2021年7月からのアニメ「探偵はもう、死んでいる。」の40mPによるエンディングテーマ「鼓動」の歌唱を担当している。

「Astrolabe」のDISC2、2曲目がryo(supercell)の「ブラック★ロックシューター」のカバーだ。原曲はsupercellのデビューアルバム「supercell」に収録されている。2009年3月のアルバムだ。思い出が重い。

【歌ってみた】のYouTube動画が公開されている。黒髪ではない、カグラナナの髪の色と体型のブラック★ロックシューターが、hukeの原イラストに縛り付けられていた心の鎖を外してくれた。

高山一実原作 映画「トラペジウム」

乃木坂46 一期生、現役のアイドルが2018年に小説を出版した。30万部の大ヒットとなり、アニメ映画が公開中である。

城州東高校1年生の東ゆうは、他の3つの方角、西、南、北の美少女を仲間にして、アイドルとしてデビューするセルフプロデュースを行なっている。身勝手で強引な意図から始まった計画だが、「東西南北」の4人はとても仲の良い友達となった。

ロボコン大会、文化祭などのイベントを経て、北の少女、亀井美嘉が行っていたボランティア活動に参加した4人は、ゆうの目論見どおりテレビ出演を果たし、そこから「東西南北」アイドルデビュープロジェクトが発動された。しかし問題が発覚した。

ちょうど筆者の高校(都立青山高校)のクラス会が、50年の時を隔てて開催された。学年全体での同期会は2010年に始まっていたが、クラス単位で集まるのは初めてだったのだ。物故者を含めて総勢44名の半数22名がLINEでつながり、夜の会にはそのうちの16名が参加した。このメンバーで過ごした期間はたったの2年間。過去を振り返る内容よりも、圧倒的に現在やこれからの話題が中心だった。

「東西南北」4人の友情は壊れず続いている。これがどんなに貴重なことか。細切れの「トラペジウム」本編映像は、YouTubeで公開されている。「彼氏がいるんだったら友達にならなきゃよかった」編は、ゆうの主人公らしからぬ言動が注目を集めた。

米澤穂信「冬季限定ボンボンショコラ事件」

米澤穂信の「小市民シリーズ」の完結編が出版された。第1巻の「春季限定いちごタルト事件」が出たのは2004年である。シリーズ番外編「巴里マカロンの謎」は2020年に発行されているが、「冬季限定」は2009年の「秋季限定栗きんとん事件」から15年待たされた。

高校生を主人公とした、日常の謎系を中心としたミステリーである。主人公小鳩常悟朗が狐なら、その相方小佐内ゆきは狼とされる性格で、キャラクター造形のギャップが心地よい。

筆者が米澤穂信を知ったのは2006年のことで、「犬はどこだ」、「春季限定いちごタルト事件」、「夏季限定トロピカルパフェ事件」、「さよなら妖精」、「クドリャフカの順番」、「ボトルネック」と読んでいっている。

世に出た時期がダブるとされる小説家、桜庭一樹の作品は2005年に、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」から始まって、「推定少女」、「少女には向かない職業」、「ブルースカイ」とこなしている。

いまでは2人とも直木賞作家である。米澤穂信の方は、守備範囲も広がって最近の活躍は目覚ましいものがある。「冬季限定ボンボンショコラ事件」の謎は、より重層化し緻密となっている。

本シリーズ未体験の方は、第1巻から紐解いていってほしい。

唐十郎「ひやりん児」(2011)

2024.5.4 唐十郎が死去した。死因は急性硬膜下血腫。

2012年5月に自宅前で転倒、重症な脳挫傷を発症した。回復し、エッセイ集「ダイバダッタ」を2015年に刊行したが、舞台への復帰と新作戯曲の発表は叶わなかった。

筆者が、唐さんの出演する舞台を最後に観たのは、2011年6月の唐組公演「ひやりん児」、花園神社・紅テントということになった。2011年秋公演「西陽荘(にしびそう)」は観ていない。

「ひやりん児」のあらすじ:豆腐売りの青年は妹とともに、情け心から失踪したおじさんを探す内、宝石やら漁業権やら、しがらみのある人々の争いに巻き込まれ、隠された事の真相に迫っていく。

この時も唐さんは、恒例の水槽潜りを披露した。

このブログに以前記したが、筆者の紅テント体験は、1975年秋の「糸姫」から始まった。劇団は「状況劇場」から「唐組」へと変わり、出演する俳優も入れ替わり、筆者の公演を観る頻度も時期により変化していったが、持続的に紅テント公演を続けていった唐さんのエネルギーには敬服を禁じ得ない。

古い仲間の中で、偲ぶ会の計画が持ち上がっている。

陸秋槎「文学少女対数学少女」

中国出身の小説家、陸秋槎のミステリー「文学少女対数学少女」を読んだ。邦訳順で言えば、デビュー作「元年春之祭」は、文体に苦労したが読了。良かった。第2作「雪が白いとき、かつそのときに限り」は読書中。「文学少女対数学少女」は第3作にあたる。

紹介文はWeb上のあちこちにあるものから引用する。

高校2年生の“文学少女”陸秋槎は自作の推理小説をきっかけに、孤高の天才“数学少女”韓采蘆と出逢う。彼女は作者の陸さえ予想だにしない真相を導き出して……“犯人当て”をめぐる論理の探求「連続体仮説」、数学史上最大の難問を小説化してしまう「フェルマー最後の事件」のほか、ふたりが出逢う様々な謎とともに新たな作中作が提示されていく全4篇の連作集。

「連続体仮説」の中で触れられた無限集合の濃度。高校2年以来であり懐かしさがこみ上げてきた。教科書の範囲を超えた数学の興味ある分野は、かつては本を買って独学したのだった。高校3年では大学受験数学に追われて、自由に数学を勉強する時間はなくなってしまったが。

陸秋槎も読んだ、サイモン・シンのノンフィクション「フェルマーの最終定理」を、筆者も2004年に単行本で読んでいる。

「文学少女対数学少女」とは無関係だが、筆者の大学教養課程の数学、教科書だった高木貞治の「解析概論」と齋藤正彦の「線形代数入門」、いい加減に済ましてしまったが心残りで再挑戦してみたい気持ちはある。すでに数学的能力は衰えきっているだろうけど。

ジョン・カーター「ファトゥワ」

ファトゥワとは、イスラム教においてイスラム法学に基づいて発令される裁断。

2006年のほとんど誰にも知られていない、政治サスペンス映画。ジョン・カーター監督。レンタルDVDで観た。意外と面白い。

ローレン・ホリー主演。反テロの中心的役割を務める米国上院議員マギー。夫との仲が冷めきったまま、政治活動で忙しく飛び回っていた。テロリストと夫の親族のギャング双方から、命を狙われることとなる。

「宇宙家族ロビンソン」の、1998年映画版リメイク「ロスト・イン・スペース」で、反抗期の少女である次女のペニーを演じたレイシー・シャベールが、社会に対して反抗期の大学生、マギーの娘の友人ノアを演じる。この方面から、この映画に辿り着いた。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ「骨と軽蔑」

2024年2月29日、日比谷のシアター・クリエで、KERA CROSSシリーズの最終回となる第5弾「骨と軽蔑」を観た。

KERAの作品が上演されることの多い下北沢を離れ、シアター・クリエで、KERAの過去の作品を、さまざまな演出家の手で作り上げる企画のKERA CROSSだが、最終の5本目はKERA本人が演出する約束となっていた。作品も書き下ろしの新作となった。

宮沢りえ、鈴木杏、犬山イヌコ、堀内敬子、水川あさみ、峯村リエ、小池栄子の女優だけ七人による芝居である。

とある国では、東西に分かれての内戦が続いている。男性は皆、召集され前線に送られ姿が見えない。現在は残された女性たちと少年・少女からの召集が続けられていた。

チラシのコメントによると会話劇である。密度が高い。楽しかった。

ケン・ラッセル「肉体の悪魔」(1971)

レーモン・ラディゲの小説とは無関係。17世紀のフランスで起こった「ルーダンの悪魔憑き事件」を題材としたケン・ラッセル監督の映画。日本国内ではDVDは未発売。1971年の公開時、筆者は中学生、映画館で観て深く心に刻まれた。おそらくVHSだろうが、YouTubeで題名を変えて字幕付きで公開されていた時があった。その際保存した映像を見直した。

ケン・ラッセルの映画では、1974年の「マーラー」、1975年の「トミー」も好きだが、「肉体の悪魔」が筆者にとっては最高傑作である。DVDが制作されないのは、カトリック教会の反発を懸念しているためだろうか。

フランスの地方都市ルーダンの市長代理を務めるグランディエ司祭はカリスマ的リーダーシップとともに、男性的魅力を存分に発揮していた。パリの宮廷では枢機卿リシュリューが実権を握り、新教徒の台頭を防ぐため地方都市の自治を廃止させようとしていた。グランディエは女子修道院の尼僧たちにも憧れの的だった。背中が醜く曲がった修道院長ジャンヌは一方的な恋心から、淫らな妄想を思い描いていた。嫉妬からグランディエを悪魔つかいだと騒ぎ立てたジャンヌが、グランディエ失脚に利用され、悪魔憑き騒動の拷問同然な調査が始まった。行き着く果ては、グランディエの火炙り処刑。

性描写、残酷描写、冒涜的イメージの氾濫が本作品を、宗教権力に対する反体制映画にしている。

ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」

最初に私たちは平山の1日をしっかりと追う。そしてそれは繰り返される。けれどそれは平山にとって繰り返しではない。いつもすべてが新しいのだ。

脚本の冒頭にこう書いてあるそうだ。

ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の映画「PERFECT DAYS」を2024/1/3映画館で観た。

トイレ清掃員、平山の毎日が描かれる。

仕事で使う軽自動車の中で、ミュージック・カセットテープを必ず聞く。パティ・スミスのアルバム「Horses」の中の「REDONDO BEACH」が物語上重要な役割を担っていたので嬉しくなった。でも、他の70年代の楽曲は知らなかった。

浮浪者役、田中泯の「をどり」が目を惹く。薄れた記憶から拾い上げると、筆者は70年代にハイパーダンスを観ている。陰茎に包帯を巻いただけで、褐色に塗った裸体で踊った。

今回の映画は、渋谷区の公共トイレを著名なクリエイターの手により新たにデザインする、THE TOKYO TOILETプロジェクトから生まれた。日に3回は清掃が入りとてもきれいだ。対照として、陸秋槎が「ガーンズバック変換」の中で紹介してくれた映画「トレインスポッティング」冒頭の汚物まみれのトイレを思い出した。